第113話 踊りだす文字
いくつかコンテストに応募していて選考中なのですが、望み薄でも待っているこの時間は楽しいですね。
受賞?
知らね。
アラタがレイフォード家に身を寄せてから1カ月が過ぎ、もう少しで2カ月になるという頃、11月のカナン公国は寒かった。
日本と同じ気候だと思っていた彼は、11月の寒さはもう少しマシなものだと思い込んでおり、アトラではないが山岳部では雪が降ったと聞き、震えた。
特配課、世間的にはティンダロスの猟犬として活動するようになり、大規模な作戦で多くの戦力、仲間を失い、再編成されたD分隊を率いる彼は気持ちが落ち込むことが増えた。
血の1週間が終わり、アトラの治安は幾分か改善されたものの、この国に巣食う闇は依然として深い。
彼は命令に従い、敵を捕らえた、殺した。
「…………はぁ」
俺たちの活動は無駄じゃない。
冒険者や警邏は自由に動くことが出来て、効率もいいんだろう。
ただ、俺にはどうしても割り切れない。
今日も一人、俺は目の前で人を見殺しにした。
殺しの証拠があったほうが捜査はスムーズに進む、だから見殺しにした。
仮面を着けていて、見えていないはずなのに目が合った気がした、怖かった。
目の前で起こっている悲しい出来事を、次の悲しい出来事を防ぐために見過ごすことは正しいことだとはどうしても思えない。
壁に立てかけられた刀に眼をやる。
新品同様に輝き続けるそれを、今日彼は抜かなかった。
抜くべきだった、しかし抜かなかった。
正義感、と呼ぶべきなのだろうか、ただのエゴと呼ぶべきなのだろうか、それとも彼の気持ち、考えにピッタリな言葉がこの世界に存在するのだろうか。
……正しくはないさ、でも、俺の自己満足で目の前の人を救ったとして、その結果がより多くの人を傷つける結果に繋がったとしたら、俺は責任を取れるのか?
責任を取る、それは辞任することや賠償金を支払うこと、謝罪することが広く知られているが、特殊配達課で起こる責任問題はそんな程度のもので解決する類のものではないことくらい、彼はとうの昔に知っていた。
正真正銘人々の暮らしが、命がかかっている。
人一人の命では到底賄いきれるものではないのだ。
今になってノエルに言われたことが頭ん中で喚いてる。
『こいつが後でまた罪を犯したら、アラタは責任を取れるのか?』
うるさいな。
取れるわけねえだろ。
そんなこと分かってる、特配課の総意を代弁したA1、ノイマンさんの意志も、冒険者として先輩で、この国の偉い貴族のノエルの信念も、そんな重たいもんに俺が何か説得力のある返しが出来ると思うのかよ。
でも、例え討伐許可が下りているとして、無抵抗の人間を殺す。
先の事を考えて目の前のことに目を瞑る。
それは間違っていると、そう言うことじゃないだろって俺は思ったんだ。
だから——
「アラタ? 聞いてる?」
アラタは少し前からエリザベスの仕事を手伝うために、よく彼女の執務室に忍び込んでいた。
彼が屋敷に来てこの方、休みなど1日もない公爵家の当主。
アラタが彼女と二人きりで接する機会を持つとすれば、この場所しかなかった。
「ごめん。ちょっと聞いてなかった、なんだっけ?」
「もう、しっかりしてよね。お友達とはいつ仲直りするの?」
「…………今度する」
「そう。出来る限り早くね」
「うん」
2人は無言になり、作業を進めていく。
もともとそう言う約束で彼はここにいる。
喧嘩して出ていった身、和解するまでの間、ここにいてもいいと。
しかし彼の帯びている役割はそれだけではない。
本当は喧嘩別れしてここにいるわけでもない。
恋仲になっても、相手に隠し事をしている後ろめたさが彼の口を重く固くする。
沈黙は金、アラタはそれを知っていた。
ふと彼が視線を上げると、漆黒の瞳が彼の方を向き、見つめている。
エリザベスは何も言わず、ただアラタを見つめていた。
真っ黒な瞳、その色は漆黒だが濁りは無く、部屋の明かりの光を受けて輝いていた。
鳥肌が立つ。
見透かされているのではないだろうか、本当は全てを知っていて、その上でこうして向かい合っているのではないのか、そんな怖さが生理現象として彼の腕に現れるのだ。
話題を変えなきゃ、きっとバレる。
「なあ、エ、エリーはさ、本当は異世界人なんじゃない? その……まぁ……」
あからさまな切り替え、これで違和感を覚えない方が無理というもの、しかし彼女はアラタの言葉に耳を傾けた。
「なんで?」
「その、笑うかもしれないけど……似ているんだ、元の世界の恋人に」
そして彼は案の定笑われた。
何かツボに入ったのか、エリザベスはしばらく笑い転げていたが、不思議と馬鹿にされている気もしなければ、真剣な思いを笑われた不快感も無い。
「ひーっ、ひーっ、ふふふ、似ている私も異世界人かも、そう言いたいの?」
「ちょっと笑い過ぎじゃない? まあ……そうなんだけどさ」
綺麗だな、まだ少し笑っているエリーを見て、心の底からそう感じた。
いつから好きになっていたのだろうか、明確にそう思ったのは向こうから攻められた時だけど、本当はいつからだったんだろう。
初めて出会った時から? それとも学校で会った時から? それともここに来てから?
いつからそうだったのか、今となってはもう分からないし、正確にそれを思い出す意味もない。
ただ一つだけはっきりしていることと言えば、今の俺はエリーのことが好きなんだ。
しっかりしていて、綺麗で、笑顔が可愛くて、一緒にいると元気づけられて、この子の力になりたいと思えて、だから俺は彼女が大公になる手伝いをしたくて、それで。
「ごめんね、私は異世界人じゃないや。アラタが私の所に来たのもそれが理由?」
「いや! そんなことは……少しあった」
「むう~~~!!!」
「あっあっ、怒んないで! その、確かに初めはそうだったよ? でも今は違う。似ているからじゃない、エリーの側にいたいと本気で思っている」
「ほんとにぃ~?」
ジト目で疑わしそうにこっちを見てくるエリーはめっちゃ可愛くて、さっきから語彙力が低くなってる。
元々そんなにないけど。
少し押され気味のアラタはこの疑いを晴らすべく首と手をブンブン横に振った。
「本当。本当だから信じて」
エリザベスから見れば、この男は自分ではない別の女を自分に重ねてここに来たと言っているのだ。
機嫌が悪くなることは避けられないかに思われたが、彼女の反応は意外と穏やかなものだった。
本当だと、その言葉に口元を緩ませながら満面の笑みを浮かべる彼女に、アラタは今日何回目が分からない可愛いを感じた。
「本当、本当かぁ~。うふふ、嬉しいよ、ありがとう」
その後も終始笑みを浮かべ続けていたエリザベスと共に、アラタはその日の仕事を終えた。
仕事が終わったのだから、ここからの時間はプライベート、2人の時間、普通ならそうなる。
ただ、公爵の身分にある者に普通を求めるのもおかしな話で、彼らが共にいられる時間はここまでだ。
アラタはここに来た時のように、音もなく去り、警備の人間に悟られることなく部屋まで戻るミッションがある。
「おやすみ」
「うん、また明日……っあ、そう言えばこれ、ちょっと見てほしいんだけど」
すっかり日を跨いでいる深夜、このままベッドにダイブして寝落ち確定コースのアラタは、最後の力を振り絞って一冊の本をエリザベスに見せた。
「これは?」
「それが読めないんだ。エリーは?」
彼の手に握られた本を受け取ると、ページをめくり目で記された記号を追う。
目を細めて本を逆さまにしてみたり、隠しページがないか背表紙を触ってみたり、色んな方法で解読を試みたが上手くいかず、最終的にあぶってみればいいと火にかけようとしたところでアラタに止められた。
「もう分かんないっ」
むくれるエリザベスはレア中のレア、少なくともアラタは自分以外の人前で彼女がこんな表情をしている所を見たことが無かった。
解読は叶わなかったが、この本のおかげで彼女の珍しい表情を目に出来た、たまには先生のすることも役に立つとアラタは思った。
「おやすみ」
「……おやすみアラタ」
部屋に戻るなり、泥のように眠ったアラタは翌日、午前中で業務が終了したため午後は訓練に充て、それでもいつもより少し早い帰宅、道具や体の手入れをしたのち、彼の手は自然とあの本を持っていた。
俺は日本語を話している、はずだ。
そしてこの世界の文字も覚えた。
記号である以上、一定の規則に沿って記述されているだろうけど、この本にはそれが全く感じられない。
表紙の皮の匂いと紙、後はインクの匂い。
図書館の香りかと言われればそれは違う、きっと皮が動物の皮で作られているからだろう。
机の上に本を置き、片手でパラパラと紙をめくる。
めくり終わった本は表紙を閉じ、ただそこにあるだけ。
先生は無意味なことはしないし言わない。
短い付き合いだけどあれもこれも教えてもらった、少しなら先生のことも分かるし、この本もきっと何か理由が会って俺に渡したはず……だと思いたい。
俺が本を読むことが出来れば、先生にとって何か都合の良いことが起こるんだろう、それははっきりしている。
午後、これから徐々に気温が下がり、日は落ち、やがて夜になる。
まだ少し暖かい時間の中で、ウトウトとしていたアラタは、そのまま眠りについた。
彼の考えるように、アラタが本を解読すればドレイクにとって何か都合の良いことが起こる、それは確かだ。
だが今までの出来事がそうだったように、ドレイクの望むことがアラタの望むことではないことは誰でも分かる。
当然だ。
2人は立場も、性格も、年齢も、その人を他人と識別するための、ありとあらゆる情報が異なる、まさしく赤の他人なのだから。
「……っふ、今何時だ?」
日が落ちてから少し経つ。
と言っても冬の日没は早く、時間はそこまで遅くない。
少し寝ぼけたままアラタは食事を摂り、一度部屋に戻る。
黒装束に仮面を身につけ、準備万端でエリザベスの元へと向かうアラタ、既に気配遮断が起動している。
警備をすり抜け、長い廊下を歩んでいくと、慣れた手つきで扉を開けた。
お待たせ、そう言いかけたが待たせた相手の気配がないことを察知し、のどまで出かかた言葉を引っ込める。
トイレか何かだろう、そう判断し無人の部屋の中で一人作業を始めた。
幸い書類は山積しており、エリザベスを待つまでもない。
いつも通り内容を読み取り、判が必要なものはエリザベスを待ち、彼女に見せるまでもなく再提出が必要なものは端に避けておく、彼の仕事だ。
トイレにしては長い、そんなことも考えたが、もし便秘気味なことを気にしているようなことがあれば、しばらく口もきいてくれなくなることは確定だ。
考えないようにしよう、彼がそう決めるまでさほど時間はかからず、それがやがてやって来る彼の未来を速めた。
「…………は?」
文字が鰹節みたいに、ゆらゆら踊って、いや、書き換えられていく。
あれだ、翻訳アプリを使ってスマホのカメラからリアルタイム翻訳にかけた時のそれとおんなじだ。
彼の目には、見間違うはずもない、ここ最近、急繕いで覚えたそれではなく、18年間いた世界の文字、日本語が映っていた。
正確には目に映っているように見える、だ。
頭の中で直感的に理解している。
アラタも分かっている、今起こっていることはスキルの影響であると。
机の上に広がる書類を手当たり次第に並べ、視界に文字を入れていく。
そうしなければ、そんなことしなければ、彼は何も知らず幸せな今を生きることが出来ただろう。
虚飾の日常に浸かったまま、ただ一人、好きな女の背中を追いかけることが出来ただろう。
夢はいつか必ず終わる時が来る。
彼にとって、それは今だった。




