第2話:空っぽの愛情表現
失礼ながら零細ジャンル専門の美人局でないかと疑ってしまった。正直、イベント終了と共にその場から逃げ出したい気持ちはあった。
だが彼女の言葉で呆気に取られ、荷物の配送をすっかり忘れてしまった。段ボール三つを自力で持って帰ることは出来ない。コンビニで送るにしても残り二つの荷物番が必要だ。
俺は結局彼女に頼るしかなかった。名前も知らない彼女に荷物を見張ってもらい俺は荷物の配送を終える。そうして逃げるタイミングを失った俺は彼女と共に駅前のコーヒーショップに入った。
(チェーン店のここなら、最悪走って逃げることも出来るだろう)
あまり人を疑うのは良くないが、信用するにも情報が足りない。俺と彼女はそれぞれホットコーヒーとカフェオレを持って対面の席に座る。
「ごめんなさい。私が時間ギリギリに話しかけたせいで」
そう言って彼女は無表情のままペコリと頭を下げる。
「いや、俺もぼおっとしっちゃってたし、君だけの、えーっと」
「そう言えば自己紹介もまだでしたね……私は前園未来と言います」
「俺は古川悠介です。荷物番ありがとうございました」
自己紹介するとお互いペコペコと頭を下げる。流れで本名を言ってしまったが今更考えても仕方ないだろう。
さて、何から話したらいいだろうか。正直、いま先ほどの本題に入られても何をどう会話していいか分からない。俺は視線を漂わせながら、唯一の共通点を話題にする。
「あの、結構古い作品ですけど、マギカナイツが好きなんですね」
「はい。可愛らしいキャラクターデザインから描かれる苛烈な戦闘のギャップが本当に魅力的でした」
マギカナイツの話題を出すと未来の目が少しだけ輝く。彼女はカフェオレのコップを柔らかく握り話を続ける。
「その中でも、儚い見た目のエレナ様が身の丈以上のハルバードを振り回す姿のギャップに一目惚れしました」
「――――そう、そうだよな! 雪のように儚く可憐な外見から、あんな武骨な武器を持ち出してくるのは本当に最高だよな! あっ、最高ですよね」
「ため口で大丈夫です。私はまだ大学一年生、十八歳の若輩者ですので」
どうやら彼女とは干支一周分の歳の差があるようだ。まあ彼女がそう言うなら、俺も口調を変える。
「それでは改めて……エレナは魔法生命体として生み出されているのに魔法を一切使えず、武骨な武器のみで戦う。魔法絶対主義の魔法文明の考えと相反しているのも設定が重くてほんと好きなんだよな!」
「彼女は体が成長しない魔法生命体。第一シーズンでは主人公たちのお姉さん的なポジションを担っていましたが、故に第二シーズンでは見た目が年下になっているのが私は凄く好きです」
「でも中身はしっかりとお姉さんというのも、見た目とのギャップでめっちゃ最高だよな!」
「凄く分かります」
「ちなみに一番好きなシーンは?」
「第十九話『世界の守護者達(前編)』と即答したいところですけど、初登場シーンも捨てがたいです。正直、高台で佇む姿を見て一目惚れしたので」
「――――わかるっ! いやいや、これはこっちの言い方が悪かったな。前園さんの好きなエレナのシーンってどれくらいあるかな?」
「それなら数えきれないほどありますね」
未来は無表情だが、確かな自信を込めて口にする。その言葉を聞いて俺はグッと自分の手を握り締めた。
その話を口火に俺と未来のオタトークは盛り上がりを見せる。エレナのここ好きポイントから彼女の初登場シーン、また名場面シーンなど会話が尽きることはなかった。
テンション爆上がりの俺とは違い、未来は表情一つ変えない。だがそれでもこの会話を楽しんでくれていることはその声色から十分理解できた。
楽しい、楽しい、楽しい、楽しい! マギカナイツの話を、しかもエレナ・アイスハートの話だけをこんなに全力で話せたことなど今まで一度もなかった。
(もう美人局でもいい! ここまで全力で話せたんだから数万くらいだったら払ってやるよ!)
既に俺の気持ちは完全に振り切っていた。俺はこの十五年の想いを全て吐き出すように次々と話題を上げていくのだった。
そうして時間が流れ、お互い満足したような顔で飲み物を口に運ぶ。するとその冷えっぷりに目を見開いた。
「…………もう二時間経ってたのか」
「エレナ様の話をしていたらあっという間でしたね」
楽しい時間はあっという間とはよく言ったものだ。終電の時間にはまだまだ余裕はある。だがこのままマギカナイツの話をしてお終いというわけにはいかないだろう。未来もそれを感じ取ったのは「コホン」とわざとらしく咳き込んでいった。
「話が随分と脱線してしまいました。でもこうやってエレナ様についてお話しできてより確信しました。やはりそんな古川さんだからこそ、私と一緒にエレナ様の同人誌を作って欲しいんです」
「一緒に同人誌を作るって言っても、俺と組んだところで何のメリットもないぞ? SNSはやってないし、今日だって前園さんがいなかったら一冊も売れなかった零細サークルだし」
「有名になるとか売上とかは正直どうでもいいんです。私は私が満足できるエレナ様のイラストを描くことが出来ればそれだけで本望ですので」
そう言葉にする未来に嘘偽りはないように見えた。ただそうなると余計に分からない。納得できるイラストを描くだけが目的なら、サークル参加するなり、ネットに挙げればいいものだろう。
そう俺が疑問に思うことを未来は当然のように理解しているようだ。一度大きく深呼吸をすると少し緊張した顔でバッグに手を入れる。そして、少し震える手でA4サイズのスケッチブックを差し出した。
「まずはこれを見てもらえませんか」
未来の手が微かに震えていることに気づいた俺は、そのスケッチブックを慎重に受け取った。俺は促されるままに最初のページを開いていく。そうして紙いっぱいに描かれたエレナの姿を見て、俺は思わず瞬きを忘れてしまう。
(この斜め後ろの構図は初登場シーンだな。それにしても……めちゃくちゃ上手いな)
まるで原画をそのままキャプチャーしたかのような精巧な出来栄えだ。俺は興奮気味に次のページ、さらに次のページと捲っていく。するとそのどのページにもエレナがアニメシーンが描かれていた。
自分がエレナオタクということもある。だがどのシーンかを一発で連想させるクオリティは圧巻の一言だった。
まるでエレナの活躍をダイジェストで眺めているようだ。だがどういうことだろうか。これだけクオリティの高いイラストを前にしているはずなのに、俺の心は少しずつ落ち着いていった。
マギカナイツの、しかもエレナのイラストは喉から手が出るほど欲しい供給だったはずなのにだ。全てを見終えるとスケッチブックを未来に返す。未来はそれを受け取ると寂しげに俯いた。
「どうですか私のイラストは」
「……凄く上手いと思う」
「そう言っていただけて嬉しいです。でも、それだけですよね」
そう言われると言葉に詰まってしまう。だが確かにそうなのだ。未来のイラストは繊細で一切の狂いもない。だがアニメの映像をそのまま描いているに過ぎないのだ。
このイラストから未来らしさが何も見えてこない。言ってしまえばただの模写、悪く言えば公式の劣化でしかない。
流石に言葉に出来ないが、俺の顔を見てそれを悟ったのだろう。未来は寂しそうな表情を浮かべる。
「私はいつもこうなんです。感情を表に出すのが下手で、いつもこんな仏頂面で。さっきだって古川さんとエレナ様の話を出来て本当に楽しかった。でも私はにこりとも笑わなかったはずです」
「それは…………」
「二次創作は心の内から溢れ出るものを形にする究極の愛情表現だと思います。でも私にはそういう感情が全然湧かないんです。もちろん創作をすることだけが愛情表現ではない、それは分かっているつもりです。でも私は………」
未来はそう言うと顔を俯かせる。彼女の言葉通りその表情にはほとんど変化がない。だがその目には涙が溜まり始めていた。
「私はマギカナイツの世界が好きで、こんなにもエレナ様のことが大好きなのに。それでも描きたいイラストが何も思い浮かばないんです。こんなことで悩んでいる私は……もしかして本当は作品を愛していないのでしょうか……」
そう言葉にすると未来は無表情のまま、大粒の涙をぽろぽろと流し始めた。涙が彼女の頬を静かに伝い落ちる様子は、その無表情さとの対比でより一層彼女の内面の悲しみを浮き彫りにした。
だがそうではない。愛していないという言葉だけは違うと俺は確信していた。
(例えそれが公式の模写だとしてもあれだけのクオリティだ。そこに辿り着くまでにどれだけ努力をしてきたかは考えるまでもないだろう)
同時に彼女がエレナの全てのシーンの模写を終えた時、その心に宿った絶望を推し量ることは出来ない。今日出会ったばかりの俺は彼女のことを何も知らない。だがそれでも一つだけ確かなことはあった。
「前園さんはマギカナイツが、エレナ・アイスハートが本当に大好きなんだな」
「えっ……?」
「だってそうだろう。水分補給もろくにせずに二時間ずっとエレナについて語り続けた。それにさっきのスケッチブック、マギカナイツを愛していないならそんな細かく描写できないはずだ」
「でも私、自分の好きだって想いを何も形に出来なくて、何の感情も沸いてこないんです」
「感情なら沸いてるじゃないか」
そう言って俺は自分の頬をトントンと叩く。つられて未来も頬を触るとそこには彼女の涙があった。
「前園さんにはちゃんと感情があるよ。だって今の自分が悔しくて悲しいからその涙が流れているんだろう。前園さんの言う通り、もしかしたら前園さんは感情を表現するのが苦手なのかもしれない。でもそんな自分を変えたいと動き出せる行動力がある。俺はそれを素晴らしいことだと思うよ」
そう言って鞄から使っていないハンドタオルを手渡す。未来は「ごめんなさい」とそれを受け取った。
「……私、ちゃんとマギカナイツのことが好きなんでしょうか」
「少なくとも俺と同じレベルでは好きだと思うよ。というか、アニメの細かい描写で言えば俺よりもずっと詳しいと思うし」
「そ、そんな古川さんの想いには全然及びませんよ。でも、そうですね」
未来はハンドタオルで涙を拭う。そして真っ直ぐ俺の目を見つめる。
「古川さんにそう言ってもらえて、初めて誰かに私の好きを肯定してもらえて、本当に嬉しいです」
そう口にする彼女はやはりにこりとも笑っていない。だがそれでも心の底から喜んでいることをしっかり感じ取ることが出来た。
さて、だがそうなってくると次は自分の問題だ。俺は少し困ったように後頭部を掻く。
「えーっと、前園さんの想いは理解したんだけど、そうなってくると俺じゃない方がいいんじゃないかな」
「どうしてですか?」
「だって俺なんてダラダラ同人活動を続けてきただけだし、前園さんに応えらえる熱はもうないと思うんだ」
未来のことを手伝いたという気持ちはある。だが俺の二次創作への熱は既に燃えカスになっていた。
俺だって適当に引退を考えたわけではない。今日のイベントはそれだけの覚悟と諦めを持って参加したのだ。
「前園さんは大学生? サークルとかは?」
「大学一年生です。サークルはSF漫画文芸部に所属しています」
「めちゃくちゃキメラな部活だな。でもそれだったら同じ部活の子に頼んだ方がいいんじゃないか? 作業の打ち合わせもしやすし、感性も若い方が合うだろうし」
「確かに一時期はその可能性も考えました。でも私はやっぱり古川さんと本が作りたいんです」
「…………それは俺がエレナ・アイスハートの小説をずっと書いているからか?」
マギカナイツは十五年前の古い作品で、今の子は確かに知らないだろう。だが今は昔と違い多くのアニメをサブスクで見ることが出来る。ハマってくれるかは時の運だが、それでも広める努力は出来るはずだ。
未来の心の苦しみは確かに分かる。だがもし俺という存在が彼女自身に都合が良いという話だけなのだとしたら、あまり心地のいいものではない。
無表情の彼女からは感情の機微が読み取り辛い。俺が少しだけ眉をひそめると未来はブンブンと激しく首を横に振る。
「それは違います。例え古川さんが別のジャンルに移っていたとしても、私はやっぱり古川さんと本が作りたかったです。でもジャンルを移ってなかったからこそ古川さんを見つけることが出来たわけですが」
「どうしてそこまで俺に?」
「だって私、古川さんの大ファンですから」
「えっ……? で、でも俺と前園さんは初対面だよね??」
既刊と新刊を全部買っていったのもその証拠だろう。いまいち話が繋がらないと少しだけ訝しんでしまう。そんな俺の顔を見て未来は「あっ」と声を漏らす。
「ごめんなさい。私ばっかり盛り上がってしまいました。確かに私と古川さんは初対面です。でも私は半年前から古川さんが書くエレナ様が大好きなんです」
そこで一度言葉を止めると未来はバッグから一冊の本を取り出す。それは水色の厚紙に包まれたコピー誌のようだ。むき出しのホッチキス止めに荒々しさが見える。手渡され改めて見るとその本には題名がついていないようだ。
「…………あれ、これって」
厚紙の触り心地になぜか懐かしさを感じる。俺はこの本を知っている。だけどいったいどこで。
「――――あっ」
ここまで点だった情報が一気に線に変わる。これは俺が作った本だ。だがこれはただの一冊も頒布してはいない。頒布できなかったのだ。
「もしかして君の大学って」
「はい、私は埼玉の埼文大学に通っています」
その懐かしい響きは俺の母校の名前だった。