5.猫を追う②どうして?
「そうそうマンチカン、マンチカン」
とっても人気のある猫ちゃんなのよと喋り続ける雪子の母親に、
「なるほど。何度か見掛けたんですが、ただの迷い猫にしてはと思ってました」
「うふふ。ちょっと前まではべらぼうに高かったけど、今はかなり、お求めやすくなっているのではないかしら」
「そうなんですね」
適度な相槌を打ちながら、気付かれないように庭の隅へと視線を飛ばす。
高科夫妻の愛娘である雪子は、サンゴジュの垣根に細身の身体を凭せ掛けるようにして佇んでいた。白の編み上げヘッドドレスに包まれた小さな顔を心持ち傾け、滲んだ半月をぼんやり見上げているばかりである。
思わず見惚るような浮世離れした雰囲気を醸し出していたけれど、大汗かいて子猫を追い掛け回している司からすれば、そんな風情どころではなかった。雪子の気まぐれな気性を熟知しているのか、高科夫婦は絶賛ネグレクト状態である。
――雪子も高みの見物してないで四方から囲めば、捕獲率が上がるんじゃ?
司の心にそう浮んだだけだったのに、
「無理よ。マンチカンは猫のスポーツカーって言われるほど素早いんだから」
庭の隅から、すかさず返事が飛んでくる。恐ろしいほどの察しの良さだ。
司はわざと聞こえない振りをした。そして、右の隣家の壁面を使って二方向から子猫を追い詰めようと、雪子の母親に提案を持ち掛ける。
「さすが司さん、頼りになるわー。お父さん、休んでないでちょっと来てー」
この捕り物に加わることなく、自分をずっと見詰めている子猫のように大きな瞳。司には分かっていた。気まぐれなように見えて、本当は違う。
迷い猫捜索に加わった最初から、ずっとそうだった。
雪子のロリータ趣味は元からだが、なぜ高科夫妻までもが白ネクタイに着物といった捕獲作業には不適切な格好をしているのかと、司がしげしげ眺めただけで、
「親戚の結婚式に行ってきたの。その帰り」
という答えが、間髪入れずに飛んでくるのだ。
雪子の母親から、子猫の名前がコユキと聞かされた時もそうだった。雪子の名前を引っ繰り返して付けただけってどうよ、と頬をヒクつかせただけで、
「コユキにすれば、名前を忘れることがないじゃない。どちらも白いんだから」
そう、雪子は全神経をこちらに集中しているのだ。
司の一挙手一投足を、見逃してなるものかというように気を張っている。
雪子が垣間見せる気まぐれやぼんやりではない真の姿は、怯え切ったコユキが背中の毛を逆立てて人間達を警戒する姿に不思議と重なって見えた。
雪子から無理やり視線を引き剥がした司は、軽く頭を振った。
「確認するわね。今度はあの隅に向かって、左からお父さん、右から私が寄せていくから。私達の間は、司さんがフォローしてちょうだい。これでいいかしら?」
雪子の母親が髪を振り乱して説明するのを、司はさも誠実そうに見えるよう力強く頷いた。こんな煩わしいことは一刻も早く終えてしまいたかった。
雪子の粘つくような視線が不快だし、Tシャツから伸びる浅黒い腕が、秋口の飢えた蚊に刺されまくっていることもある。早く虫刺されの薬が塗りたい。
「では、おじさんおばさん。これが最後のつもりで、気を引き締めていきま――」
ヒヤッとする何かが、左腕に触れた。
それはアイス○ンどころではない冷たさで、司の剥き出しの腕へ蛇のように絡み付く――雪子の細くて青白い腕だった。いつの間にか雪子が傍に来ていて、ひんやりとした腕を絡ませていたのだ。一瞬、司は頭の中が真っ白になって、
「ちっ、ちょっ! こんなことしてる場合じゃっ! コ、コ、コユキがっ!」
「どうして」
コユキらしき物体がドレスの裾をかすって逃げ去っても、雪子は意に介さないというように真っ直ぐ司の顔を見上げていた。
まだあどけなさの残る、黒目がちの濡れたような大きな瞳で、
「――どうして、私と違う高校に行ったの?」
べたべたするのはやめてくれ、そう言おうとした司の舌がにわかに凍り付く。
無理やり引き剥がせば皮膚ごとごっそり持っていかれるような、冷気を帯びた涼やかな声音だった。