山の中での出来事
暗い雲が立ち込め、今にも雨が降りそうな中。
旅装束を着た一人の少女が、険しい山道をものともせず、身軽に駆けていた。
ゴツゴツとした岩肌を飛び越え、川を渡ったその少女は、ふと立ち止まり、来た道を振り返る。
長い髪を束ねる飾りが、シャランと音を奏でた。
お嬢様、待っていてください。きっとやり遂げて見せます。
少女の目には強い決意と、深い悲しみの色が宿っていた。
◆◆◆
ポツポツと頬に当たる雫。
私は手でその雫を拭い、再び森を駆ける。
雨宿りできる小屋があればいいんだけど。
「やっぱり都まで送ってもらえば良かったかな」
靴に跳ねた泥を憎々しく眺める。
師父が買い与えてくれた一張羅なのに!
ごめんなさい、師父。都に着く前に汚してしまいました……。
扇子で口元を隠して、困り眉になる師父を幻視し、身震いする。
虎の子を谷に落とすような、あの厳しい修行はもう嫌だ!
考えながらも、体は素早く木々の合間を縫う。
その時、私の行く手を遮るように、黒い影が獣道から飛び出した。
「何者っ!」
瞬時に臨戦態勢をとる。
「避けろ!!」
その影に言われる前に、すでに体は動いていた。
避けた上体スレスレを矢が通過する。
私と獣道から飛び出してきた男を取り囲む人影。
「物盗り?」
「さて」
私と男は互いに背を預け、敵を牽制する。
「寄ってたかるなんて卑劣な!」
武を磨く者として許しがたい!
「峰打ち?」
「可能なら」
「了解」言うか言わずのうちに、私たちはお互い、目前の敵に肉薄した。
トンと舞ってはサッと剣を振るう。剣を振るたび目の前の敵が昏倒していく。
どのくらい戦っていたのだろう。気づくと周囲に立っている敵はいなくなり、私と男の呼吸音だけが、雨音に混じって静かに響いていた。
不意に男がガクリと膝をつく。
「怪我をしていたの!?」
戦っている最中は気づかなかったけど、袖が真っ赤に染まってる。
「大事無い。巻き込んで済まなかったな」
大事大ありですよね! 顔真っ青ですよ?
「待ってください」
私は無理に歩こうとする男を引き留めた。
◆◆◆
近くにあった小屋に移動し、男の手当をする。
「血が止まりませんね。武器に何か仕込まれてたのかな」
毒なら早く吸い出さないと。
「そこまでしなくていい」
男の腕に口を近づけた私は、男のもう片方の腕に抑えられ、応急処置を断念した。
男はそのまま自身で血を吸い出し、傷口を布できつく縛る。
「助かった。名は何という?」
「私の名は明蘭。貴方の名前は?」
「俺は……飛翔だ。この恩はいつか必ず」
言いながら立ち上がる飛翔。
「まだ雨降ってるけど?」
「急いでるんだ。失礼する」
私は座ったまま、風のように去っていく飛翔を見送った。
血も沢山出てたのに、あんな素早く動けるなんて凄い。
不思議な人だったな。
泥で汚れた靴を端切れで拭きながら、小屋の外をぼんやりと見つめる。
今日はここで一晩明かすことになりそうだ。
「お嬢様、貴女がいる場所からは何が見えますか……教えてください」
当然答えは帰ってこない。