エヴァンス侯爵家の子供達の懸念事項
「クリスお兄様、由々しき事態です」
麗らかな日差しが室内に差し込み、エヴァンス侯爵家の跡取り息子である、読書中のクリスティアンお兄様を柔らかく照らす。
金髪青目の少年は、さながら天使のような美しさだ。
普段は王都の学園に通う為タウンハウスに在住しているが、年度代わりの長期休暇により領地に戻ってきていた。
久々に会う兄はその美貌に拍車がかかっている。生前スチルで見た攻略対象者に益々似てきたな、と思う。
「ああ、また離婚騒動?」
「また、ではありませんよ。そんな冷静に……」
「だってまただろう?どうせそのうち泣きつく父上に母上が丸め込まれるよ」
「クリスお兄様……」
「シャナもいい加減慣れなよ」
書物から一切視線を動かさず、歯牙にもかけない物言いに、わたしは小さく息を吐き出した。
わたしはシャナイア・エヴァンス侯爵令嬢、13歳。日本で生きていた記憶がある転生者だ。
物心ついた時からなんとなく記憶があり、成長と共にまあそんなこともあるかと受け入れていたのだが、二つ年上の兄を見るとどうも既視感があった。
どこかで見たことある?
でも前世で外人の知り合いなんていない。
それに見たことあるというより、誰かに似ていると感じていたのだ。
それが分からなくてモヤモヤしていたのだが、父を見た瞬間に思い出した。
こ、これ、この顔っ……!!!!
前世でやってた乙女ゲームの攻略対象者!!!!アイザックだーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
名前もゲームのまま、アイザック・エヴァンス。
エヴァンス侯爵家の嫡男で、金髪青目の極上美青年。乙女ゲームの攻略対象者の一人だ。
そこから怒涛の記憶が流れ込んできて、さらに国名や父の人間関係などを耳にして、わたしの生まれた世界が既に乙女ゲームが終わった後の世界だと分かった。
その瞬間、泡を吹いて倒れそうになったわ。
確かにね、なんか近世西洋にしては日本の便利グッズとかチラホラ見かけるなあなんて思っていたのよ。風呂とトイレも完備されてるし。さすがに車はないけど、とある領地にはレール馬車があるし、食べ物だって和食はないし味も濃いけど洋食に近い。
まさか生前よく嗜んでたゲームや小説への転生?でも兄や自分の名前が出てくる作品には覚えがない。まあ単に異世界転生しただけでしょ、なんて思ってたのに。
自分の父親が攻略対象者だったとかある?
しかもバッドエンドだよ。
そう、バッドエンド。
子供を装って昔の父の話を聞いたり、両親の馴れ初めを聞いたり、国王の名前だとか王太子の存在とか。まあ色々探りを入れて判明したのだ。
バッドエンドかぁ。
ヒロイン、攻略失敗したんだね。
いや、攻略自体は成功していた。攻略対象者ごとざまぁ返しされてたみたいだ。
元々この乙女ゲームは、魔法も魔物もないヒストリカル風学園恋愛シミュレーションだ。
西洋風の貴族世界で、様々な立場のイケメンと恋愛するためにパラメータを上げて、王妃、騎士団長夫人、宰相夫人、高位貴族夫人、大商人の女主人を目指す。
それぞれの立場のトップを目指すわけだから、言語、歴史、数学、体力、マナー、社交のパラメータを上げて尚且つ攻略対象者の好感度も上げなければいけない。地味にパラ上げが面倒だったけど、脳死周回が得意なわたしにはあっていた。
ハマっていたわけじゃないけど、なんとなく日課というか暇つぶしにはもってこいだったんだよね。
イラストは多方面で活躍する複数人の作家さんが参加してて、声優も有名どころから新人まで幅広く、アプリゲームにしては結構なダウンロード数だった。
主人公が子爵令嬢っていうのも妥当だ。高位貴族でもなく平民でもない。下剋上を目指すにはもってこいって感じ。
ヒーローの方も、第二王子、騎士見習い、秀才令息、借金持ち高位貴族、商人見習いと、一癖有りな上に安泰な未来というわけでもないキャラ設定で、攻略対象者も一緒に努力しなければならないところも味があった。
ちなみに、お邪魔虫キャラもいる。
いわゆる攻略対象者に何らかの関わりがある相手だ。
王子は婚約者、秀才令息は更に優秀な姉、騎士見習いはライバルの騎士見習い、商人見習いは商売敵である。
その中で異質なのは高位貴族。
既にお分かりだろうが、高位貴族の令息は親と家ぐるみの借金が問題だ。
そして、何を隠そうその借金持ちの高位貴族令息こそが、わたしの父だったのである。
あ、今は借金なんてないよ。
借金どころか税収も国内トップの黒字領地経営です。
それもこれもみんな、父と結婚してくれた母のお陰なんだけど。
そもそも、父の学生時代の話を集約したところ、ヒロインはやはり子爵令嬢で、更に攻略対象者全員の攻略に成功していたようなのだ。
当時エヴァンス侯爵家の借金と父の親────わたし達の祖父母────が問題ありなのは貴族社会じゃ有名で、父には婚約者がいなかった。
そりゃあいくら高位でも、そんな泥舟に乗りたいと思う貴族はいない。
ところが父は金髪青目で長身スマート。かといって貧弱なわけでもなく、万が一の時の為には身一つで生計を立てるために鍛えていたから、着痩せする割に脱ぐとスタイルがいい。
攻略対象者の中ではおそらく一番の美形。おまけに優しく穏やか人当たりがいい紳士。気が利いて誰にでも親切なのだ。
家とは関わりたくないけど、逆ハーレム要因としてはもってこいのキープ君だったわけだ。
乙女ゲームでは、卒業パーティーでエスコートしてくれる相手と結ばれる。ライバルにはちょっとぐぬぬな結末もあり、二人の幸せそうなスチルで終わる。
けれどこのゲームに逆ハーレムはない。
ないルートを無理に作ったからか、攻略は成功していたのに、全員逆ざまあをくらったようなのだ。
第二王子は婚約解消で王位継承権剥奪。王太子が王に即位した現在では臣籍降下して侯爵家に婿入したと聞く。
騎士見習いは部隊長止まりだし、次期宰相と謳われた秀才令息は宰相補佐止まり、商人見習いの店はそこそこ名前を聞くけれど、国内有数の大商人とまではいかない。
そして父である高位貴族は、借金で首が回らず爵位返上どころか借金の形に奴隷落ち……するところを、母の実家のオーウェン伯爵家から融資を勝ち取り、お互い相手がいないからと父と母を婚姻させて、順調に借金を返済して今に至る。
父が攻略対象者と知ってもしかして母は悪役令嬢だったのか?と思った。だって紫髪に黒目の勝気な美人とか、悪役令嬢によくあるじゃない。
けど全くの無関係。
本当に無関係。モブにもいない。母どころかオーウェン伯爵家自体出てこない。
二人が結婚したのも、ゲームが終わって二年経った頃らしいし。
で、この母がキーポイント。
実際聞いたことはないけれど、母は前世の記憶持ちの転生者ではないかと思う。
まずオーウェン伯爵家。めちゃくちゃ裕福なんだよね。
農村地域で領地の三分の一が森なんだけど、農地は豊かで二期作とかやってるし、農具がこの世界の他地域では見たことない最先端農具だ。それらを開発して他領に販売して儲けてる。メンテナンスまでやって修理料金の回収でも結構な額だ。
気候に合わせて育つ香辛料の栽培もいくつかあるし、森で樹液を取って砂糖は作るし、綿花の栽培もやってるし、農耕水路に下水道に主要街道は整備されているし、馬車の開発までされている。
これら全部を母の発想を元にオーウェン伯爵領地で取り組んだというのだから、おそらく母はそうなんだろうと思う。
母はあまり自分のことは語らないけれど、その知識を隠そうともしてないので、そこに目をつけられてしまった。
先代のエヴァンス侯爵に。
先代エヴァンス侯爵も、己の悪評は気にしないが膨れ上がる借金と、ざまあ返しされた息子には頭を悩ませた。
そこで手っ取り早く金策に走るには、頭を下げて回るより格下の伯爵家に、持参金と母の知識目当てで圧力をかけたのだ。
ちなみに圧力って言ったのは伯父だ。
母の兄。わたし達の伯父なんだけど、この方物凄くエヴァンス侯爵家を嫌ってる。甥姪のわたし達には良くしてくださるけど、父には塩対応だ。
完全なる政略結婚に、ざまあされたばかりの父は戸惑っていたし、圧力をかけられた母は嫌々だったらしいけど、結婚17年ともなるとそれなりに上手く回っている。
と、思っていたのだけど。
「今回ばかりはそうも言っていられない、かもしれませんよ」
クリスお兄様の対面に腰掛けて、出された紅茶をそっと口に含む。
落ち着いているわたしの様子に、動揺して部屋を訪ねたわけではないと、お兄様の視線が向けられた。
「そういえば、シャナは今回の原因知ってる?」
「ええ」
「父上の不貞だよね」
「そうですね」
「それこそいつものことだろう?ウチの足を引っ張りたいどこぞの貴族もご苦労なことだ」
「噂は噂。けれど」
「あれかい?シャナの言う【火のないところに煙はたたない】」
「ええ。【降りかかる火の粉は払わねばならぬ】ですね」
ニコリと笑うと、お兄様は息をつく。
エヴァンス侯爵家の離婚騒動は、何も今回に限ったとこではない。
今回、とか、また、などという単語が出てくるのだから、もう何度となく繰り返されていることなのだ。
そもそも、二十年前は借金貧乏貴族だったのに数年で返済完了、更には黒字経営なのだから羨望と嫉妬は付きまとう。
当主は元は貴族学園を騒がせた汚点付きまくりの顔だけ男と見下されてもいたし、その妻は領地開拓の手腕があるけど地味で目立たなかった。いまだに一部では軽んじられて、足の引っ張り合いがある。
一番手っ取り早いのは、美人局だ。
なんせ逆ハーレムを築いた子爵令嬢に侍っていた父が当主なのだから、簡単に籠絡されるとでも思われているのだろう。
事実、ここ数年でも父の不貞が原因で、母が家を出るということが何度かあった。その時は旅行鞄一つで実家に帰っていたので、父が連れ戻していたのだが、いまだにその手が使えると思われるのは驚きだ。
父はとにかく顔がいい。
髪は金色、瞳は青で物凄い美形だ。物腰も柔らかく親切で紳士的。人当たりがいいし頭も悪くない。押しに弱いという訳でもないのに、何故か昔から女性関係の醜聞が多い。
本人曰く、望んで関係を結んだ女性は一割くらいしかいないらしい。他は流されたり計られたりでそうなったそうな。
クソだな。
ハッキリ言ってクソなのだが。
この世界ではままある。
貴族も平民も政略結婚が基本の世界だ。平民は貴族より政略的背景が薄いけれども、それでも家のつながりはある。親同士が親戚だからとか、友人だからなんて理由でも婚姻は成り立つ。子供の意思はない。貴族の方がその傾向は強いし、家同士の利益を重んじるけど。
だからこそ、結婚後に恋人や愛人を作るのだ。
政略結婚や結婚後に心を通わせることができなければ、【婚姻】は義務でしかない。義務さえ果たせば権利は主張できるとばかりに、外で羽目を外す者が多いのだ。
そしてわたしがクソだと思うということは、同じ転生者の母もクソだと思うということだ。
だって一夫一妻の世界で生きて、不倫も浮気もすれば多大なペナルティ、最悪裁判沙汰にまでなる世界の記憶があるのだ。
そんな母が、父の不貞を許せるわけがない。
ついでに父と母は、結婚時に交わした契約で不貞すれば問答無用で離縁が待っている。
なのに父は不貞する。
というか、不貞したという話が、まことしやかに出てくる。
これもウチの足を引っ張りたい工作員の仕業だ。
父も母も兄も、もちろんわたしも分かってはいるのだけれど、母曰く「そんな話が出てくる状況にいること自体に問題がある」そうだ。
ですよねー。
女性と二人きりになったり。
会話中にスキンシップがあったり。
二人でどこかにしけ込んだと言われたり。
相手の女性が思わせぶりな発言をしたり。
その後母が当てこすられたり。
なので母は本気で家を出ているのだが、結局連れ戻されるということはわたしも兄も分かっている。
母が家出するたびに、またかぁと思うのはここだ。まあ父にはいいみせしめになっているので、これからもしっかり土下座して繋ぎ止めてほしい。
土下座。
この世界に土下座はない。
土下座したって帰らない!という母の言葉を汲んで、父は進んで土下座している。二時間ほどの土下座謝罪に結局母が根負けするのだ。
「けれど、今回は果たして二時間の土下座で許して貰えるでしょうかね」
「シャナは今回の相手を知ってる?」
「あら、お兄様がご存じないなんて。お相手はホワイト伯爵夫人です」
「ホワイト伯爵は高みに登られているから、正確には未亡人だね。だとしたら、それは無理だね」
「でしょう?」
相手を知ると、微かにお兄様の眉間に皺がよる。
故ホワイト伯爵の後妻。現在は未亡人であるヒラリー夫人は、今回父の不貞(仮)相手である。
学生時代からずっと父に横恋慕していて、本人が結婚してからも、父と母が結婚してからも何かと粉をかけてきていた。
ホワイト伯爵と夫人が歳の差政略結婚とはいえ、あからさますぎてドン引きだ。
そして夫人は、常に母にマウントを取ってくる。結婚当初、仲が良いとは言えなかった母に、自分の方がいかに父を愛していて相応しいか、どれほど父が自由になりたくて自分の方が愛されているのか当てこすってくるのだ。
そういうわけで、母は兎に角ホワイト未亡人が嫌いだ。
ちなみに夫人が父に愛されていたことはない。
父も地雷源は避けていたようで、どれだけ誘われても夫人にだけは流されなかった。
更にこの女、父似の兄にも色目を使っていたので、兄のこの表情はさもありなん。しかも、ホワイト伯爵家には前妻との子供がいる。さらに自分が産んだ既に成人した子供もいるにも関わらず、だ。いくら好きな相手に似てるからって、自分の子供より年下なのに欲を出すなんて気持ち悪すぎる。
「私も家を出たくなってきた」
「あの女がここに来るなんて寒気がしますからね。お母様が出ていけば、厚顔にも居座りますよ。親子丼されないようにお気をつけください」
「気持ち悪いことを言うんじゃない」
親子丼なんて言葉はこの世界にはないけれど、わたしがちょくちょく前世の言葉を出してしまうので、お兄様はちょっと毒されている。
だって色々と便利なんだよねー。
母がわたしの言葉を聞いてもすんなり理解したから、その点でも転生者ではないかと思った次第。だって父は意味も分からなければ、なんでそんな言葉を知っているのかと不思議がっていたから。
「それで母上は今何を?」
「荷物の整理をしてますよ。目録を読み上げつつ、馬車の用意もさせています」
「それは本格的だね」
いつもなら旅行鞄一つだから、息抜きにもなるからいいだろう、とはいかないわけだ。
チラリと窓の外を見れば、馬車が数台玄関付近に入ってきている。周りの従僕達を見れば動きが緩慢なので、彼らもまたかと思っているんだろう。
「なにか軽めのものを用意して貰いましょうか」
「【腹が減っては戦はできぬ】だな」
「ですね」
お兄様が手を上げると、控えていたメイドが素早く部屋を出て行く。扉を開けた瞬間に、遠くの声が聞こえてきた。
「カサンドラ!話を聞いて!」
「あんたの話なんて聞きたくない!顔だって見たくないのよ!クソ共が、揃いも揃ってバカにしやがって!当てつけかあぁぁぁぁ!」
おお、ドップラー効果。
さてはお母様、お父様に土下座させないように逃げ回っているな。そしてお母様、口が悪い。これはもう転生前の人格ですよね。
「つくづくさあ、両親を見ていると結婚て血を繋ぐことだけにしか意味を見出だせないよね」
「種の保存ですね」
「17年側にいて、あれだけ思われてるのに心の通わない夫婦っているんだね」
「あれは前エヴァンス侯爵の過失でしょうね。圧力からの政略結婚で、更にお父様は恋人がいらしたようですから。最初の一年は白い結婚だったらしいですよ」
「何事も初めが肝心てわけだ」
「逆に言えば、初めがよければ上手くいくかもしれませんね。お兄様頑張ってください」
ふふ、と笑いつつ紅茶を飲むと、お兄様は嫌そうな顔をする。まだ15歳だから結婚は考えたくないのだろう。
特に、あの両親を見てるとねぇ。
別に不仲なわけではないんだよね。
ちょくちょく離婚騒動はあるし、だいたいお父様絡みで問題が発生するけど、概ね平和だ。
政略結婚とはいえ、わたし達の記憶には母にベタ惚れで尽くす父の姿しかない。
そう、ベタ惚れなのだ。
それはもう、至れり尽くせりでべったりお母様に張り付いて、言葉も態度も贈り物もお母様より上のものをもらったことがない。
子供ほったらかしでベタベタしている。ちょっと周りの親戚とか友人が引くくらい、お父様にはお母様しか見えていない。
幼い頃に盗み聞いた話によると、お父様とお母様は仮面夫婦になるだろうと思われていたみたい。
当時、お父様は逆ハーレム要員からの逆ざまあで評判が地まで落ちて、さらに実家は借金貧乏で傲慢横暴散財尽くしの毒親。
貴族社会で総スカンくらってたし、爵位返上するつもりだったお父様は、まさか自分のところに嫁に来る人がいるとは思ってなかった。
しかもお母様は学園で自分の能力を隠していたから、二つ下のお母様のことを認識していない。
お母様は圧力で政略結婚を強いられて、学園では評判の悪い逆ハーレム要員で逆ざまあされたお父様の印象は地の底。
そんな二人が歩み寄るなんて、周りも思ってなかったそうだ。
特に、お父様の美貌にお母様がよろめくならいざ知らず、お父様の方がお母様にベタ惚れしている。
ここでポイントなのが、お父様は流され体質で自分の意思で関係を持ったのが一割ってことと、爵位返上するつもりだったってこと。
周りが驚く、むしろ引くほどお母様を愛してるってこと。
もしかしてお父様、ヒロインのこと好きでもなんでもなかったんじゃない?
流されて逆ハー要員になったんじゃない?
実はお母様が初恋なんじゃない?
とか、思っちゃうんだよね〜。
だって周りの大人も、お父様の態度がヒロインとお母様とで天と地の差だって言うんだもん。
「本当に愛する人にはあんな顔するのね」「子爵令嬢にも丁寧だったけど、熱量が全然違うわ」「こちらが真実の愛ではなくて?」「むしろ彼は被害者では?」なんて良いように囁かれてる。
二人がいつから歩み寄ったのかは知らないが(まあ一年は白い結婚だったというし、二年目くらいからだろうけど)仲が良いのは子供として喜ばしい。
ただ、頻繁に問題が発生するから、両親を見ていると、落ち着いた結婚生活ってどこに存在するの?とも思う。
結婚後にこんなに問題が発生するなら、結婚は遠慮したいなぁとお兄様が思ってしまうのも、無理はない。
「お兄様が頑張らなくても、そのうちお母様が良い方を見つけてくださいますよ」
「そこは自分で見つけたい」
「あら、良い方がいらっしゃるんですか?」
「まだだよ。けど初めが肝心、だろう?一度くらいは自分で探す努力はしなくてはね」
お兄様がテーブルの上の書物を片付けると、タイミングよく軽食が運ばれてくる。
同時に、大きな足音と遠くで叫び声も聞こえた。
「カサンドラ、逃げないで!」
「触らないでよ!臭いのよ!」
「風呂には入ったよ!」
「あの女の匂いが染み付いてるのよ!こっちくんな!」
うわぁ。
お母様、相当お怒りね。無理もないけど。
「お父様、なんでホワイト未亡人に会うんでしょう。わざわざお母様の癇に障ることをなさらなければいいのに」
「ああ、地雷ってやつだね。私は今回の話は、子爵の融資の件だって聞いてたけど」
「ああ……会談にいらっしゃったと」
「そう。偶然ね」
「それで偶然お食事を共にして、偶然意気投合して、偶然同じ寝所に籠ったと」
「素晴らしい偶然の総出だ」
お父様、嵌められたんですね。
お兄様と顔を見合わせて、はあ〜とお互いため息をつく。
お父様、そういうところがおありなのよね。
何度も言うようだが、父はとにかく顔がいい。顔だけじゃなく見た目が極上だ。
髪は輝く金色で柔らかく、瞳は深い青。鍛えているからスタイルもいいし筋力もある。足も長い。その割には着痩せするからスマートに見えるのだ。
性格も傲慢な親を反面教師にしたように物腰が柔らかく親切で紳士的。気も利くし人当たりがいいし頭も悪くない。
多少流されやすいが押しに弱いという訳でもない。まあいいか、と思う許容範囲が広いのだ。
駆け引きは苦手みたいだけど、それでも不利になる取引はしないし、領民を大切にする。
領主としてはきちんとやれてるのだ。
母と結婚して当主になるまで、毒親に抑えつけられて向上心をなくしていただけで。
そんな父も、母に言わせれば【優柔不断で八方美人の腰抜け】らしい。
自分の夫をここまで扱き下ろすのもどうかと思うが、母の言い分には分かりみしかない。
地雷は最大限回避していたようだが、今回は相手が上手だったということ。
おまけに今回の会談は母が実家に戻っていた時に合わせたように行われた。会談に見せかけて周りが全部敵だったのなら、権謀術数が苦手な父にはどうしようもない。
「偶然なわけないでしょうがっ!」
バンッと一際大きな音を立てて扉が開かれる。振り返れば、腰に父の腕が巻きついたままの母が仁王立ちしていた。そのまま父を引きずってわたし達のテーブルまで来る。
「あなた達も用意なさい。母は離縁して実家に帰ります」
「そんなっ!?カサンドラ!」
「クリスは学園があるから、卒業まではエヴァンス家の籍でもいいでしょう。シャナはオーウェン籍で入学することになります。あなたに瑕疵はありませんから、胸を張っていなさい」
「はい」
「待ってカサンドラ!僕を一人にするの!?」
あらら、お父様一人称が「僕」になってるわ。これはかなり素になってるわね。
「母上、私はエヴァンス籍を離れる気はありません」
「クリス?」
「当主教育も受けていますし、来年は領主課程を選択しています。エヴァンス侯爵領を治めるために勉学を進めていたのに、今更変更するのも勿体ないと思いませんか?」
「領主課程はそのままでかまいませんよ。オーウェン領がありますからね」
「伯父上がいらっしゃるじゃないですか」
「その伯父様が結婚する気はないから、いずれクリスかシャナのどちらかに継がせたいと仰っているんですよ」
うわー。伯父様、結婚しないって言っちゃったんだ。まあ伯父様は研究者気質だから、領主やるよりお母様発案の事業で研究していたいんだろうあなぁ。
けど伯父様もまだ30代だし、オーウェン伯爵の正当な跡取りだ。これからでも出会いはあると思うんだけど。
それにオーウェン一族は、母の婚姻の件でエヴァンス侯爵家が嫌いだから、エヴァンスの血を継いだわたし達が跡取りというのはいい気がしないんじゃないかなぁ。
「でも母上、分かっているなら報復しなくていいんですか?」
「クリス?報復とはおだやかではないですね。何のことですか?」
「父上の不貞のことですよ」
「不貞なんかしてない!カサンドラ、僕は本当にそんなことしてないから!気付いたら朝で同じベッドに夫人がいただけだから!絶対同衾なんてしてないよ!」
お父様黙って。
子供に聞かせる話じゃないから。
「偶然じゃないって分かってるんでしょう?計られたのなら、これはエヴァンス侯爵家への宣戦布告ですよ」
「え?」
「え?」
「あれ?」
「ん?」
あら?お母様どうして不思議そうなお顔をしてるんですか?もしかして、お母様も分かってらっしゃらない?
「母上は、今回の不貞が偶然じゃないって分かってるんですよね?」
「だから不貞じゃないから!クリスも誤解を招くようなことを言わない!」
「父上、今はそれはどうでもいいです。それで母上、全て偶然じゃないなら計られたと考えられませんか?」
「……………………」
随分長い沈黙ですね。
暫く考えこんでいたお母様は、何かに気付いたように口を開きます。
「そっちの【偶然じゃない】ね……」
「どっちだと思ったんですか」
クリスお兄様の突っ込みに、お母様がコホンと咳払いをひとつ。
「アイザック、あなたあの女と寝たんじゃないの?」
「寝てないよ!何もしてない!だいたい僕は晩餐の後で気分が悪くなって、休憩室を借りて横になってたんだよ?しかもソファで!体調が悪いのにそんなことするわけないだろう!?自分が勃つかどうかぐらい分かるよ!それに僕はカサンドラ以外に反応しない!」
「ええーでも寝てる間にってこともあるじゃない」
「ない!絶対ない!」
「じゃあなんであの女、自信満々にわたしにあなたを寝とったなんて言いにくるのよ」
「知らないよ!だけど絶対にやってない!いくら寝ててもやったかどうかくらい分かる。そういう痕跡だって残るよ。男の体って案外繊細だよ?体調不良で寝てるのに勃つわけないし、あの気分の悪さはできる感覚じゃなかった」
「……ってことは、万が一やったとしても無理矢理?記憶もないのに同衾したっていうなら一服盛られた?」
お母様が呟くとその場がシンと静まり返る。
いやその前から非常に微妙な空気にはなっていたけれどね。
二人とも、一応未成年の子供の前でやったやらないの話はやめてくれませんかね。
わたしは前世、成人後に死んだし諸々の記憶があるからまだマシだけど、お兄様は生粋の15歳なんだから。
と思ったら、そのお兄様が突っ込んできた。
「母上の偶然じゃないってなんのことですか?」
「必然的に二人の意思で同衾したんだと」
「そんなことするわけないだろう!?恐ろしいこと言わないで!僕はカサンドラだけだよ!浮気も不倫も愛人も恋人も、判明したら離縁だってカサンドラが言ったんだよ?契約書にもあるのに、僕がカサンドラを手放すことをするわけないじゃないか、愛してるのに!」
「父上黙って。ということは、やっぱり父上は計られたんですね。母上、これは犯罪ですよ」
お兄様が指摘すれば、お母様の眉間に深い皺が刻まれる。何かを考えついたのか、お母様の表情がスッと元に戻った。
「アイザック、どうしてそのことを言わないの」
「だから何度も話を聞いてって言ったのに」
「違うわよ、体調不良のことよ。あなた寝てないってことばかりで気分が悪くなったとか、休ませて貰ったなんて一言も言わなかったじゃない」
「う、それは……僕も焦って、とにかくやってないってことだけは信じて貰いたくて……」
「もう、あなたは本当に言葉が足りない、というか頃合いを見計らうっていうのが下手ね」
「ごめん……でも、カサンドラだって、全然話を聞いてくれないから……」
ボソボソと弁解するお父様に、お母様はフッと息をつく。その顔には困った人だと言うように苦笑が浮かんでいた。
「ごめんなさい。わたしもちょっと冷静でいられなかったわ。あなたがあの女と、と思ったら頭にきて」
「カサンドラ……、もしかして、妬いたの?」
「当たり前じゃない。愛する旦那様が他の女と、だなんて。しかも学生時代からあなたを好きで、あなたと恋人関係にあったって豪語してる女なのよ。嫉妬の一つや二つするわ」
「カサンドラッ……!ああ、ごめんね。恋人なんてあり得ないけど、嫉妬してくれるのが嬉しくてたまらないんだ。僕は本当にカサンドラだけだよ。僕は君だけを愛してる」
「わたしも愛してるわ」
愛を囁き合って抱き合う父と母。
わたし達は何を見せられてるんだろう。
いやそこで愛を確かめ合うのはいいんだけど、抱きしめ合うのもいいんだけど、濃厚なキスまでは勘弁してくれないですかね。
キス音が生々しい。
両親のラブシーンを見せつけられる子供の気持ちになってくれませんかね。
その後はいちゃいちゃしながら、父に腰を抱かれた母は寝室に向かって行った。
これは二時間土下座コースから、二時間大人の時間コースかもしれない。いや、二時間どころか濃厚な大人の時間コースになったかな。
「お父様って、本当にお母様が好きよね」
「あれだけ愛されてるし愛してるのに、どうしてあんなに心が通わないんだろう」
「いつまで経っても新婚夫婦のようですしね」
「本当にね。結婚してもあんなに落ち着かないなんて、結婚てする意味あるのかな」
「種の保存です」
「……シャナが歳の割に冷めてて心配だ」
冷めてるわけじゃないんです。歳だから冷静なだけですよ。
「火の粉を払うのもお母様に任せておけば安心ですね」
「禍根を断つ、か」
「まあ他の問題も浮上しましたけど、とりあえず一件落着ということで」
「ああ、伯父上ね」
「暫く聞かなかったことにしましょう」
「そうだね。あ、そうだ。父上と母上用にも軽食の用意をしておいてくれる?二時間後くらいに」
メイドに言付けて、わたしとお兄様は何事もなかったかのようにお茶を飲んで軽食を楽しんだ。
まさかこの後一日ほど両親が寝室から出てこないとは思わずに。
まあ仲が良いことはいいことだわ。
その後、どっかの伯爵家から夫人が追い出されたとか。戻る家もなくて娼館に身を落としたとか。どっかの子爵家が融資を取り付けられずに爵位返上したとか。それに伴っていくつかの下位貴族が借金をこさえたとか。
風の噂できいたけど、わたし達子供には預かり知らぬこと。
そしてわたしは知らなかった。
実はこの乙女ゲームには続編が出ていて、自分が悪役令嬢にポジショニングされていたなんてことを。
とりあえず、エヴァンス侯爵家は今日も平和です。
なんか連載の合間に勢いで書きたくなった。
ムーンライトの方で連載やってます。そちらもよろしくお願いします。