第5話:燃えカスの役割
俺が戻る頃には美少女が座布団で正座していた。先ほどの光景が幻覚だったのではと思うほど凛とした佇まいだ。飲み物を置くとエレナフィギュアを定位置に戻す。
未来は名残惜しそうに目で追うがその途中で視線が止まる。そこには額縁に仕舞われた満面の笑みのエレナのイラストがあった。それはあのイベントの日に未来からプレゼントされたものだ。
「……私の絵、あんないい場所に飾ってくれたんですね」
「それだけ俺にとって嬉しかったってことだよ。改めて聞くけど本当にもらっちゃってよかったのか? あれは前園さんが初めて思い通り描けたイラストなんだろ」
「あの笑顔が描けたのは古川さんの小説があったからこそです。私の方こそ、ペン入れも色も入っていないラフであそこまでしてもらって申し訳ない気持ちが……」
「全然全然、本当に良かったと思わなくちゃわざわざ飾ったりはしないよ」
実際、彼女にこの絵をもらった次の日には、UVカットの額縁を探してホームセンターを走り回ったほどだ。まあそこまで言うと少し恩着せがましいので心の中にしまっておく。
未来は飾られたイラストから視線をこちらに戻すと、ほんの少しだけ頬を染めていた。
「そう言っていただけて嬉しいです。そして改めてプレゼントしたイラストのことは大丈夫です。私はこれから古川さんと一緒にいっぱいエレナ様を描いていきますから」
少しだけ自信に満ちた様子で伝えてくる。だが一呼吸おいて彼女は視線を下に向けた。
「ですが今の私は本当にまだまだです。古川さんも気づいての通り、あの笑顔以外の構図は第七話のAパートのシーンそのままなんです」
「そ、そうなんだな……でも真正面の構図なんていくらでもあるし問題ないんじゃないか?」
「ええ、それが真正面なら問題はないと思います。ですがこれからエレナ様のイラストを描くにあたってそれは明確な弱点になると思います。その理由はもう見せましたよね」
「一冊目のスケッチブックのことか」
「はい。私もまったく構図が被ることのない、完全なオリジナルイラストが描けるとは思っていません。ですが私が模写だと思っているうちは、私が本当に描きたいエレナ様は描けないと思うんです」
「文章で言うと好きな作家の作風に引っ張られる感じか。俺もかっこいい表現が使いたいだけで、無理やり文章に突っ込んだこと何度も何度もあったっけな」
そうして追加された文章は物語のテンポを損なうことが多い。悩みの理由は違うだろうが、種類としては多分同じだ。未来の場合、それがあまりにも極端なだけで。
未来は自身のコンプレックスに苦しみながらも必死にもがいている。そんな彼女の力になりたい、その想いは一週間前から変わっていない。
(……だが、今の俺に何が出来るんだ)
未来の想いに応えるため、俺はこの一週間必死に新作の構想を練っていた。だが何一つネタは浮かばなかったし、まるで靄がかかったように頭が上手く働かなかった。
(こういうの、燃え尽き症候群って言うのかな……)
古川悠介の二次創作人生はあの日一度終わっている。これで終わりだと思うだけの年月を重ね、終わりにしてもいいという気持ちで最後の作品を書いたのだ。だからそれは当然のことだろう。
(俺の作品が前園さんの力になったのは分かる。そして彼女の力になりたいのも本心だ。でも俺は彼女のために何をしてあげられるんだ)
申し訳なさで言葉に詰まってしまう。だがそんな弱気な俺に未来は強い信頼を置いていた。
「模写ばかりの私ではまだまだ古川さんと釣り合わないかもしれません。ですがどうか、力を貸してください」
改めてそう伝えてくると未来は深々と頭を下げる。俺は歯切れ悪く「あ、ああ」と伝えることしか出来なかった。
ここまでされて今更な弱音を吐くことは出来ない。一度は了承したことだ。少なくとも俺の方から投げ出すことはしたくない。未来は顔を上げると話を続ける。
「私の経験不足はこれから積んでいくしかありません。なのでそれを補うためにまずは私が半年読み込んだElena/zeroで挑戦していきたいです。まずは一冊、形に出来ることを目標に頑張りたいです」
未来の提案を聞いて、俺は内心ホッとしてしまう。Elena/zeroを題材にするということは、新作を書かなくてもいいからだ。
だがそんなことを思う自分に少しだけ自己嫌悪もした。
(前園さんは今まで頑張ってきた。彼女はきっと自身の問題を乗り越えることが出来る。俺の役目は彼女が独り立ちを手伝うことだな)
明確なゴールを決めると改めて気持ちを奮い立たせる。俺はギュっとこぶしを握りこむ。
「じゃあそうするか。俺も学生の頃の作品だから手直しする部分はいっぱいありそうだな」
「……ありがとうございます古川さん」
俺の肯定を聞いて未来の顔が少しだけ明るくなった気がした。だがそれからしばらくすると、未来はひっきりなしにチラチラと本棚を見つめた。
「そ、それでですね。もしよろしかったら作品の解析度をあげるためにこの前お話した、あのですね」
「えっと、Elena/zeroの続きだっけ。もちろんちゃんと発掘して――――」
「ありがとうございますっ! 明らかに一巻から続く感じだったので凄く気になってたんです‼」
未来は先ほどよりも明らかに目を輝かせると俺から本を受け取る。そして少しだけ口角を上げたような気がした。
(そんなに楽しみだったんだな。まあもともと俺の家に来たいって言ったのもこれが理由だったしな)
未来はバッグから硬質のケースを取り出すとそれに本をしまう。彼女は本当に俺の作品を大切にしてくれている。それが伝わると胸の内から自然と言葉が浮かび上がった。
「折り目とかは気にしないで、しっかり読み込んで大丈夫だからな」
「ですがこの本は保管ようですよね。先週のイベントでは販売してなかったようですし」
「ああ、そうだな。ありがたいことにイベント用のElena/zero全四巻は一冊の残しで完売したからな」
「そ、それでは乱雑に扱うなんてとても……」
「データではちゃんと残っているし大丈夫だ。それに前園さんがイラストを描き起こして形にしてくれるんだろ。だったら何も問題ないさ」
「…………あっ! は、はい。任せてください‼」
未来は言葉の真意を受け取り目に力を込める。そんな彼女を見て俺の心の燃えカスが少しだけ熱くなっていくのを感じる。
「さーって、俺も書き直し頑張らないとな」
少し気恥ずかしくなってしまい話題を方向転換する。俺はElena/zeroの一巻を開くと前半のシーンを読み直した。
「学生の頃だから仕方ないけど、場面表現があんまりにもあんまりだな。もうちょっとちゃんと調べればよかった」
まああの頃は長文を書くだけで大冒険でそこまで手を回せなかっただろう。だが今ならそれなりの表現に出来る自信はある。俺がそんなことを考えていると、未来が恐る恐る手を挙げた。
「……すみません」
「ん、どうしたんだ?」
「……えっとですね」
そう聞き返すが未来はもごもごと言っているだけで要領を得ない。俺は出来るだけ優しい声色で話しかける。
「俺は前園さんに協力するって決めた。だから何でも言ってもらって大丈夫だぞ」
もちろん叶えられないことはあるが。と今更付け加えることもないだろう。この短期間だが俺は既に彼女を信頼している。
俺の気持ちが届いたのか、未来は覚悟を決めたように胸の前で両手をギュッと握り締めた。
「古川さん、私と…………私と遊園地でデートしてください!」
今日一番の大きな声、さらに言葉の意味が上手く呑み込めず、俺は目を白黒させてしまうのだった。