第2-18話 彼方より来たる者
やがて蒼穹とスタジアムの区別が全く付かないほどに世界が希釈されると……べしゃ、とスタジアムの上からシエルの両断された身体が落ちてきた。
もしかして殺してしまったか……? と、ナツキは不安になったが、すぐに両断された身体は互いを求めるように引き合うとぐにゅり、と繋がる。
だが、修復に時間がかかるのかすぐには起き上がらずに、シエルは横になったままで片手をぬっと上げた。
「負けたぁ。まさか、囮の二段構えだとはね」
「……分かってたんでしょう? アンタは」
「いやぁ? 油断してたよぉ、普通に。それまでの幼稚な技とか魔術からは考えられないほど……急に連携の精度があがったしね」
そう言うシエルの声をかき消すように、会場からは大ブーイングが上がる。シエルとナツキたちとの戦いを賭けにでもしていたのだろう。負けたシエルに対してスタジアムに集まっていた異能たちから罵声が飛ばされる。
「金返せーッ!」
「魔女やめちまえーっ!」
「死ねェー!!」
一体いくら賭けたのだろうか。
大声で騒ぎ続ける外野に意識を割きながらも、ナツキはシエルに一歩近づいた。
「解呪してくれ」
「もう終わってるよん」
思わずナツキとヒナタは目を見合わせて……繋がっていた手の甲を離す。
なんてことはなく……すっ、と2人を蝕んでいた呪いは簡単にほどけてしまい、ナツキとヒナタは実に1週間ぶりに互いの身体を取り戻すことができたのだった。しばらくお互いの身体が離れたのを現実味が沸かない様子で見ていた2人だったが、先に口を開いたのはナツキだった。
「……おつかれ、ヒナタ」
なんて言うべきか迷ったナツキに、ヒナタはそっと微笑んで、
「そうね、お世話になったわ。八瀬くん」
そう、返した。
「さて、ナツキ。ヒナタ。ここからは私に任せて」
ナツキたちの一番の問題が解決するや否や、ホノカは一歩踏み込んだ。
「断片を、回収するわ」
「そんなに焦らなくても、渡すってぇ。でもさ、ちょーっと待って欲しいんだよねぇ」
断片を渡すことを躊躇う様子を見せるシエル。
それにホノカは少し怒り気味に返した。
「あのねぇ、今になって無理とか待ったが通用すると思ってるの? 私たちとあなたは断片を渡すことを賭けて戦ったの。そして、私たちが勝った。だから、先に断片を渡すべきでしょう?」
「だーかーら! 渡さないなんて言ってないよぉ! それに私は【誓約】のせいで、絶対に君たちに断片を渡さないと行けないんだよ? 今更無理なんて聞かないことは百も承知! ただ……」
少しだけ、シエルが視線をずらす。
「ただ、断片が一箇所に8割も集まるのはすごぉくまずいんだよぉ」
「何がまずいのよ」
「悪魔が、来る」
その言葉にホノカは少し片眉を釣り上げた。
そして、未だに止まらない野次に呆れたような視線を向けると、申し訳無さそうにナツキに振り向いた。
「ナツキ、悪いんだけど……黙らせて」
「分かった」
ナツキはそう言うと、自分の直上に【火属性魔法Lv1】である『炎の嵐』を生成。そして、爆破。巨大な炎の嵐が大爆発を起こして、周囲にいた有象無象の異能を黙らせる。
「……それで、悪魔が来るってどういうことよ」
「断片は1枚でも大きな力を持ってるから他の異能を引き寄せる。そんなものが、80枚も集まってしまえば、世界を捻じ曲げる。曲がった世界には悪魔がやってくる」
そういうシエルの顔は……何を考えているのか、読み取れない。本当に悪魔がやってくることを恐れているのか、それともせっかく集めた断片が取られることが嫌だからそう言っているのかが分からないのだ。
ナツキにはどちらとも取れるし、どちらでも無いような気もしてくる。
とにかく、表情が読めない。
「ねぇ、ユズハお姉ちゃん。悪魔って本当にいるの?」
そんなナツキの後ろでは、アカリがユズハに悪魔について尋ねていた。
「……い、いると、言われてます」
「どういうこと?」
「こ、この世界にもともといた悪魔は……絶滅したんです。16、17世紀の、魔女狩りを最後に」
「あ、それあかりも聞いたことある。異端狩りがすごい盛り上がって、異能だけじゃなくてモンスターとかも凄い狩られたんでしょ?」
「そ、そうです。その時に、こっちの世界にいた悪魔は全て根絶やしにされたんですけど……一部の悪魔は向こうに帰ったって言われてます」
「向こう?」
「ま、魔界、と呼ばれている異世界です」
魔界なんてあんの……?
と、こっそり盗み聞きしていたナツキは眉をひそめた。
「高位の魔法使いや魔女は、こちらの世界に穴を開けて魔界から悪魔を呼び出す魔術が使えるって……言われてるんです。そ、そんなことができる凄い異能は、悪魔と契約して、契約者になるとも」
「えぇっと……だから、悪魔はこの世界にはいないけど、他の世界にはまだいるってこと?」
アカリの要約に、ユズハは頷いた。
「た、ただ、魔界へ繋がる穴を開ける魔術は……儀式階位でLv2。中規模魔術に匹敵するんです。準備だけで数年から数十年。ひ、必要な魔力ですら、子供の生贄が……100人単位で必要になってくるような代物ですよ」
「ほぇ……。でも、そんなに準備がいるものが……断片が80枚も集まっただけで、できるものなの?」
「わ、分からないです。〈杯〉の召喚は、儀式階位のLv3。儀式規模でいったら悪魔召喚の遥か上ですから……」
と、年下のアカリにも敬語で話す礼儀正しいユズハですらも、シエルの言葉には半信半疑。確かに断片が集まるだけで、生贄が数百人も必要な魔術が達成されるんだったら……果たしてその生贄はなんのために必要なのか。
どうやら、その疑念はホノカも同じように持っているみたいで、しばらく考え込んでいたが……ちらり、とヒナタを見た。
「ヒナタ。『心詠み』を……」
「無理よ」
ホノカはシエルの言っていることが本当かどうかをヒナタの超能力で読み取ろうとしたのだろう。
だが、それを肝心のヒナタがすぐに首を横に振るったので思わず黙り込んだ。
「ちゃんと妨害魔術が働いているわ。何を考えてるのか、全く読めないの」
「……やられたわね」
シエルはにこりと笑うとようやく身体の修復が終わったのか、ゆっくりと身体を起こした。
「別にぃ欲しいって言うんだったら、今すぐにあげても良いんだけどね」
ホノカはしばらく迷うような様子を見せていたが……彼女は、最初からの目的を果たした。
「ちゃんと断片をもらうわよ」
その時、ナツキは……言いようのない違和感を覚えたが、ナツキの第六感はホノカに劣る。彼女がその選択肢を選んだということは、彼女の第六感には引っかからなかったということだ。
つまりこれは、杞憂なのだろう。
ナツキは先ほどの違和感をそっと心の奥底に押し隠しながら、シエルから断片を貰っているホノカを見つめた。
ナツキたちは、その後……シエルの『共通シール』からはじき出されるようにして現実世界に巻き戻された。現実世界の時間を見ると、午前4時前。1時間と少しの間、『シール』の中にいたことになる。
彼らは誰もいない噴水の前でしばらく顔を見合わせると……互いに笑い合った。
そして、パン、と気合を入れるようにホノカが手を叩くと全員を見渡した。
「みんな、お疲れ様。これで私たちのチームが手に入れた断片の枚数は80枚。あと、28枚ね」
「あと少しだな」
ナツキがそう言うと、ホノカはこくりと頷く。
こんな夜遅くまで付き合ってくれてありがとう。今日は解散しましょう」
そんなホノカの言葉に真っ先に反応したのは、アカリだった。
「お疲れ、お兄ちゃん。あかりは今日ママが帰ってくるからうちに帰るね。ばいばい」
そういって、ぱっと消える。『シール』の中に入ったのだ。
次に反応したのは、ユズハ。
「ご、ごめんなさい。お父さんとお母さんから……すごくメッセージが来てて、今すぐ帰らないと、た、大変なことになるので……帰りますね」
露払いとしてしっかり役目を果たしてくれた彼女に、ナツキたちは感謝の言葉を告げると……「また学校で」と、照れくさそうに笑って彼女も消えた。そして、最後に反応したのは、ヒナタだった。
「八瀬くん。1週間、お世話になったわね」
「いや、こっちこそだよ。ヒナタ」
1週間という短い間ではあったが、ナツキとヒナタは共に過ごした仲だ。そこいらの友達よりもずっと仲の良い友人関係を築けたと思う。ふと、ヒナタは真っ直ぐナツキを見ると、手を差し出した。
「私は……八瀬くんのおかげで、自分のことをちゃんと見つめ直せたわ。ありがとう」
「俺もだよ、ヒナタ」
ナツキはこんな時にどうすれば良いのか分からなかったが……ヒナタの手を取った。
「ね、八瀬くん。お願いがあるんだけど……良い?」
「ん?」
ナツキがそういうと、ヒナタは少し言葉に詰まって……照れたように聞いてきた。
「ナツキくんって……呼んでも良い?」
「もちろん」
「ありがとう。ナツキくん」
そう言って……あまり、しっくり来なかったのか、ヒナタは笑った。
「あんまり慣れないわね」
そして、彼女は一歩ナツキたちから距離を取った。
「ごめんなさい。『愛欲の呪い』が解呪できた後でもナツキくんのお世話になるわけに行かないから……今日は帰るわ。妹も、心配してると思うし」
「また、学校で」
「えぇ。また学校で会いましょう」
そういって、ヒナタも消えた。
彼女の場合は『シール』じゃなくて、『転移』だ。
そして、誰もいない噴水前にぽつりとナツキとホノカの2人だけが残された。
「やったな、ホノカ」
「えぇ、やったわ」
そういって互いに目を合わせると、2人で笑った。
「でも、ナツキ。ちょっとヒナタとイチャつきすぎよ」
だがすぐにホノカはそう言って、ナツキに「めっ!」と言わんばかりに人差し指を向けてきた。
「そ、そうかな? そんなイチャついてる気はしてなかったけど……」
「私だってナツキの友達なんだからヒナタばっかり見ないでよ」
「…………悪い」
ナツキの返答にホノカは、はっとした顔をすると急に顔をトマトみたいに真っ赤にした。
「ちょっ! い、いまの無し! 間違えたの!」
「……何を?」
「何でも無いわ! か、帰りましょう、ナツキ」
「あ、ああ……」
よく分からないまま有耶無耶にされて、ナツキとホノカが同じ方向を向く。
「ごめん、ナツキ。今日、家の人に友達の家に泊まるって言っちゃったの……ナツキの家に泊まって良い?」
「もちろん。……先に2人だけで祝勝会でもする?」
「ふふっ。良いわね、それ」
チームの中で最初に〈杯〉の約束を交わした者たちは、笑い合いながら帰路についた。いや、帰路につこうとした。
だが、その時……ナツキの脊髄を冷たいものが走る。刹那、己の直感を信じて、ホノカの無理やり自分の方に引き寄せると、そのまま抱きかかえるようにして後ろに飛んだ。
「……ッ!」
ホノカもそれには何も言わない。
ただ、信じられないような顔をしてじぃっと自分たちの進路の先を見ていた。
誰もいない深夜の繁華街。
その何も無い空間にぽっかりと穴が空いていた。
どこまでも、どこまでも暗闇が広がっているその穴の向こう側は見えない。
だが、何かがいる。何か……やばい奴がいるのは、分かる。
ナツキは手元に『影刀:残穢』から成長した『呪刀:浄穢』を手に取ると、そのまま構えた。短刀だった『残穢』と違い、『浄穢』の方は長さが倍の小太刀くらいの長さになっている。リーチが伸びたから戦い方は変わるだろうが……特に問題はない。
ナツキはそれを静かに構えていると、穴の向こうから高笑いが聞こえてきた。
「ふはははは! 愚かな人間たちよ! ようやく我を受け入れる気になったか!」
聞こえてきたのは、尊大なまでに自信に溢れた少女の声。
「我はエルドルート公爵に血を連ねる者! 第三階位のルシフェラ・エルドルートが彼方より来たり」
そして、穴から出てきたのは……10歳くらいに見える、悪魔っ娘だった。