第4話:エレナ部屋おじさん
ここで一度、エレナについて軽く補足をしようと思う。
彼女の本名はエレナ・アイスハート。プラチナブロンドのロングヘア―が特徴の雪のように儚げな少女だ。肉体年齢は十二歳だが、魔法により生み出された彼女はその姿から成長することはない。
公式設定では不明だが、立ち振る舞いから見た目よりもかなり年上だと思われる。服装はスノーホワイトのゴシックロリータ風ドレスと頭の白の帽子が特徴的だ。
魔法使いが魔法使いを律するために作り出した魔法生物である。魔法生物でありながら魔法は一切使えず、その代わりに強靭な力で武骨なハルバードを担いでいる。
初登場時はそれこそ主人公たちを食う勢いの人気キャラだったが、それに陰りが見えたのは第二クールに入ってからだ。まあその話はまた追々思い出すことにしよう。
「さて、ここはどうしたものか……」
そんな現実逃避をしながら俺は衣装棚の上にいるエレナ『達』に目を向けた。
「フィギュアにガチャのプライズ、壁のポスターにバッジにトレカの数々。これは……引かれないだろうか」
アニメが好きなこととオタグッズを集めることは必ずしもイコールではない。いくらエレナが好きだと言っても美少女フィギュアの存在を未来がどう思うかは未知数だ。
「でも仕舞う時の破損も怖いし、そしたらそしたでもう元に戻せる自信がないんだよな~」
いや俺が気を使い過ぎるのは違うのではないだろうか。本当に見られて困る本やパソコンのデータは既に別に移してある。掃除だってこの一週間でコツコツやってきた。
「ここまで来たらもう覚悟を決めるしかないな」
そう思いスマホを確認すると時刻はちょうどその時を示していた。
――――ピンポーン。
控えめに一回インターフォンが押される。俺は何度も深呼吸をすると玄関のドアを開けた。
「いらっしゃい」
「…………お邪魔します」
扉の前にいる未来の姿を見て、この前のことは幻覚ではなかったのだと改めて思う。彼女は先週と同じ感情が窺いづらい表情で俺の顔をじっと覗き込んだ。
「え、えっと、どうかしたかな?」
「……すみません。人の家に遊びに行くことがほとんどなくて緊張してしまいました。これ、良かったら食べてください」
未来は頭を下げると紙袋を渡してくる。ちらりと見ると中身はチョコチップのマフィンのようだ。
「これはご丁寧にありがとうございます。ここまで迷わなかったか?」
「はい。でも驚きました。私の住んでいるアパートから五分もない距離だったなんて」
「埼文に通っている頃からずっとここで暮らしているからな。俺も埼文通いとは聞いていたけど、同じ駅周辺だとは思わなかったな」
「あまり大学近くだとたまり場にされると聞いていたので」
「俺もだ。だからわざわざ各駅しか止まらないアパートを選んだぐらいだし」
それに交通の便が悪い分アパート代が安いのも決め手だ。さて、だがこうやっていつまでも玄関で喋っているわけにはいかないだろう。
「…………それじゃあ何もないところだけどどうぞ」
「…………はい、おじゃまします」
少し緊張しながらも俺は未来を出迎えた。
何の変哲もない1LDKの部屋は、ほんの少し歩けばリビングにつく。部屋の中心には硝子テーブル、部屋の隅には本棚がいくつかあり、奥には寝室への扉がある。目を引くと言えば大量のエレナグッズだけだろう。
さあ、どうでる。南無三。
俺は心の中ですり合わせて祈り続ける。未来は無感情な顔でジッとエレナグッズを見つめていた。
「…………古川さん」
「お、おう」
「……もしよろしかったらエレナ様のグッズを見させてもらってもいいでしょうか」
「も、もちろん」
これはどっちだ。許されたのか。俺はドキドキしながら未来の行動を見守る。彼女は荷物を置くと視線をグッズの高さに落とした。
「…………凄い。凄い、凄い、凄いです。エレナ様のグッズがこんなにたくさん。このフィギュアもこのプライズも本物を始めてみました」
(ゆ、許された!)
心の中でセーフと腕を広げる。俺は一安心すると彼女の隣に移動する。その横顔を見るにやはり彼女は微笑んでいるわけではない。だがその姿勢や仕草にはほんの少しワクワクの色が見えた。
「アルトが出しているフィギュアって造りが精巧でカッコいいですよね。ハルバードの武骨さもしっかりと表現されています」
「この武器一個あるだけで飾る場所は凄く取られるけど、これは本当に買ってよかったよ」
「こっちはハッピーフェイスの私服バージョンは逆に武器を外してエレナ様の雪のように儚い印象を見事に表現して――――古川さん、このフィギュア私知らないです」
そう言って指さしたのは三体目のフィギュアだ。洋装としてはアルトのフィギュアと同じだ。だがそのフィギュアのエレナは全身に傷を負っており、ハルバードの刃も欠けている。
未来が困惑するのはよくわかる。このフィギュアはどれだけ『公式』を調べてところで見つけることが出来ないのだから。
「これはもしかしなくてもマギカナイツ十九話『世界の守護者達(前編)』のエレナ様最大の名シーンの立体ですよね。魔法軍と機械軍の衝突を止めるため傷だらけで戦うエレナ様。でも誰も殺さぬようハルバードの刃を自ら砕いているのがその証拠です。古川さん、このフィギュアはいったい……」
「企業から許諾を受けて個人的にフィギュアを販売できるイベントがあって、そこで購入したんだ」
「と言うことは…………このエレナ様は個人製作ということですか!」
「そう言うことになるかな」
俺の言葉を聞いて無表情な顔に僅かな困惑が浮かぶ。それほど未来にとって衝撃の事実だったのだろう。俺は十二年前、この作品に出会ったことを懐かしく思い出す。
「でもこれ完成品販売じゃないんだ。もともとは分割された単色のパーツが袋詰めされて売られたものなんだ」
「それでは古川さんがここまで組み上げたのですか」
「…………組み立ても塗装も専門のプロに依頼した。俺のそれまでのバイト代は一気にすっからかんになったな」
今思えばとんでもない金額を払ったものだ。その後しばらくもやし生活だったのも懐かしい思い出だ。俺の話を聞いて未来の顔に少しの緊張が走る。
「ち、近くで見てもよろしいでしょうか」
「もちろん、でもちょっと待ってくれ」
念には念をと自分でエレナを持ち上げると、ガラステーブルに移動する。未来はその場に座り込むと、水晶で占うかのように触れずに手を添えた。
「凄いクオリティです。これが一個人の作品だなんて……感動です」
未来はフィギュアを上から横へじっと眺めていく。そしてしばらくすると伺うように俺を見た。
「あのすみません。下から覗き込んでもいいですか」
「あっ、どうぞどうぞ」
「……では」
俺の了承を得ると未来その場で四つん這いになる。そしてガラステーブルの利点を活かして思い切り覗き込んだ。
「……この人はエレナ様のお尻に力を入れているんですね。でも成長した主人公グループを考えれば勝負どころは確かにそこになりますよね」
ぶつぶつ言いながら仰向けになる。初めて来た異性の部屋であまりにも大胆過ぎないだろうか。まあ未知のレアアイテムに未来が夢中になるのはよくわかる。
正直、俺も一通り興奮した後は彼女と同じ行動をしたくらいだ。だがもう少し俺という存在を気に止めてもいいのではないだろうか。
(まあこんな年上のおっさんの前で変に取り繕う必要はないか…………ってそれよりもだ)
俺はじわじわと捲れあがるスカートを見て急いで回れ右する。初めてのエレナグッズに興奮するのは分かるが年頃の娘さんなので少しは気にして欲しいものだ。
(もしかして本当に零細サークルを狙った美人局だったりするのか???)
これで手を出したら怖いお兄さんが出てくるのではないのだろうか。そう思い本当にチラリと未来の顔だけを見る。
――――パシャ、パシャパシャ、パシャ!
そこには仰向けになりで写真を撮る美少女の姿があった。だが美少女オーラだけでは隠しきれず有り余るほどその姿は異質だ。
(……………いや、まあ詐欺ってことはないか)
相変わらずスカートは豪快にめくれているようなので、俺はそのまま背を向けた。
「話の前に飲み物入れてくるな。コーヒーでいいか?」
「はい、よろしくお願いします」
「それじゃあゆっくり入れてくるからそれまでに撮影会終わらせてくれよ」
「――――はいっ!」
抑揚はないが何て力の籠った返事だろうか。俺はキッチンに向かうとコーヒーの準備を始めていった。