北条
4月29日 午後3時50分 文学部棟
☆☆☆side北条久美子☆☆☆
四限目が終わった。
相も変わらず眠気を誘う講義だ。
あの先生、自分で何言ってんのか分かってんのかしら……。
あーあ、まだ五限目がある。
ちょっと急がないと遅刻ね。別にいいけど。
「おい、ちょっと聞きたいことがある」
誰?
こんな呼び方する人で、しかも私に用がある人なんて、いないはずなんだけど。
「あぁ、あんた、浅原君だっけ? 今日は帰ったんじゃなかったの?」
「そんなことより、聞きたいことが有る」
「ああ、一限目のことね。でもそれなら、遅刻した私より、誰か他の人に聞いてよ。それじゃ」
「待ってくれ。お前じゃないと駄目なんだ」
やだ。
事情を知らない通行人が、好奇の目でこっちを見てるわ。
「そんな大声で人聞きの悪いこと言わないでよ」
「何の話だ? まあ、んなことぁどうでもいい。とにかく、俺の話を聞いてくれ! 俺の話を理解できるのは、お前しかいないんだ」
おお~っ。
……いつの間に集まってくれてんのよ、この野次馬どもは……。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、私は五限目にでないといけないから。付きまとわないでくれる?」
ああ、墓穴掘ってるわ、私。
「付きまとう? 自意識過剰なんじゃねぇのか、このオカルト女」
「へっ? オカルト女? なにそれ? 思い込みが激しいわね……」
「それはこっちのセリフだ」
不味い。
これは完全に痴話喧嘩の構図だ。
はやいとこ切り上げないと、恥ずかしいったらありゃしない。
「なんだかよくわかんないけど、とにかく私は講義にでるから、後でお互い、じっくりと話し合いましょう」
それを合図に、野次馬どもがぞろぞろと引き上げ始めた。
……ふん、暇人どもめが。
私もその波に乗って、早々に立ち去った。
「はぁ? 何を言ってるんだ、おい」
☆☆☆side浅原啓太☆☆☆
なにがなんだか分からない。
ただ、体よくかわされたことだけは分かった。
くっそぉ、それにしてもこっちをストーカーまがいのように扱いやがって……。
しかし、考えてみれば無理もないか。
確かにこっちもちょっと焦っていたかも知れない。
それに売り言葉に買い言葉でついつい言い過ぎてしまった。
「ああ、君々、痴話喧嘩をするのはいっこうに構わないが、ちゃんと講義には出なさいね」
誰だ、このオヤジ。やけに姿勢がいいな。
「まさか覚えてすらいない、って言うんじゃないだろうね」
そうか、さっきの講義はこの先生が担当してたんだ。
いっつも後ろの方に座ってたし、顔なんかよくみてなかったからな。
「ああ、いえ、はい。次はちゃんとでます」
「そうか。面接を担当した私としても、君には期待しているんだ。しっかり頼むよ」
……そうだったっけ。
って、あれ? なんかおかしいぞ。
「あの~、痴話喧嘩って何の話ですか?」
面接オヤジは不思議そうな表情を浮かべた。
「今更なにをとぼけてるんだ。君の声が廊下中に響き渡っていたじゃないか」
はっはっはっはっ、と笑いながら歩み去るオヤジ。
……そういえば、そんな風にとれんこともないな。
待てよ。
だからそれに気付いたオカルト女はあんな発言をしたのか。
……あの女、何がじっくり話し合う、だ。
4月29日 午後7時10分 北条家
☆☆☆side北条久美子☆☆☆
ぷるるるっぷるるるっぷるるるっ ピッ
「あ、もしもし、香織? ちょっと聞いてくれる? 今日さあ、あのストーカー男がついに接触してきたのよ」
「ええっ? ……ああ、この前の、同じ学科の人のこと? でもあれって、単に同じ学科の人だなぁ、って思って見てただけなんじゃなかったっけ」
「私もそう思ってたんだけどね、今日、講義の後にいきなり話し掛けてきたのよ、『俺の話を聞いてくれ』とか言って。それに、実は今朝方、そいつ下宿生のくせして私ん家方面をうろついてたのよ」
「ちょっと久美子、あんたまたそうやって、ワザと話を面白く加工してるんじゃないの? 本当は他愛もない話をされただけ、とか」
「まあ、一部そうだけど」
「ほらね。大体、あんたん家ってやすいスーパーのすぐ近くじゃない。その人もどうせそこに行こうとしてただけなんじゃないの」
「うん、本人もそう言ってた」
「『そう言ってた』? 話し掛けてきたのは講義の後じゃなかったの?」
「うん、今朝は私から話し掛けた」
「……それで、用件は? ないんなら切るわよあんた」
「ちょっとまってよ。じつはその男について、あながち笑い話じゃ済まないかも知んないのよ。今朝は何とも思わなかったんだけど、問題は夕方の方でね、そいつ『俺を理解できるのはお前しかいない』なんて言ってきたのよ」
「……へぇ、ちょっと深刻そうね」
「本当は『俺の話を理解できるのは』って言ってたんだけどね」
「やっぱ切ろうかな」
「まぁ待ちなって。それでやっぱり今朝のは、私の家でも探してたと考えられなくもないわけよ」
「えらく消極的な心配の仕方ねぇ……。それで、夕方にどんな話をしてきたの?」
「さあ」
「へっ?」
「だってさあ、暇な野次馬が集まってきちゃって、恥ずかしくてかなわないから、適当に切り上げちゃったのよ」
ピッ ツーーーーーーーーッ
ぷるるるっぷるるるっぷるるるっ ピッ
「ちょっとひどいじゃない! いきなり切るなんて」
「まぁちょっとしたネタよ。それにしても……野次馬が……ぷふっ……ねぇ……くっ、アハハハハハハッ!」
「なによ、そんなにひとの苦悩が面白い? これでもけっこう心配してるんだから」
「ああゴメンゴメン。でもさあ、あんたちょっと自意識過剰気味よ。それにしても……くふっ」
「……おなじことをあのストーカー野郎にも言われたわよ。ストーカーに言われたらお終いよね。でも、それよりもっと腹が立つのは、私をオカルト女呼ばわりしたことよ」
「何、オカルト女? アハハッ、そりゃ傑作だわ。あんたがメガネ掛けて本読んでる時なんて、そのものじゃない」
「……それにはあえて反論しないけど、いくら私でも講義中に本読んだりはしないもん。つまり件のストーカー野郎がそんなこと知ってるはずが無いのよ」
「構内のどっかで読んでるのをたまたまみた、とか」
「それでも立派な妄想男よ、怪しいのに違いは無いわ」
「うーん……そうかも。この際、その話とやらを聞いてみるしかないんじゃない? 安全は確保しないといけないけど。そうねぇ、人の多い学食とか」
「学食に、二人っきりで? ちょっと勘弁してよ」
「くっ……くふ、アハハ」
「また笑う。自分で言っといて」
「今度のGWにはそっちに帰るから、そん時にでも一緒に行ってあげよっか?」
「それは勘弁して。どうせ一目見てみたいだけなんでしょ。自分で何とかするわよ」
「友達甲斐の無いやつ」
「じゃあこれで。GWはどっかで遊ぼう」
「そうね。それはまた今度。じゃ。……ところであんた、いいかげん携帯買ってもらったら?」
「いいわよ。鬱陶しいから、あれ」
それから延々30分、結局GWどこにいくかまで決めて、電話を切った。
香織はいつも通り、話題が尽きない。
いや、今日はいつもより少し長めだった。
話したことは、それほどたいした内容ではなかった。
本当に取り留めの無い会話。
でも、今は。
そんな香織との会話、香織の気遣いが、有難かった。