第3-25話 ゲームエンド
「……戻ったか、人間に」
〈本〉が白く光り輝くのが終わると、ホノカたちの元にやってきたのはアマヤ。彼を覆っていた神の炎は未だに消えずに燃え続けている。未だ、臨戦態勢を崩していない。
ユズハが〈本〉に願いを記した直後、ナツキの身体を覆っていた黒い靄は爆発したように祓われると、唐突にナツキを吐き出して完全に消え去ったのだ。
人へと戻ったナツキはまだ気を取り戻してはいないようで目を瞑ったまま横になっているが、わずかに胸が上下していることから穏やかな状態にあることは見て取れる。
「戻ったわ。これで、完全に」
ホノカがそう言うとアマヤはちらりとナツキを見て納得したように頷く。
そして一言呟くと完全に炎が消え去った。
「完全に鬼になった者を人に戻せるとはな。これは予想外だった」
煌々と真白に輝く〈本〉を見ながらアマヤが唸る。
「完全に特一級の聖遺物。国外の物だから“天原”の管轄外だが……よく日本に持ち込まれる前に他の異能狩りたちに気づかれなかったな」
「……〈本〉を顕現させるには108枚に分かれた断片を集める必要があるもの。1つ1つの力が弱ければ、異能狩りだって探せないでしょ?」
「そういうことか」
とても大きな本はまだ書き込める余地を残しているかのように光り輝くと、そこにいる異能たちを見下ろすかのようにただ浮かび続けている。
それを真下から眺めながらアマヤは聞いた。
「……これ、どんな願いも叶うのか?」
「そうよ」
ホノカがそう言うと、ふとアマヤは気になることがあるのかふと聞いてきた
「不老不死もか?」
「できるんじゃないかしら。歴史には1200年前に一度、不老の願いが叶えられたという記録があるし」
「……1200年前ね。名前は?」
「さぁ? そこまでは記録に残ってないから」
ホノカがそう言った瞬間、気を失っていたナツキが大きく咳き込むと……ゆっくりと、目を開いた。
「……ホノカ」
「おはよう、ナツキ」
最初に目に入った少女の名前を呼ぶと、そのままナツキは周りを見回した。
「それに、みんなも」
ナツキが目を見開くと、そこには心配そうにナツキを覗き込んでいる仲間たちがいて、
「……ごめん、迷惑かけた」
「そんなの……気にするわけないじゃない」
その言葉に安らぎを得ながらナツキはゆっくりと身体を起こすと、目の前に開かれている大きな〈本〉を見た。
「……これが、〈杯〉か」
「そうね。本当は〈本〉だったけど」
〈杯〉の正式な記録が残っている資料は全てが古く、完全な形式を残しているものは皆無と言っていい。
けれど、あらゆる願いを叶えることの出来る聖遺物があるという逸話が異能に伝わり、後世へと受け継がれるその過程で話の中身が〈本〉から〈杯〉へと変わったのだろう。
伝承とはきっと、そういうものなのだから。
「……みんなは、願ったの?」
「それがね、ナツキ。そうもいかなくなったのよ」
ホノカがそういうと、ナツキはふと首をかしげた。
そんなナツキにホノカは〈杯〉のシステムを優しく伝えた。
願いは1人1つまでだということ。
死者は1つの願いにつき、1人までしか叶えられないということ。
それは、誰も知らなかった〈杯〉の理。
「……そう、だったんだ」
「だから、ルシフェラとアカリの願いは叶ったわ。そして、ユズハとヒナタがナツキを人に戻すように願ってくれた」
「……俺を、人に?」
ナツキが2人を見ると、ユズハがにこやかに答えた。
「は、はい。私が八瀬さんを人に戻すように願って、ヒナタさんは八瀬さんが二度と鬼にならないようにと願ったんです」
「……ごめん。俺のせいで」
「謝らないでください」
ナツキの謝罪に、ユズハが力強く答えた。
「私が願ったんです。私の意志で」
「そうね。ナツキくんがまた鬼になったら嫌だもの」
そういってヒナタも微笑む。
「じゃあ、後の願いは……3つか」
「そうよ。私と、ナツキが1つずつ。あと1つはエルザが持ってるわ」
「……そっか。ちょうど7人か」
ナツキは頭の中で少し……考えた。
何を願うのか。何を叶えるのか。
全てを叶えることのできる聖遺物を前にして、ナツキの決断は早かった。
彼はホノカより手渡されたペンを片手に、〈本〉に願いを記した。
それを見たホノカは大きく目を丸くすると、
「……本当に、それを願うの?」
「ああ。きっと、これが……俺が持ってる願いの正しい使い方なんだ」
それにホノカは安心したように微笑んだ。
「やっぱり、ナツキは……ナツキね」
「……そうか?」
「だから私もそうするわ」
ホノカはナツキの記した真横に願いを書き込む。
「ホノカまで書かなくても……」
「良いのよ。これで良いの」
ホノカがそういうと、〈本〉から光が溢れて2人の願いを叶えた。
残るは1つ。
最後の願いを前にして、エルザは未だに迷うようにしていた。
「ホノカ様。お聞きしたいことがあります」
「何?」
「例えばですが……願いの回数を増やすように願うことは可能なのでしょうか?」
「出来るとは思うけど、願いは1人1つまでよ」
「……なるほど」
その前提条件を取っ払わないと一人複数の願いは叶えられない。どれだけ願いを増やしても、それだけ多くの人間の願いを叶えるだけで自分の願いは叶わないのだ。
その時、ホノカの頭に閃くものがあって、
「……あっ」
「どうしたの?」
「ううん。なんでもないわ」
ホノカですら知らなかった〈本〉の理。
これはもしかしたら、後から付与されたものではないだろうか。
〈本〉は今まで何度もこの世界に顕現している。
もしかして、かつての〈本〉には一切のルールが無かったのではないだろうか。
本当にあらゆる願いを叶える。そういう聖遺物だったのではないだろうか。
だからこそ、今まで共に断片を集めてきた仲間たちと〈本〉を前にして争った異能が昔いて、その過ちを繰り返さないようにとルールが付け加えられたのではないだろうか。
そして、7回という回数制限がついたのではないだろうか。
そんな妄想じみた考えが、ホノカの中に浮上した。
「では、私は……その1人1つまでというルールを消しとうございます」
「……良いの? 他にもどんなことだって叶えられるのに」
「私はお嬢様の幸せが至上です。けれど、お嬢様は自らの力で願いを叶えられました。なので私の願いは叶ったのでございます。しかし共に戦ってこられたナツキ様とホノカ様の願いはこのルールで叶わなかった。ならば、これは不要でしょう」
そう言って、エルザは〈本〉に願いを書き込んだ。
その瞬間に〈本〉は大きく真白に輝くと激しい風が突然吹き荒れた。
その暴風がナツキたちに襲いかかると、飛ばされないように地面にしがみつく。目も開けていられない強風の中でナツキは見た。
〈本〉が破れて何枚もの断片になると、風に吹かれてどこかに飛んでいく様を。そして、薄くなっていく『シール』に溶け込むように世界中に散っていく様子を。
こうして再び世界に断片がばらまかれた。
そして、いつかまたそれらを集める争奪戦が始まるのだろう。
全ての元凶にして全てを終わらせた〈本〉は再び108枚の断片へと形を戻し、彼らの前から消え去った。
風が吹き止むと同時に、気がつけばナツキたちは現実世界に戻っていた。
時刻は既に深夜を回っており住宅街には街灯の光しかなく、吐き出された異能たちはしばらくの間、困ったように立ち尽くしていたが、現実世界に戻ってきたと分かった瞬間、アマヤがすぐに踵を返す。
「……行くのか」
背を向けるアマヤにナツキがそう声をかけると、彼は振り返ること無く答えた。
「用事が終わったからな」
「用事って……」
「本来の目的は悪魔の視察だ。でも、お前らと一緒にいて、どうにも侵食されてる節がねぇ。なら、見境なしに人に襲いかかる悪魔じゃないと俺は判断した。だから、次だ」
「次?」
「ダ……いや、『星喰』という大きな寄生虫がいる。それを祓ってるやつのところにいくんだよ」
「仲間か?」
「兄貴だ」
そうか。
“天原”は、家そのものが異能狩りなのだ。
「……大変なんだな」
「これが日常さ」
それだけ言うと、アマヤは夜の闇へと消えていき……やがて、残ったナツキたちも、互いに目を合わせると、まるで夢でも見ていたかのように、ゆっくりと自分の家に帰宅した。