第2-04話 愛欲の呪い
「そうだ。渡すの忘れてたから、これ」
箒に乗りながら、ホノカは小さな仮面をナツキに手渡した。ヨーロッパの仮面舞踏会で付けていそうな、小さな仮面だ。
「あ、これ映画で見たことある」
「『認識阻害』の魔法がかけてあるヴェネチアンマスクよ。それをつければ、向こうからこっちの素性がバレることはないわ」
「へー。便利だな」
「こういう集会に来ている異能に素性がバレるとろくなことにならないから」
「住所でも特定されるの?」
インターネット犯罪と同じノリでナツキはそう聞いたのだが、
「まぁ、似たようなものね。特定された後、家族ごと使い魔にされたり生贄にされたりするのよ」
「ぜ、全然似てないじゃん……」
殺伐としすぎだろ……。
「でも、そんなことはこっちがよっぽど格下だと思われないとされないから。大事なのは舐められないこと」
「舐められない……か」
今までそんなことを意識して行動したことが無かったので、自信がない。ナツキは仮面を付けながらぽつりと言うと、
「ナツキはナツキのままで大丈夫よ。あの帰還者を退けるくらいなんだから、そこら辺の魔女は絡んでは来ないと思うわ」
「そういうもの?」
「そういうものよ。だって強い魔女ほど慎重に動くもの。ナツキを見て、何かを仕掛けようなんて魔女は己の実力がちゃんとつかめていない魔女か」
ホノカもナツキと同じような仮面を付けて、続けた。
「よっぽど頭のおかしい魔女だから、叩き潰して構わないわ」
「過激だな……」
「異能の世界じゃ全部自己責任よ。火の粉が降り注がれるなら、それを自分の力で払わないと」
異能の先輩としてのホノカの言葉にナツキは身を引き締める。
「着いたわよ」
ホノカは繁華街の中でも中心地……噴水の上で、一旦静止した。
「着いたって……」
ナツキもその噴水には見覚えがある。ついこの間、アカリとデートの待ち合わせをしたところだ。だが、当然こんな深夜に人がいるはずもなく。
「しっかり掴まってて」
「……うん」
ホノカはナツキの返事を聞くやいなや、そのまま噴水に向かって突っ込んだッ!
「……ッ!?」
箒と噴水が激突する……その瞬間に、世界がねじ曲がる。
いや、裏返るッ!
その瞬間、ナツキの全身をどろりという感触が撫でた。まるで巨大な怪物に舐められたような、あるいはヘドロの中に身体を突っ込んだような……変な感触を抜けると、そこに広がっていたのは、無数の灯火!
それらは誰に支えられるわけでもなく街の至る所にふわふわと浮かんでおり、建築物を妖しげに照らしているではないか。
「……結構、明るいな」
「なんだ。もう始まってたのね」
ちらりと下を見ると、そこに広がっていたのはヨーロッパ旧市街のような町並み。そして、下には数十人の魔女たちがちらほらと数人のグループになって談笑をしている。
後ろを振り返ると、ナツキたちが飛び込んだものと、似たような形の噴水が光り輝いており、そこからナツキたちと同じように飛び出てくる人の姿があった。明らかにさっきいた場所とは全く違う場所。
(……『シール』かな?)
だが、『シール』にしてもこんな大人数が入っている『シール』なんて見たことがない……!
「ほ、ホノカ。これって!?」
「これは『共通シール』。異能であれば誰でも入れる『シール』よ」
「こんなに人が……」
「『共通シール』は街のどこかに入り口があって、そこから入れるの。普通の『シール』と違っていくつも入り口があるから、私たちが入った場所以外のとこから入っている魔女もいるわよ」
「……すごい」
まるで灯籠のような幻想的な光によって照らされているレンガの道に降りると……まるで、自分が中世ヨーロッパにタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。
「魔女の集会っていうから、夜の山とかでやるんだと思ってたよ」
箒から降りたナツキがそういうと、ホノカは箒を『収納』の機能を持つ巻物にしまい込みながら、
「それも間違いじゃないわ。けど、山に集まってたのは、15世紀とか16世紀まで。産業革命以前の話ね」
「そんなに昔なんだ」
「そう。でも、今は『共通シール』でやるのが一般的よ。これなら異端狩りにも一般人にも見つからないもの。ナツキだって、今さら日常生活で馬を使ったりはしないでしょ? それと同じで、魔女の世界もどんどん便利にあってるの」
「……なるほどなぁ」
「さて」と言いながら、ホノカは自分の胸元に巻物をしまい込むと、続けた。
「ここからは私に任せて。あと、私の側から絶対に離れないで」
ホノカの忠告を守るようにナツキはそっと彼女の側に付く。
それを見たホノカは静かに頷くと、談笑していた魔女たちに近づいた。
「こんばんは。良い夜ね」
ホノカがそう聞くと、ナツキたちと同じように仮面を付けた2人の魔女が振り返った。
「ああ、良い夜だ」
「うん。良い夜だね」
返ってきたのは、中性的なハスキーボイスと、甲高い子供のような声。
きっと声にも『認識阻害』の魔法が働いているんだろうとナツキは考えた。
「魔剣鍛冶師を探しているの。知らない?」
ホノカが問いかけると、2人とも顔を見合わせて肩をすくめた。
「知りたいなら等価交換だ。そちらも何かしら情報を出してもらおう」
「良いわ、私の知ってることならね。それで、何が知りたいの」
「異能狩りの動向だよ。“天原”の長子が……」
異能の専門的な話が始まってしまい、暇になったナツキは夜会の中を見回した。
魔女の集会というから、もっとドロドロしいのを予想していたナツキだったが……実際には魔女たちが集まって交流しているだけ。とは言っても、ただの雑談ではなく、今のホノカのような情報の交換なんだろうが。
(……思ったよりも、平和なんだな)
殺伐とした異能の世界の話である。
『夜会』というのは生贄を捧げたり、悪魔を召喚したりするようなものだと思っていた。
なんて周囲を見ているとどうやら話が終わったようで、ホノカと魔女が手を結んでいた。
「ありがとう、まさか殲魔士の話まで聞けるとは。こちらも魔剣鍛冶師の話をしよう」
気を良くした長身の魔女はそういうと、にこやかな調子で語りだした。
「とは言っても、この近辺には魔剣鍛冶師の工房が無くてね。魔剣の性質にもよるが……君の話を聞く限り、ちゃんとした修復がしたいなら備前まで行けばいい。だが応急処置で良いなら、この近辺にもあることにはある」
備前……備前ってどこだ?
ナツキは【鑑定】スキルを使うと、岡山県だと出てきた。
いや、遠くは無いけど近くも無いな。
【鑑定】スキルによると、備前は元々刀の名産地。このように江戸時代以前から刀を作っていた場所では、魔剣や妖刀を作ることのできる異能の一族がいて剣や刀を打っているらしい。
そして、それらの異能が異能狩りに拾われると、異能を狩る聖剣を作ったりするんだそうで。
「一応、近場も教えてもらえる?」
「構わない。『便利屋』と呼ばれているがな、一般人も異能の依頼も金さえ払えば断らずに依頼を受けてくれる若い魔術師がいるのだ。場所は……」
だが、どうやら近場で手入れしてもらえる場所があるらしい。
ナツキに言わせると、次の一戦持ってくれさえば良いのだ。
ナツキはディスプレイを起動して、そこに表示されているクエストを見る。
その中には『影刀:残穢』で相手を倒すというクエストがあり、その報酬で、
(……刀が、成長するんだ)
刀が成長すれば、その刀は新品になると【鑑定】スキルにある。
だから、あと一戦だけでも……。
なんてことを考えていると、ナツキの後ろにそっと誰が立った。
誰だろう……と、振り返るよりも先に耳元でその魔女が囁く。
「……八瀬くんよね?」
びく、とナツキの身体が固まる。
『認識阻害』の魔法が破られたかと思ったが……違う。
その声は、聞き覚えのある声だ。
「……ヒナタ?」
ナツキは問いかけると同時に振り向くと、そこには今朝電車で知り合ったばかりの美少女……夢宮ヒナタがそこにいた。
仮面を付けてはいなかったが、深くフードを被ることで顔を隠している。
「……どうしてここに」
夜会には魔女しか参加できないはずだ。
彼女は『超能力者』。夜会への参加権はない。
「どうしてって、空を見てたら……たまたまアナタたちを見つけたから、追いかけてきたの」
「追いかけるって、俺たちは空を飛んで……」
それに、『認識阻害』の魔法もかけているとホノカは言っていたのに。
「『転移』」
「……っ!?」
超能力者は瞬間移動できるのか……ッ!
「それで、面白そうなことをしてるから……参加してみたのよ」
「だ、駄目だ。今すぐ帰った方が良い。ここは、魔女以外は参加できなくて……」
「八瀬くんも、魔女じゃないわ」
「それはそうだけど、俺は使い魔として……」
なんて話をしていると、
「ありがとう。良い話が聞けたわ」
「こちらこそだ」
どうやら話が終わったらしく、ホノカと魔女が互いに握手を交わしていた。
「……とにかく、今すぐ帰ったほうが良い。君のためだ」
「嫌よ。こんなに面白そうなこと帰れるわけ無いじゃない」
か、快楽主義者すぎて話が通じん……っ!
ナツキがコミュニケーションの難しさに頭を悩ませていると、ホノカが近くにやってきた。
「どうしたの? ナツキ」
「……ヒナタが来た」
「……はい?」
ホノカが首を傾げてナツキの側にいる少女を見ると……ホノカは目を丸くして飛び退いた。
「なっ、なんでここに!?」
「追いかけてきたのよ」
「……仮面を付ける前に見られてたのね」
ホノカはため息を着くと、
「悪いことを言わないから、帰った方が良いわ。もし、魔女以外がいるってバレたら何されるか……」
ホノカも思わず声が震える。
「ナツキ、私たちも帰りましょう。こんなところに長居する必要はないわ」
「そうしよう」
そう言って帰ろうとした時に、どろりとした闇の塊が夜会の周囲を包んだ。
「へぇい、みんなぁ。楽しんでるぅ?」
やけに気の抜けた声。
だが、とても通る声。
それが、突如として夜会に現れた。
声の主を見るとそこには箒に乗った1人の魔女。
目元を隠す仮面をしておらず……素顔を晒している。
透き通るような蒼い髪に、雷のような青白い瞳。身長は低く、幼くまるで小学生のようにも見えるが、放たれている魔力の量が桁違い。
それになによりも、上に羽織っている長いローブが風にはためいて、中が見えると……。
「……っ!?」
魔女は、ローブの下に一糸も纏っていない。
(へ、変態だ……ッ!?)
何なんだ今日は。
痴漢しようとするヒナタにも会うし、上着一枚羽織ってるだけでほぼ全裸で空を飛ぶ魔女にも出会うし今日は痴女の日なのか!!?
「待って待って。みんな、怒んないでよぉ。私だって、基本的に夜会には干渉しない。私はこの場所の管理者だけどぉ、基本的には無介入」
夜の街の光に照らされながら、幼き姿の魔女の視線がヒナタを捉える。
「でもねぇ、侵入者がいた場合は別なんだよぉ」
……バレてる?
「魔女しか入れない夜会に2人の侵入者だよぉ。面白いことに、『呪い』はもう……発動してる」
そう言った瞬間、ナツキの身体がまるで磁石のようにヒナタに向かって引き寄せられたっ!
「おわっ!!」
「ちょ、ちょっと、八瀬くん!?」
「身体が勝手に……!」
ヒナタとくっつくような形になってしまったナツキは彼女から離れようとするが……離れられない。どれだけ手を離そうとしても、ヒナタの身体がついてくるのだ。
いや、どういう状況!?
「何とかしてくれ!」
「何とかって……侵入したのは君たちだよ?」
ぐうの音も出ないド正論にナツキは黙らされた。
「わ、悪かった」
すぐに謝れるのはナツキの良いところだが……。
「ま、君は別に良いんだけどね。そこの魔女の使い魔かなんかでしょ? でも、その超能力者は駄目だよぉ。ルールは守るためにあるからね。というわけで、男の子の君にはご褒美だ。その呪いはお互いに離れられなくなる私特製の『愛欲の呪い』」
「な、何が……ご褒美なんだ……!」
ナツキはヒナタと「せーの」で身体を起こすと、そう苦情を上げた。
「『愛欲の呪い』の解除方法はただ1つ」
だが、見下ろす魔女は笑いながら、
「呪われてる者同士、セックスすれば良い」
そう、言った。