第7話:ローアングルとガラス越しの悪影響
服装はスノーホワイトのゴシックロリータ風ドレスと頭の白の帽子、そこから流れるプラチナブロンドの髪。エレナ・アイスハートが今俺の目の前にいた。
それが未来のコスプレだとは分かっている。だがその事実を脳が理解するには今しばらくの時間が必要なようだ。
固まっている俺を見て未来は申し訳なさそうに手を握りこむ。
「……すみません。初心者のコスプレでは、エレナ様の魅力を一割も表現できないのは承知済みです。カラーコンタクトもどうしても怖くてつけれませんでしたし……確実に古川さんのお目汚しをしてしまいますが、どうか今日だけは我慢してください」
「い、いや、そんなことは……というかその衣装はどうしたんだ?」
「高校時代にネットのオーダーメイドで購入したものです。あの頃は何とかしてエレナ様を表現できないかといろいろなことを試していたので」
未来はその場で一回転すると膝丈のスカートがふわりと広げる。
「せっかくの衣装を押し入れにしまったままで罪悪感があったんです。でもこうして日の目を帯びる機会が出来て本当に良かったと思っています」
未来はポケットに手を入れると首掛けのクリアホルダーを取り出す。手渡されたそれには『コスパーティー撮影許可書』と印字されていた。
「今の私には模写か模写に近い形でしかイラストを描くことが出来ません。なので今日は参考にしても怒られない私自身を資料にするため写真を撮っていこうと思うんです。古川さんのお手すきの時に力を貸していただけたら幸いです」
そう言って無表情のまま深々と頭を下げる。その感情の起伏の少なさは俺の中のエレナを彷彿とさせた。
(前園さんの言う様に確かにエレナと前園さんはイメージがかけ離れている。だが原作と違いElena/zeroはエレナが魔法生物として生まれたばかりの話を書いたものだ。その感情の希薄さはむしろ俺のイメージする彼女にピッタリなんだよな)
だがそんなことは口が裂けても言えない。その感情の希薄さに未来がどれだけ苦しんできたか俺はもう知っているのだから。
結局気の利いたことなど思いつかず、俺は「任せてくれ」と無難に答えた。
「それでは撮影は私のスマホで…………すみませんコインロッカーに服ごと入れてしまったみたいです」
「じゃあ俺がとって後で送るよ」
「…………ありがとうございます古川さん」
自身の失敗に未来は少しだけシュンとしてしまう。俺はどうしたものかと辺りを見ると「ん、んん」とわざとらしく咳払いした。
「俺も小説を書くのにモデルがいた方が解析度が上がるし、前園さんがいて助かるよ」
「…………本当ですか?」
「ああ、本当だ。だから今日は『俺』の参考資料のためにもたくさん写真を撮らせてくれ」
「――――はいっ」
頷く彼女は少しだけ明るさが戻ったようだ。気持ちを改めると俺と未来はアトラクションへと向かった。
◆
人通りは少ないが子供たちは笑顔で駆け回っている。空にはカラフルな風船が浮かび、メリーゴーランドの音楽が静かな中に響く。屋台のポップコーンが甘い香りを運び、観覧車は静かに回る。
そんななか俺たちはジェットコースター前にいた。人影がない今がチャンスとスマホのシャッターをきっていく。
(この駆動音、お客さんの楽しそうな声……そうか、そうだよな。周りには主人公以外にもたくさんの登場人物がいるんだもんな)
喧騒を取り入れることで文章はよりリアリティを増していく。そんな基本に立ち返ることで、俺は次々湧く『煩悩』を薙ぎ払っていた。
「古川さん、もう少しローアングルをお願いできますか」
「お、おぅ」
ポーズを取る未来に言われるがままに、膝立ちの状態からさらに体勢を落とす。
その瞬間、コースターが走り抜けると小さく風が吹く。すると見えてはいけない黒い何かがチラリと見えたきがした。
(これは……いいのか??)
三十代のおっさんだから自制は出来ているし、表情にも出ていないはずだ。
ちゃんと周りに人がいないことを確認してから撮ってはいるが、この絵面は相当酷いだろう。
「こ、ここまでの角度も必要なのか?」
「はい、やはりエレナ様と言えば圧倒的強者感。それを表現するためには下からのアングルが合っていると思うんです」
「な、なるほど」
「それにエレナ様のフィギュアを見た時に思ったんです。様々な角度で見ることで違った魅力が見えてくるって」
「……さいですか」
どうやらガラステーブル越しの景色は彼女に大きな刺激を与えたようだ。未来はそのまま真っ直ぐこちらに近づく。すると風など関係なくスカートの中が見えそうになり思わず目を逸らした。
「ま、前園さん……流石にスカートが」
「スカートですか? スカートは大丈夫ですよ。ちゃんとイベントルールで決まっていますので、ほら見てください」
「それってどういう――――!?」
言い切る前に未来がスカートをガバッと持ち上げ中身を見せてきた。
「イベントのルールで下着、または下着に見える物の着用は禁止されているんです。すみません、先に伝えて置くべきでしたね」
「……………」
そう説明されても話が一向に頭に入ってこない。俺の思考は目の前の光景に奪われていた。
膝上のスカートよりも短いピッチリと履かれた黒のスパッツ。かなり下から見上げているためかヒップラインも顕になっている。
(これは下手な下着よりもよっぽど……)
撮影の際、辺りには細心の注意を払って本当に良かった。今ここに小さな子が居たとすれば、えげつない性癖がねじ込まれてしまったかもしれない。
俺はそのまま前のめりになると地面に手を着いた。
「……すまん、脚がつりそうなんでちょっと休憩で」
「だ、大丈夫ですか。私が無理な体勢をお願いしたせいで、何か出来ることはありますか? 何でも言ってください!」
「大丈夫、大丈夫。この体勢から動かさなければ……だから少しだけ落ち着かせてください」
「も、もちろんです!」
心配をかけて悪いが今はこう言うしかないだろう。俺はしばらくの間、本当にどうでもいい馬鹿らしいことを頭に思い巡らせていくのだった。