第11話 すれ違う異能
ナツキはユズハが魔女のことを知っていたことよりも、彼女が『シール』を展開したことに驚きが隠せなかった。
「す、すぐに八瀬さんと距離をとってください! 魔女には『惚れ薬』とかあるんです! 八瀬さんの気持ちを操ってるんです!」
誰もいない教室で焦ったように言うユズハを、ナツキは両手で抑えた。
「ゆ、ユズハ。落ち着いて……」
「お、落ち着くのは八瀬さんの方です! こ、こんな危険な魔女にそこまで近づいて……な、何かあったらどうするんですか!」
「何かって?」
「あ、悪魔召喚の生贄にされたりとか、使い魔にされたりとか!」
ユズハは前髪を激しく揺らして抗議する。
「呆れた。こんな異能だらけの学校で『シール』を使うなんて」
だが、ユズハの抗議に何か言い返すよりも前に、ホノカはユズハが『シール』を使ったことに対して言いたいことがあるようだった。
「アンタ、分かってるの? どれだけ偽装しても『シール』は空間操作の魔法。勘の良い異能がいたらすぐに使ったのがバレるのよ」
「だ、大丈夫です! 覚醒済みの異能は、このクラスには、わ、私だけですから!」
……ああ、ユズハも異能だったのか。
世界が狭いというかなんというか。
ナツキは何も言えずに、ユズハを見た。
「わ、私が……虐められてた時に、は、八瀬さんが守ってくれたんです! だ、だから……今度は私が、八瀬さんを……悪い異能から、守るんです!」
「ユズハ、俺は別に何かされたわけじゃ……」
「さ、されてるんです!」
「はい?」
「だ、だって! 八瀬さんとの距離が近いんです、その魔女!」
「え? そうか?」
俺とホノカの距離は50cmほど。
そんなに近いわけじゃない。
「わ、私だってそこまで近づくのに2週間はかかったのに! き、『来て』!!」
それは、何らかの詠唱だったのだろうか。
ぐにゃり、とユズハが立っている教室の床が脈打つと、そこから頭の無い巨大な人型が出現。
それが、ぬるりとユズハの後ろに控えた。
「だ、大丈夫です。八瀬さん。私が八瀬さんを守りますから……!」
「守るって……?」
守るという言葉にやけに力が籠もっているので、若干恐怖を感じながらナツキはそういった。
「私が八瀬さんをその魔女から守るんです。せい!」
せい! という、可愛らしい掛け声に合わせて後ろに立っていた巨人がホノカに向かって腕を振るう。彼女はバックステップで回避。
ドンッッッ!!!!
巨人の拳が教室の床を貫通し、ぱらぱらと階下に破片を降らせる。
巨人が床から腕を引き抜くと、コンクリートの床に空いた穴から下の教室の様子が見えた。
「わ、私は八瀬さんを悪い異能から守るためにずっと見てたんです。わ、私を虐めてたのは一般人だったから、異能を使っちゃ駄目だったんです。使ったら異能狩りに殺されちゃうから……。でも、八瀬さんが、八瀬さんだけが……私をちゃんと助けてくれたんです。だから、私が八瀬さんを守るんです!」
可愛い掛け声とは裏腹に信じられない威力の拳で、ナツキの背筋に冷たいものが走る。だが、すぐにその恐怖は消えていく。パッシブスキルの【精神力強化Lv1】の効果だろう。
「な、なぁ、ホノカ。ユズハと戦う必要は無いんじゃないか?」
ユズハは自分になついてくれている。
そんな彼女と戦うのは忍びないと思い、ナツキはそう言ったのだが、
「話し合いでどうにかなるなら今頃『シール』の中にいないわよ。あれは精神状態が内向型の異能に多い強力な思い込みに囚われてるわ」
「ど、どうすればいい」
「頭に水をぶっかけて、冷静にさせるのよ」
「……分かった」
ナツキは頷くと、ホノカの前に立つ。
彼女の得意とするのは中距離魔術。
一方でナツキは今朝手に入れた【身体強化Lv2】と【剣術Lv2】がある。至近距離でもなんとかなるだろう。
「『来い』」
ナツキはそう言うと、『影刀:残穢』が出現。
ナツキは彼の上腕ほどの長さを持ったドス黒い短刀を強く握りしめた。
それを【剣術Lv2】の感覚に合わせて……構える。
今まで一度も剣術なんて習ったことのないナツキだが、勘に任せたというだけで――隙のない構えを取れた。
「話を聞いてくれ、ユズハ」
「だ、大丈夫ですよ。八瀬さん。八瀬さんは痛くないですから。八瀬さんを誑かした魔女だけが痛い目に合いますから」
ナツキは説得にかかったが、ユズハは自分の語りたいことだけを語って……会話にならない。
「落ち着け、ユズハ。俺は別にホノカに騙されてるわけじゃ……」
「は、八瀬さんはそう言います! だって洗脳されてるんですから」
「洗脳!?」
急に飛び出してきたワードが理解できずに首を傾げるナツキ。
「わ、私に任せください! 私が八瀬さんを魔の手から救い出しますから!」
そういうなり、ユズハがぎゅっと両手で握りこぶしを作ると――ヒュパッ!
空気が弾ける音がして、ナツキの真横を黒い巨人の腕が擦過。
ナツキの頬が僅かに裂けて、血が垂れる。
巨人の狙いはナツキではなく、ホノカ。
それを分かっているからこそ、ナツキは、
「『弧月斬り』ッ!」
ナツキは短刀を振るって技を発動ッ!
刀身で弧の月を描く鋭い斬撃が巨人の腕に直撃。
巨人の腕をまるでバターのように、しゅるりと断ち切ってナツキはさらに一歩踏み込んだ。
「……『強化』ッ!」
ミシッ!!!
ナツキの全身から響き渡るは筋肉の引き絞られる音ッ!
そのままナツキは巨人の体を蹴り上げると、
「『縮地』ッ!」
パン、とナツキの姿が消える。
瞬きほどの時を経て、ナツキの左手が浮かせた巨人の足を掴んでいた。
「……ふんッ!」
そして、その巨体をバットのように振り回して地面に叩きつけるッ!!
ズンッッッ!!!!
小さな地震でも起きたかのように教室が激しく揺れて、窓ガラスが砕け散る。
そのガラスの雨を縫うようにして、ナツキは巨人から手を離した。
「は、八瀬さんは一般人じゃないんですか……?」
「……悪い。俺は異能なんだ」
ユズハはナツキの人外の動きに声を震わせて、数歩後ずさる。
それを、なるべく刺激しないようにナツキはそっと彼女に手を差し伸べた。
「俺は君を傷つけたくない。だから、俺の話を聞いてくれないか。ユズハ」
「で、でも。八瀬さんは、そこの魔女に洗脳されてて……」
まだそう言い続けるユズハに困ったナツキは、ちらりとホノカの方を見た。
「なぁ、ホノカ」
「何?」
「俺たちの関係、言っても良いんじゃないか?」
「……それなら、私が話すわ」
ホノカはそう言うと、視線をユズハに戻す。
「聞いて。私とナツキはある協力関係にあるの」
「な、なんでこの学校に来たばっかりのアナタが……八瀬さんと……」
そんなユズハを納得させるために、ホノカは続けた。
「私とナツキはある儀式を起こそうとしてるの。儀式規模で言うとLv3のね」
「だ、大規模魔術じゃないですか!」
ま、儀式規模?
なんの話だ???
異能の話となると全然ついていけないナツキは、こっそり【鑑定】スキルを使った。
――――――――――――――――――
儀式規模
魔術、魔法によって起こす儀式を段階に応じてレベル別にしたもの。
高位の儀式になるほど得られるものも大きいが、用意に手間取り失敗したときの代償も大きい。
Lv1:小規模儀式
・降霊術、変身術等
Lv2:中規模儀式
・異界との交信及び契約等
Lv3:大規模儀式
・異界からの召喚、聖遺物の再現等
――――――――――――――――――
持っててよかった【鑑定】スキル。
これで会話についていけるぞ。
「そう、大規模魔術よ。私は日本に来たばかりで、土地勘とかも全くわからないし……敵も多いわ」
ホノカはユズハに説明をしているが……〈杯〉のことは意図的に抑えているように見える。
だが、ナツキはすぐにそれもそうかと思い直した。
〈杯〉の再現とは、願いを叶える器の降臨。
ユズハがそれを知った時に、願いを要求してくることを避けるのが目的なのだろう。
断片は互いに引き合う。数を増やせば増やすほど、他の断片保持者に狙われやすくなるのだ。ただでさえ、そんな状況にいるのであえて敵を増やす必要はないと彼女は考えたのだ。
「……どんな儀式なんですか」
大規模魔術と聞いて不思議に思ったユズハがそう聞くと、ホノカは首を横に振った。
「言えないわ」
「えっちなやつですか!?」
「違うわよ!」
顔を真赤にしたユズハと、それに顔を真赤にして否定するホノカ。
そして、案外似た者同士なんじゃないかと思ってしまうナツキ。
「とにかく! そのために私はナツキと協力しているの。別に私がナツキに何かしたわけじゃないわ」
「……ほ、本当ですか!? 八瀬さん!」
「そうだ」
ぱっ、とナツキの方を振り向いたユズハにナツキは頷く。
そう言われて、ユズハは考え込むように親指を噛んだ。
「ぎ、儀式。それで距離を近づけるという手があったんですね。で、でも八瀬さんは異能じゃないから巻き込めないって……あれ?」
ふと、ユズハが顔をあげた。
「八瀬さんは、いつ異能になったんですか?」
「昨日だ」
「そ、それは気が付かなかったです……」
ユズハは気の抜けた声を出しながら、へなへなと『シール』に再現された自分の椅子に腰掛けた。その後ろで首のない巨人が困ったように、おろおろと立ち尽くす。
だが、ユズハは急に立ち上がると、
「で、でも! なんで昨日異能に目覚めた八瀬さんが、そんな大きい儀式を起こそうとしてるんですか! おかしいですよ!」
「……それは」
ホノカが僅かに言いよどむ。
だから、代わりにナツキが前に出た。
「俺がやりたいと思ったからだ」
「……八瀬さんが」
ユズハはナツキの言葉を信用したのか、そっと自分の後ろに立っている巨人に触れると……再び床が脈打って、巨人の体が地面へと消えていった。
「わ、分かりました。信用します」
「そう、良かったわ」
ホノカも安心したように杖をポケットにしまい込んだ。
「で、でも! 私が信用したのは八瀬さんです! あなたは信用してません!」
「別に良いわよ。異能の言葉なんて私も信用してないし」
……2人とも言葉に棘があるなぁ。
もっと仲良くすればいいのに。
だが、そんなナツキの内心など知らないと言わんばかりに、ユズハがナツキを見た。
「そこで、八瀬さん! 私から提案があります!」
「提案?」
そう思っているナツキを他所に、ユズハがそう話しかけた。
「そうです! まだ異能に目覚めて日が浅い八瀬さんに、私が家庭教師をします!」
「家庭教師? 異能の?」
と、ナツキが聞き返すと、
「はい! 私が八瀬さんに、この世界でも生きていける方法をちゃんと教えてあげます!」
「別に要らないわよ。私が代わりにやってるから」
と、何故かホノカが断った。
「あ、あなたには言ってないんです! 私は八瀬さんに聞いてるんです!」
「は? ナツキだって要らないって言うわよ。私の教え方の方が上手だし。そうよね、ナツキ?」
いや、別にホノカからまだそんなに教わってないけど……。
「ほら、ナツキさんが困ってますよ! 大丈夫です。私に任せてください!」
「駄目よ。ほら、ナツキもなんとか言って」
やけに焦ったように否定するホノカを置いて、ナツキは自分の中に埋もれた疑問を解消するべく尋ねた。
「ホノカも、ユズハも、異能としては別なのか?」
「……そうね。この子は召喚士。自分の力じゃ何も出来ないから他に頼る非力な異能ね」
「う、魔女は人の心をたぶらかすエッチな異能です!!」
ホノカの悪口に、負けじとユズハが乗っかってくる。
「だったら、俺はユズハからも教わるよ。知らないことが、知れるかもだし」
「ほ、本当ですか! やった!」
嬉しそうにその場でぴょんぴょんと跳ね回るユズハとは対象的に、ホノカのテンションはダダ落ちしていた。