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第3話:あの時の君の笑顔

 俺が本格的に小説を書き始めたのは大学生になってからだ。文芸部に入部したての頃は数ページの短編ですらヒィヒィ言っていた。それでも文章を書くのは本当に楽しく、そんな俺が一念発起したのは二年生の時だ。


 俺は個人誌という形で初めて長編小説の執筆を挑むことにした。題材はマギカナイツ、エレナ・アイスハートの二次小説だ。


 始めは終わりの見えない執筆に何度も挫けそうになった。だがそれでも大好きなエレナを想うことで走り続けた。


 苦節四カ月、俺は小説を書きあげることが出来た。その時の達成感は今でもしっかり心に残っている。だがそれが部誌という形になることはなかった。今この手にある一冊を除いて。


 全てに合点がいくと少しだけ苦い記憶が蘇る。俺は顔に出さないように個人誌を開き口元を隠す。未来は興奮気味に少しだけ前のめりに話を続ける。


「半年前、倉庫の部誌を処分することになったんです。その時に欲しいものがあれば持って帰っていいと言われ、そこで見つけたのが古川さんの作品なんです。始めはこれだけ題名がない程度にしか思ってなかったです。でも中身を見て本当に驚きました。だって私の大好きなエレナ様の小説だったんですから」

「でもこの小説だけで、よく今の俺がこれの作者だって分かったな」

「ファンなら当然です。私がこの半年、何百回とこの小説『Elena/zero』を読み返しました。古川さんの文体や作品の雰囲気、それによく使う表現などは全部頭に刻み込まれています。まあ正確にはElena/zeroを皮切りに古川さんの部誌の作品を全部読んだということもありますけどね」


 と言うことは初心者の頃のあれやこれの作品も読まれているのだろう。開いている過去の自分の小説に目を向ける。


 文章力は拙いし、句読点も少なく読み辛い。文法も滅茶苦茶なところもあるし、漢字の誤用も目に付く。今だって一人前とは言えないし、この時の俺は半人前すら程遠かっただろう。


 これでは黒歴史を晒されているようなものだ。だが実力不足を感じても、不思議と恥ずかしいという気持ちは少しもなかった。


(それはきっと、あの時の俺がただ一生懸命で、小説を書くことが本当に楽しかったからなんだろうな)


 本を閉じるとそれを未来に返す。彼女はそれを丁寧に仕舞うと代わりにスケッチブックを取り出した。それは先ほどとは別の物のようだ。また何かイラストを見せてくれるのだろうか。俺がそう思っていると未来が喋り出す。


「話した通り、見ての通り、私は感情表現がとても苦手です。心の内から溢れる想いが見えず、大好きなエレナ様のイラストすらお手本がなければ何も描けませんでした」

「でした? と言うことは今は」

「はい。私は光を与えてもらいました」


 未来はスケッチブックの一ページ目を開くとそれを俺に手渡していく。そこには満面の笑みを浮かべたエレナ・アイスハートの姿があった。


 彼女の印象的な笑顔は本編で二度ほどある。だが年頃の少女のように、無邪気な笑みを浮かべたシーンは存在しないはずだ。そのはずなのに。


(俺はこの顔を知っている。見たことなど一度もない。だけど俺は彼女のこの表情を書くために四カ月間執筆を続けてきたんだ)


 俺の表情から何かを感じ取ったのだろう。未来は話を続ける。


「Elena/zeroの六十六ページ、エレナ様に初めて同年代の友達が出来た時のシーンを想い描きました。私は古川さんの小説を読んで初めて模写以外のイラストを描くことが出来たんです。古川さんが私に笑顔を教えてくれたんです。と言ってもまだ一枚だけなんですけどね」


 そう口にする未来はまるでイラストのエレナに引っ張られるように、本当に、本当に少しだけ笑みを浮かべたように見えた。


 だがそれが錯覚と思うほど、次の瞬間には真剣な眼差しで俺の瞳を覗き込んでいた。


「先ほど私は一緒に同人誌を作ってくださいと言いました。でもそれはズルい言い方ですね。古川さん」

「お、おう」

「私が大好きなエレナ様を描くために力を貸してもらえないでしょうか。私にできることなら何でもします。どうか、どうかよろしくお願いします」


 そう言って未来は深々と頭を下げていく。きっとこれで未来は全てを伝えた。今度は俺の番だ。


(俺は、俺は…………)


 答えに詰まると視線は自然とエレナのイラストに向けられる。そこに描かれた彼女の笑みを見ると、大学時代の苦いモヤモヤがゆっくりと晴れていく気がした。


(……そうか、あの時の君はこんなふうに笑っていたんだな)


 悩むふりはもうやめよう。このイラストを見た瞬間、もう答えは決まっていた。


「…………条件がある」

「は、はい」

「時間が出来た時でいいから、色紙にエレナのイラストを描いてくれないか……部屋に飾りたいから」

「――――そ、それでは!」

「今の俺に何が出来るか分からない。でも俺の文章で役に立つなら一緒に――――」

「古川さんだから良いんです。不束者ですがよろしくお願いします!」


 そう言って未来は俺の手を握り締めブンブンと上下に動かしていく。俺の言葉が本当に嬉しかったのか、未来は目に少しだけ涙を浮かべている。俺は俺でいきなり握られた彼女の熱に、少しだけ胸の鼓動が早くなった気がした。


(って、俺はこんな年下の女の子に何を考えてるんだか)


 中年のおっさんがなんて気持ち悪い。心の中で自分を叱咤し彼女の手から離れていく。


「さて、でもここらで一度解散するか。終電は余裕だけど遅くなりすぎるのもあれだろうし。連絡はどうしようか? 俺はSNSやってないからメールか埼文付近まで足伸ばしてもいいけど」

「と言うことは今も埼玉にお住みなんですね。でしたら……一つ提案というかお願いがあるのですが」


 未来は祈るように胸に手を当てその望みを口にする。


「もしよろしかったら、古川さんのお家に行かせてもらえないでしょうか」

「………………えっ?」


 予想もしていなかった提案に俺は思わず気の抜けた声を上げてしまうのだった。




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