メノビ
メノビ
どこかの森の池のほとり、そこにカエルの集落があった。大きなカエル、小さなカエル。ガマガエル、アマガエル。多種多様なカエル達が、その集落で暮らしていた。そんな多様なカエル達の中に、ひときわおかしなカエルが一匹いた。品種でいうと、シュレーゲルアオガエルのオス、歳は3才だ。
彼の名は、メノビ。メノビはどういうわけか、舌が伸びないカエルだった。まだ一歳だった頃は、舌が伸びていたのだが、ある日突然、舌が伸びなくなってしまった。なぜそんなことになったのかは、メノビ本人にも分からなかった。そして舌が伸びなくなった代わりに、目が伸びるようになってしまった。目玉がゴムのように、びよんと伸びるのだ。故に彼は、目伸び(メノビ)と呼ばれるようになった。
目が伸びることで、得したことなどなにもない。ひたすらに不便なだけだった。
まず餌をとりづらい。目を伸ばして器用に、獲物の小虫を捕まえはする。だが捕まえた獲物はなんとか逃げようと、必死にもがく。その際にとがった足の先などで、目玉をつつかれるのだ。叫ぶほどの痛みが眼球を貫くし、事実そのたびにメノビは叫んだ。毎日叫ぶものだから、メノビの声はガラガラに枯れ、集落のカエル達はその声を「地獄からの呼び声」と評していた。
次に集落のカエル達から不気味に思われる。「あいつはほんとにカエルなのか?」などと陰口を言われる始末だ。舌が伸びてこそのカエルだというのに、メノビは舌が伸びない。カエルとしてのアイデンティティを失っているじゃないか、などと謎の抗議活動をしてくるカエルまでいた。しかしメノビは負けん気が強いので、悪口を言う奴には目を伸ばして威嚇する。目玉がびよんと伸びてきて、じいっと見つめてくるのは、それをやられる側からすると、大変恐ろしく身が震え上がる。どんなカエルもメノビの威嚇を受けると、一目散に逃げだした。集落のカエル達はその威嚇を「死神の眼差し」と評していた。
そして最後に、これが最も深刻な悩みなのだが……。メノビは、恋をしていた。相手のカエルの名はコロロ。「コロコロ」とそれは可愛らしい声で鳴くのだ。そんなコロロの理想のタイプは「舌が誰よりも長いカエルよ」とのことだった。メノビは絶望した。人間には分かりえぬことだが、カエル達にも流行というものがある。鳴き声の大きなオスが魅力的とされる時もあれば、高く跳べるオスがちやほやされる時もある。昨今のカエル界では、「舌が長いこと」がトレンドなのだ。
メノビはコロロから、見向きもされていなかった。当然だった。メノビは舌が伸びない。コロロに好かれるわけがなかった。これには集落のオスカエル達も、メノビを気の毒に思い、彼のことを優しく扱うようになった。しかしその優しさが、メノビには辛かった。
平和な日々を過ごしていたカエル達だったが、ある日大事件が起きた。カエル達の悲鳴が、集落中に響き渡る。天敵のヘビが、集落に侵入してきたのだ。ヘビはぎろりとカエル達をにらみつけ、どいつを食べてやろうかと吟味している。そしてヘビは獲物をコロロに定め、素早い動きで一気に仕留めにかかった。コロロは恐怖に震え、逃げ出すことなどできず、その命はヘビに刈り取られようとしていた。
しかし、一匹のカエルがヘビの前に飛び出した。それはメノビだった。彼は身を挺してコロロを守ったのだ。ヘビはメノビにかぶりつき、無情にも少しずつ丸吞みにしていく。メノビはこのまま餌にされてたまるかと、目を伸ばし、それをムチのように使い、ヘビを必死に叩いた。だがその程度の攻撃は、ヘビにとってはなんてことなかった。ヘビはメノビの目玉を噛み千切り、そのままメノビを丸呑みにしてしまったのだ。
千切れたメノビの両方の目玉は、ぼとりと地面に落ち、ヘビは満足してどこかへ去っていった。コロロは残されたメノビの目玉を前に、コロコロと一晩中、悲しい鳴き声を上げ続けた。メノビはヘビの腹の中で、死の恐怖と一緒に、満足感を感じていた。舌を伸ばすことも出来ない自分が、コロロの為にその命を散らせるのなら、それは本望だ。これ以上の名誉の死はないだろうと、メノビは自分の人生に満足して、暗闇の中へと消えていった。
その翌日、一羽のスズメが餌を探していると、地面に残されていたメノビの目玉を見つけた。腹を空かせていたスズメは、その目玉をイモムシだと勘違いして、ぱくぱくと食べてしまった。
このスズメは、たった今、空を飛べなくなった。
その代わりに、目玉が伸びるようになった。
品種でいうと、ニュウナイスズメのメス、歳は1才だ。そしてこのスズメは、これからメノビと呼ばれるようになる。
空を飛べぬ代わりに、目が伸びる。故に目伸び(メノビ)だ。
目が伸びることで、得することなどなにもない。ひたすらに不便なだけだ。
もっとも、その寄生虫はそれを生存戦略としているわけだが……。
おわり