天翔貴と白賢嵐
鉄格子が嵌められた窓と出入口、粗末な寝台と用足しの桶がある部屋。紛うことなき牢屋である。
私は蔵書閣でしばらく尋問を受けた後、この部屋に放り込まれてしまった。
即打首にならなかったのは、近衛府所属の牌を所持していたお陰だ。尋問してきた男性の困惑顔が脳裏を過ぎる。絶対、身元不明の侵入者だとでも思っていたのだろう。上司に確認する為か、一時的に私をここに入れたのである。
「はあぁぁあ! 人の気配には敏感だと自負してたのに……」
この体たらく。霞家の皆と師父に顔向けできないっ!
◆◆◆明蘭が牢屋に放り込まれる少し前◆◆◆
皇太子宮で二人の男性が、深刻な面持ちで会話をしていた。
一人はこの宮の主である天翔貴。脇息にもたれ、疲れ気味のため息をついている。
もう一人は翔貴の腹心の部下である白賢嵐。翔貴の目前に姿勢よく座し、自身の主を心配げに見つめながら話を続けた。
「……殿下が襲われたのは、水州での行動がどこかから敵に漏れたせいではありませんか?」
「賢嵐もそう思うんだな」
「そうとしか考えられません。あれほど別行動は危険だと言ったのに。殿下の怪我を目の当たりにした時は、この世の終わりかと思いました!」
「大袈裟なことをいう」
「……それを皇后陛下に面と向かって言えるんですか? 卒倒されますよ。ただでさえ寝込まれることが増えているのですから」
「母上は体が弱いという訳ではないはずだ。まさかと思うが……」
二人は同時に沈黙したあと、顔を見合わせ苦虫を噛み潰したような表情となった。
「毒かもしれません」
「さて。考えなければならない事が増えたな。賢嵐には手間をかけさせるが、いつものように蔵書閣に向かってくれ」
「かしこまりました」
古傷が疼いたのか、賢嵐は左目の眼帯に触れたのち、翔貴に対して恭しく頭を垂れ、皇太子宮をあとにした。
◆◆◆明蘭が捕まった後、皇太子宮にて◆◆◆
翔貴は水州での報告書を作成しながら、自身を襲撃した黒幕について考えていた。
一番有力なのは第二皇子派筆頭の副宰相だが、証拠がない。襲撃者の身元を調べても、誰に雇われた者なのかまでは辿れずに終わってしまった。
母上の体調不良にも怪しい点がある。考えたくはないが、お祖母様が良からぬことをしでかしているのでは……。
賢嵐を無闇に動かすことはできない。誰か信頼のおける者に後宮を探らせるか。
目を瞑り思考を巡らせていると、先ほど蔵書閣に向かったばかりの賢嵐が戻り、眉根を寄せた表情で口を開いた。
「殿下、蔵書閣で怪しい者を発見いたしました。今は独房に留置しております。処分いたしましょうか?」
賢嵐には自己判断で処分を下すことができる権限がある。
今回に限って聞いてくるのはなぜだ? 気になる点でもあるのだろうか。
「……お前には自己裁量権を与えてるじゃないか。なぜ私に問う?」
翔貴が首をかしげると、賢嵐はますます顔を顰め、苦々しげに話す。
「近衛府所属の者だったからです……。しかも頭の痛いことに明日から殿下のもとで働く予定の者でした。今回の武科挙で状元及第だったことにも驚きです! 試験内容に、面接も加えた方がいいのではありませんか!?」
手を振ることで、まくし立ててくる賢嵐を制止する。
「少し落ち着け。それで、蔵書閣にいた目的は聞き出したのか?」
「失礼しました。……個人的な調べ物をしたかったとのことです」
私のもとで働く予定だったなら、そのときに許可でも取れば簡単に蔵書閣へ行けたのにな。
面白い者がいたものだ。笑いが込み上げてくる。
「それだけのことでっ! その者も気の毒にな」
「笑い事ではありません。殿下を利用して蔵書閣に入ったのですから!」
私を利用したのか、ますます面白い。賢嵐には悪いがその者にとても興味が湧いてきた。
「あははっ! なかなかに肝が据わってる。よし、独房に行く。この目で見て判断しよう」
「お手を煩わせて申し訳ございません」
頭を下げる賢嵐。気にする必要は無いと、翔貴はポンとその肩を軽く叩いた。
「問題ない。いい事も思いついたからな」
独房の者が使えそうであれば、存分に利用させて貰おう。
翔貴の足取りは心なしか軽く、賢嵐は我が主が疲れを忘れているように見えると、そのあとに付き従いながら、少しだけ心を和ませた。