第11話:私の気分は今日も明日も明後日も
激動のためか十月はあっという間に過ぎ去った気がする。
十一月、出社するために家を出ると空気がひんやりと冷たく感じられる。そろそろコートの出番かもしれない。そう思い階段を下ると、見覚えのある薄紫のハーフアップの後姿が見えた。
「どういうことだ??」
今日は平日だ。俺に会社があるように彼女にも大学があるだろう。一瞬、俺ではない誰かを待っているのではと思うが、流石にこの場所にいてそれはないだろう。
「前園さん!」
「………………」
俺が声を上げると未来がゆっくり振り向く。相も変わらずの無表情だ。さらに今日はなぜか無口だった。無視をしているわけではない。むしろその目は何かを強く訴えかけていた。
彼女の眼力を見て俺は日曜日のことを思い出す。俺は辺りを見渡し、一応人がいないことを確認するとぼそぼそとした声を出す。
「おっ、おはよう……未来……」
「はい、おはようございます悠介さん。初めて見ましたけどスーツ姿、とても似合ってます」
「お、おお、ありがとう」
未来は満足げに少しだけ口角を上げた。俺は女性の名前呼びに心拍数を上げながらも言葉を続ける。
「こんな朝早くどうしたんだ? うちに何か忘れものでもしたのか??」
彼女が帰る前に一応確認はしたはずだが、見落としということもあるだろう。俺がそう尋ねると未来はゆっくりと首を横に振った。
「悠介さんはいつもこのくらいの時間に出社ですか?」
「まあだいたいこの時間かな」
「今日のお昼は何を食べる予定ですか?」
「お昼はだいたい最寄りのコンビニで買うからその時の気分次第かな」
「そうですか。なら良かったです」
未来はそう言うと鞄の中からランチバックを取り出し俺に差し出した。
「これ、お弁当です。コンビニのように多種多様とはいかないのでそこは申し訳ないのですが」
「えっ、俺に………………何で???」
「だって気が向いたときにお弁当を作って欲しいって言ったのは悠介さんですよ。今日は私の気が向いたので是非とも持って行ってください」
そう言って未来はズズイとランチバックを押し付けていく。俺はその勢いに押されるままに「お、おお」とそれを受け取るしかなかった。
「す、すまん。催促したみたいなっていたかな」
「全然そんなことありませんよ。それに一人分も二人分も対して変わりませんし、卵焼きを褒めてくれたのも嬉しかったので」
「それならいいんだけど……頂けるのは嬉しいけどだけどあまり無理をしないでくれよ」
「はい、無理はしません。あくまで私の気が向いたときに気が向いたようにお弁当を作りたいと思います」
「な、ならよかった」
多めにお金を渡して逆に気を遣わせてしまったかもしれないが、その言葉を聞けてようやく肩の荷が下りる。そんな安堵している俺とは逆に未来は悪戯っぽい声を上げた。
「多分明日も明後日も明々後日も私の気が向くと思うので、お昼は出来るだけ買わないでおいてくださいね」
「…………今何と」
「それじゃあ駅に向かいましょう、悠介さん」
言うだけ言うと未来は背を向け駅へと歩き出す。俺は鳩が豆鉄砲を食ったようにあんぐりと口を開いていたが、そうではないと激しく首を振る。
「いやいやいやいやいや、そうじゃないから! そういう理由で多めにお金を渡したわけじゃないから‼」
これでは逆に気を遣わせてしまっているじゃないか。俺は誤解を解こうと未来の横につく。未来は取り乱した俺の顔を見て少しだけ頬を緩ませた。
「大丈夫です。私もそんなつもりでお弁当を作りたいわけではありませんから」
そう言って未来はベッと舌を少しだけ出すと、すぐに顔を背けてしまった。
ただでさえ表情が読み辛いのにこうなってしまっては完全にお手上げだ。俺はどうしたものかと頭を抱えると無い知恵をひたすら絞っていく。
その後、何とか説得してお弁当は未来の一限がある月、水、金の三回ということにしてもらった。気を利かせたつもりが、随分と気を遣わせてしまったようだと反省していくのだった。
◆
「はぁ~、ここの公園はいつきても和やかでいいな~」
土曜日の昼下がり、少し気分を変えて近場の公園に来ていた。木々がそよぎ、鳥の歌声が心地よい。駅から少し遠いからか人は少ないが、それでも公園は和やかな雰囲気に満ちていた。
俺は少し遅めのお昼に買ったコロッケパンと板チョコの入った菓子パン、さらに微糖のコーヒーを取り出す。学生から社会人まで、俺のお昼を支えた殿堂的組み合わせだ。
「味も量も申し分ないし不満なんて全くなかったんだけどな。さて…………試してみるか」
ゆっくり判定をするには仕事休みの今日が最適だろう。俺は封を開くとコロッケパンを口に運ぶ。わざとらしいソース味が口に広がると微糖のコーヒーを飲む。さらに口内が苦みを帯びたところに板チョコパンを口に運ぶと甘味をより深く感じられた。
俺は食に関してあまり冒険をしない方だ。美味しいものがあったら毎回それを買うし、同じ味でも飽きることなどなかった。ずっとそうだったし、これからもそれは変わらないと思っていた。だが今はどうだろうか。
「………………こんなに味気なかったっけ」
再び同じサイクルで口に運ぶ。だが俺の物足りなさは解消されなかった。理由は分かる。というか一つしかない。
「未来のやつ…………料理上手過ぎだろう」
俺の胃袋はたった三回のお弁当で完全に掴まれてしまった。
鶏胸肉のグリルと味の染み込んだきんぴらごぼう。ミニハンバーグやポテトサラダ、さらにサバの塩焼きや煮物などボリュームと同時に健康にも気を遣われていた。
「おにぎりも毎回具が違うし、それに……あの卵焼きが本当に美味いんだよな」
それぞれ人には家庭の味があると思う。だが未来の作る卵焼きは見事に俺の舌にクリーンヒットだった。あんな美味しいお弁当を作られては、コンビニパンが味気なく感じるのも仕方がないだろう。
未来のお弁当を思い出しながら無の顔でパンを食べる。全て食べ終えると俺は深くため息をついた。
「はぁ~、卵焼きが恋しいな~~」
「悠介さん?」
「えっ……うおおおおっ⁉」
驚きのあまり思いきり後ずさり勢いのあまりひじ掛けに腰をぶつけてしまう。俺は「ううっ」と腰に手を当てると未来が顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか悠介さん‼」
「だ、大丈夫だ。って、いつの間に隣にいたんだ」
「いま来たところです。悠介さん、何か難しい顔をしていたので声をかけていいか少し悩んでいたので。何かあったんですか? 私に何か力になれることはありますか?」
「いや、そんな深刻な話じゃないんだ。すまん、変に心配をかけてしまって」
と言うことは独り言はほとんど聞かれていないだろう。もしあれを聞かれては弁当の催促をしているようなものだ。俺は心の中でセーフと思いながら心を落ち着かせていく。
そんな俺とは逆に未来は慌ただしくバッグの中を漁ると弁当箱を取り出していく。彼女もこれからお昼なのだろうかとぼんやり思っていると、箸で卵焼きをつまみ上げた。
「悠介さんどうぞ!」
言葉と共にググっと卵焼きが口元に押し付けられる。俺はあまりの脈絡のなさに目をぱちくりさせた。
「あ、あのこれは……?」
「だって悠介さん、絞り出すように卵焼きが食べたいって言ってたじゃないですか。ここには私が作ったものしかありませんが良ければ食べてください」
どうやら最後の言葉だけは聞かれていたようだ。俺はしまったと心の中で頭を抱える。
「あ、あれは言葉のあやと言うかなんというか……」
「卵焼きが食べたいって言葉がですか?」
「いや、まあ、えっと…………」
流石に無理があることは俺でもわかる。どう答えたらいいかと思い悩む、だがそんな俺の姿を見て未来はシュンと顔を俯かせた。
「もしかして私の味付けが良くなかったのでしょうか。悠介さんはもっと普通の卵焼きが食べたい、だから卵焼きが恋しいって…………」
「いやいやいやいやいや、違う違う違う! そんなこと全然ないって‼」
「でもならどうして落ち込んだ顔であんなことを?」
「いや~、それは………」
俺が言いよどんでしまうと、未来の表情に陰りが見える。
「いやいやいや、卵焼きが食べたいって言ったのは、あの……」
そこで一度言葉に詰まってしまうが、それでも未来の目を見て言葉を続ける。
「未来が作ってくれた卵焼きが本当に俺好みの味で最高だったから……急に食べたくなって思わず声に出たんだ……」
苦しい、あまりにも苦し過ぎるか。だが弁当の話をしては未来にさらに負担をかけてしまう。俺はチラっと彼女の方を見る。未来は目をぱちくりさせ俺と視線を合わせた。
「それなら良かったです。では悠介さんどうぞ」
「ど、どうぞって」
「だって私の卵焼きを食べたかったんですよね? はい、あーんです」
そう言って彼女は顔色一つ変えずに卵焼きを差し出してくる。だがここで断ってしまっては元の木阿弥だ。俺は恥ずかしさで逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え口を開く。
「あ、あーん、うむ」
卵焼きを口に入れると、本当に俺好みのほんのりとした甘みとふんわりとした柔らかさが口いっぱいに広がる。
(あ~~、やっぱり美味いんだよな~~)
もうここまでされてしまったのだから、観念して幸せの余韻に浸ろう。俺は完全に未来に胃袋を掴まれてしまったことを思いつつも、ゆっくり卵焼きを味わっていく。
そんな俺を見て未来はほんの少しだけ目を細めた。
「まだありますからゆっくり味わってくださいね」
「でもそれじゃあ未来のお昼が」
「でしたらこのあとで一緒にクレープを食べましょう。この公園のクレープ美味しんですよ」
「そう言うことなら!」
その時は何と言われても俺が全額だそう。そう強く心に刻み込むと口の中の卵焼きを食べ終える。
未来は再び卵焼きを掴むと俺に差し出してきた。
「はい、悠介さん。あーん」
「いや、別に食べさせてもらわなくても」
「あーん」
「あ、あーん」
有無言わせない圧力で俺は再び口を開く。その様子を未来は少し満足げに眺めていくのだった。




