6.離別に至る経緯①階段落ち
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ごくごく普通の友達付き合いだったはずが、それはちょうど去年の今時分。
もうすぐ冬服に衣替えかと思うと半袖解禁シャツが名残り惜しく感じる、まだ暑い九月下旬のことだった。
体育祭は五月に終わっていたが、九月末に行われる文化祭の準備が急ピッチで進められており、学校内は埃っぽく急き立てられるような騒々しさに満ちていた。
当時、クラスの文化祭運営委員になっていた雪子は、その日も小さな弁当――司ならひとくちだ――を食べ終わるなり大急ぎで教室を飛び出した。ひとり教室に残された司は、三段重ねの弁当箱を開いたままぼんやりと窓の外を眺めていた。
テニス部を引退した司は、夏休みの間も雪子と一緒に進学塾の夏期講習に通ったり買い物や映画に行くなど、学校外でも行動を共にすることが多かった。
というより、気付いた時には司の周りから雪子以外の女子が消えていたのだ。
特定の相手との付き合いが深ければ、ほかの相手とは浅くなるものである。そんなわけで司はさして気にもしなかったし、もともと大雑把な性分だった。
また二人の成績も似たり寄ったりで、高校を選択する余地のない地方都市とあっては、進学先も一緒の腐れ縁になるだろう。そんな風に漠然と思っていたのだ。
五時限目の予鈴が鳴る前に用を足そうと席を立った司だが、聞き覚えのある甘いかすれ声に気付いて向きを変えた。
トイレの前を素通りし、廊下の端にある階段へ行ってみた。
階段を見上げれば、模造紙の束を詰め込んだダンボールを抱えた雪子達が、ちょうど踊り場を回って降りてくるところだった。
目の前の荷物が邪魔で、雪子はこちらに気付いていないようだ。
雪子が階段を降りようと足を踏み出し掛けた、まさに次の瞬間である。
「それで、司ちゃんったらね、映画が始まったらもう爆睡で――――きゃっ!?」
上の階段の手すりから誰かの手が伸びてきて、雪子の身体を押したのだ。
バランスを崩し足を踏み外した雪子は、放り出したダンボールごと宙を落ちてくる。下に居た司は咄嗟にダンボールだけを避け、どうにか雪子の小さな身体を抱き止めることに成功した。しかし、まったくの無傷というわけにはいかなかった。
雪子の身体を抱えたまま勢い余って後ろに倒れた司は受け身を取り損ない、後頭部を強く廊下に打ち付けてしまったのである。
数秒から数十秒ほどなのか、ロストした意識が少しずつ甦ってくる。
落ちてきたのが自分でなくて良かったと、司は夢うつつの中で思った。小柄な雪子が司を受け止める側に回ったりしたら、打ち身ぐらいじゃ済まないだろう。
身体を預けてくる雪子の重みを、ぼんやりと感じていた司だったが、
――……ん、あ?
司のはだけた開襟シャツの胸元に、形容しがたい面妖な感覚が走った。
それは小さな頃にいたずらをしてアイロンで火傷をした時に似ていて、ぴりっともあちっともいうような、おかしな感覚だった。
眼を開けると、自分の胸に顔を押し付けている雪子の小さな頭が見えた。まさに黒炭のような黒く長い髪が辺りに散って、その幻想的な光景に頭がくらくらする。
弾かれたように頭を上げた雪子の小さな唇から、白い歯と赤い舌が覗いていた。
一瞬、いたずらを見咎められた子供みたいな顔をした雪子だが、すぐにゴメンねと言いながら司の胸に頬をすり寄せたのだ。今度は逆に、胸元の辺りがすうすうし始める。熱く濡れた何かが胸元に触れ、そして離れて冷えた。
すなわち、それは。
――なっ、舐められ……!?
そうする間にもギャラリーはどんどん増え、倒れている二人を取り巻いた。
後頭部が割れるようにズキズキと痛み出し、通りすがりの教師までやってきて大丈夫かと声を掛ける。混乱する思考に、状況が追い打ちを掛け――
果たして、司の脳内処理能力がパンクした。
「――だっ、大丈夫です平気です、このぐらい、なんてことないですっ!」
「つ、司ちゃんっ!?」
そう言いながら雪子の柔らかな身体を乱暴に押し退け、そのまま上履きをバタバタ鳴らして一階の保健室まで全速力で走った。