4.猫を追う①逃げた子猫にゃ興味は無いが
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不法侵入者達発見から数十分後。
大きな二つの影の持ち主である雪子の両親とともに、草深い庭を駆け回る司の姿があった。普段は競い合って鳴き交わしている秋の虫達も、司がスニーカーの大足を踏み入れた途端、閉口とばかりに鳴き止んでしまった。無言の抗議である。
「司さん、今度はそっちから追い立ててちょうだいね! お父さんは向こうから」
「はっ、はいっ! おばさんっ」
「ああ、わかった」
「じゃあ、せいので行くわよっ…………せえのっ!」
庭を蹂躙している外来種のセイタカアワダチソウやブタクサを掻き分け掻き分け、司と雪子の両親との三方から一斉にターゲットを包囲―――する前に、白っぽい何かが父親のスラックス、股の間を走り抜けていった。
何度目かの作戦失敗に、司は額の汗を拭って息をつく。
「お父さん、ダメじゃない! ちゃんとコユキを捕まえてくれなきゃ!」
「うむ、すまん」
白いネクタイを緩めつつ、黒のスーツを紳士服のCMみたいにシャキッと着こなした雪子の父親が頭を掻いた。五十絡みの、年収一千万ぐらいありそうな大企業の部長という感じに見える。尚、現役高校生の所感である。
――にゃんとも鳴きはしないけど、間違いなく例の白いヤツだ。
この同じマンションに住む高科親子は、逃げた飼い猫コユキを探し求めてマンション一階の庭を捜索中なのだそうだ。ちなみこのマンションの管理規約上では、鳥や金魚等以外のペットの飼育は禁止されている。しかし愛猫が行方不明とあっては、もはや体面など気にしていられないのだろう。ご苦労なことだ。
「夜分に押し掛けちゃってごめんなさいね、司さん。お手伝いまでして貰って」
「い、いえ」
艶やかな黒の留袖姿で髪をあげた母親は、雪子によく似た面差しをしていた。
だが細身の雪子よりもなお痩せているせいか、特徴的な黒目がちの瞳が病的なほど大きく見える。雪子の母親は、ほつれた髪を何度も額に撫でつけながら、
「このところすっかりご無沙汰しているけど、ご両親はお変わりなく?」
「はぁ、相変わらずの貧乏暇なしで」
おまけに、庭の手入れがなってなくてすいませんと頭を下げると、雪子の母は含みのある笑顔を返してよこした。身の置き所がない司は、高い背を縮こませる。
司は正直なところ、迷い猫探しなど手伝うつもりはなかったのだ。
ただ、庭の草が伸び放題で子猫の確保に支障をきたしているのが丸わかりで、あまりにもバツが悪過ぎた。近所付合い的にみても、困っている隣人を尻目に自分だけ部屋でテレビを見ている、というわけにはいかないだろう。
――だから母さん、シルバーウィークに草刈りでもすりゃあよかったんだよ。
上の階の住人達から、頼むから庭の草を刈らせてくれ――著しく美観を損なう――と言われたことさえある雑草だらけの占有部の庭である。
それ以来、庭の荒れ放題に頓着しない母親と司の二人掛かりで、梅雨入り前と秋口の年に二回の草刈をどうにか行っているのだった。
普段は細かいことをやいやい言うわりに、庭の手入れには一切興味のない母親だった。どんだけ言動が矛盾してんだと、司が内心で突っ込みを入れていると、
「まったくコユキったら、普通の猫以上に動きが素早いのよ。まだ生後七か月なんだけどねぇ。管理人さんが早くドアを閉めてくれれば、こんなことには」
母は母でも雪子の母親が、司の隣で人知れず悪態をついているところだった。
「そういえば、コユキちゃんの手足は随分と短くて……あ、すいません」
「ああ、そういう品種なのよ。ええっと、マンゴスチン……ううん、チリコンカン……でもなくて、なんて言う名前だったかしら?」
「マンチカン」
雪子の母親のひっくり返った疑問符の先。
庭の片隅から、甘くかすれた声が響いて返した。