第1話:始まりのエンドロール
「これで俺の同人活動もお終いか」
俺、古川悠介(30)は、全く動かない同人誌を見てつぶやいた。
十月に入り、朝晩の空気がひんやりとしてきたが、同人誌の即売会場は熱気に満ちていた。入り口からは歓声や笑い声、ざわめきが聞こえてくる。
サークルのテーブルには色とりどりの同人誌が並ぶ。しかし、俺のテーブルだけは寂しげに『マギカナイツ』の同人小説が積まれている。
『マギカナイツ』。魔法使いと機械生命体が争う世界で、主人公たちが真の平和を目指すアニメオリジナル作品。その放映から十五年が経った。学生だった俺も今や三十歳だ。この十五年で多くのアニメが流行り、消えていった。マギカナイツサークルが自分しかいないのがその証だ。
それでも俺はマギカナイツに拘り続けていた。いや、ただ意地になっていただけかもしれない。だが、創作意欲はもう燃えカスしか残っていない。だからこそ、今日のイベントを最後に、二次創作から足を洗うと決めていた。
スマホを取り出して時間を確認する。イベントの終了まで残り十五分。最後なのでギリギリまで粘ったが、そろそろ限界だ。
「配送の準備をしないとな」
新刊と既刊は十種類。持ち帰るのは無理だ。俺が机の下の段ボールに手を伸ばそうとした時、耳心地のいい革靴の音が聞こえた。
足音の主は相当急いでいるようだ。走らないように、それでも全力で歩いているのが聞いて取れた。
(まあ俺には関係ないか)
と帰り支度の準備をする。そうして机の下から顔を上げた時だ。サークルの前に立つ女の子と目が合った。
小柄な体格を見るに高校生くらいだろうか。その容姿は静かな美しさを宿したフランス人形のようで、髪はハーフアップスタイルでまとめられていた。その髪が彼女の顔の輪郭を優雅に引き立て、透明感のある肌をさらに際立たせている。
白のニットセーターとプリーツスカートの清潔感あるシンプルなスタイルは、彼女の内に秘められた静かな気品をさらに際立たせているようにも思える。
その容姿に周りの人間は男女問わずはざわめき目を奪われている。だが彼女と相対している俺はその表情に圧倒されていた。
「……………………」
(あっ、圧が物凄いな)
その表情から感情の変化を一切読み取ることが出来ない。過剰なまでに整った顔立ちもあり少し不気味さを感じるほどだ。だが配送の時間もあるため、このまま黙っているわけにはいかない。俺は決死の覚悟で口を開いた。
「えっと何か御用でしょうか?」
俺がそう聞くと彼女は無表情のまま大きく深呼吸する。そして俺の顔とテーブルの作品を交互に見た。
「こちらは『氷の本棚』様でしょうか」
「は、はい、うちのサークルです」
「読ませてもらってもいいでしょうか」
何をと答えそうになるのをぐっと抑える。この数年、ジャンルの島買いのおじさんのみが読者だった。そんな俺にとってその断りは久しぶりに聞く言葉だったからだ。
「ど、どうぞ」
「ありがとうございます」
俺の了承を得ると彼女は端の本を手に取る。そしてペラペラと数ページ捲るとすぐに机に置く。さらにもう一冊、またもう一冊と同じ動作を繰り返していった。
そうしている間も彼女は眉一つ動かすことはない。その反応を見て俺は心の中で平謝りする。
(すまんな。俺の小説は表紙絵も挿絵も一切ないんだ)
本を開き「なんだ小説か」という反応にはもう慣れている。
俺のサークルを訪ねたということは彼女もマギカナイツに興味があるのだろう。だが俺はきっと彼女の希望に沿うことは出来ない。
(だって俺はこの十五年間ずっと――――)
「もしかして、ここにある小説全部『エレナ・アイスハート』のお話ですか?」
「そうですね。主人公グループやライバルも好きなんですけど、俺は彼女が一番好きで」
「…………そうですか」
彼女はそう言って持っていた本を机の上に戻す。もう残りを見るまでもないということだろう。人気どころを取り扱ってない故の反応。それもまた長い同人生活で慣れたものだ。
だが俺の悲観的な考えと、彼女の取った行動は真逆だった。
「…………見つけた」
彼女はそう言うと無表情のままスッと白い皮財布を取り出す。そして何を焦っているのか、あたふたした手つきでお札を取り出していった。
「一冊ください」
まさかのお買い上げだ。あまりにも売れなさ過ぎて幻覚でも見ているのかと思った。だが彼女の真剣な顔を見て俺はすぐに椅子から立ち上がる。
「お、お買い上げありがとうございます。えっと新刊? それとも既刊のどれかですか??」
「言葉足らずでした――――ここにある本、全て一冊ずつ下さい」
淡々と述べると彼女は頭を下げ五千円札を突き出してくる。五百円の小説本が十種類、ぴったりの金額だ。今度こそ都合のいい夢なのだろうと頬をつねる。
(痛い、ってことは夢じゃない……?)
最後のイベントの閉場ギリギリ、ありがたいことに俺の小説は売れた。しかも一冊ではなく、合計で十冊という部数がだ。
実感が追い付くと体に緊張が走る。俺は震える手で五千円札を受け取るとテーブルの本を一冊ずつまとめていった。
「結構重いので注意してください」
「…………はい」
本を受け取る彼女は相変わらず無表情でいまいち気持ちが読めない。だが受け取った本を大切に抱きしめる姿を見て俺の心が少しだけ温かくなった。
(最後に、いい思い出が出来たな)
思ってもみないほどの綺麗な終わりを迎えることが出来た。これでもう俺の同人人生は思い残すことないと、頭の中でエンドロールが流れ始める。あとは帰り支度をするだけだ。だけなのだが。
「…………………」
目の前の彼女はとっくに本を仕舞い終えている。だがどうしてかその場から動こうとしなかった。お釣りはないはずだがどうしたのだろうか。
「えっと、何か?」
「――――――‼」
俺がじっと見つめたからか、彼女は頬を薄っすらと染め視線を逸らす。だがそれもほんの一瞬だ。彼女は決意を込めた瞳で再びこちらを見つめた。
「突然の話というのは理解しています。ですが時間もないのでまず結論だけ話させてください」
「は、はい……」
「私もエレナ・アイスハート様が本当に、本当に大好きなんです。だからどうか私と――――私と一緒にエレナ様の同人誌を作ってもらえませんか」
彼女がそう口にした瞬間、閉場時間を告げるアナウンスが会場に流れる。周りの一般やサークル参加者が拍手をするなか、俺はただ立ち尽くすことしか出来なかった。