第四話
六月九日(水)
健太と美羽は戻ってきた。そしてそこは、ルーナンシアに飛ばされたときにいた、男子トイレの個室。
もちろん、二人とも全裸である。
このことは事前に美羽に伝えてあり、幾つかの取り決めも行っていた。
まず、ふたり同時に服を着るには個室は狭すぎる。そのため美羽から服を着ることにする。その際、美羽がいいと言うまでは目を開けない。匂いを嗅がない。身動きしない――以上が取り決めのすべてである。
そして今、その取り決めどおりに美羽の着替えが終わるまで、健太は壁に向かって直立不動で立っている。
「トイレの床についた服を着るの……抵抗があるんだけど」
美羽が不満を述べる。
「今度はなんか敷くもの用意するよ」
「他にいい場所ないの?」
「ここが一番まわりを巻き込まないで済む場所なんだよ」
この高校は元女子高だ。共学になった際、強引な改装によって男子トイレが作られたらしく、非常にいびつな形になっている。
いま健太たちが入っている一番奥の個室は、隣りの個室とも離れており、転移の際に他の人を巻き込む恐れが少ない。
「裸になっちゃうのはなんとかならないの?」
「いろいろ試したんだけど、ダメだった。口の中だろうが、お腹の中だろうが、入ってるものはぜんぶなくなるらしい」
「お腹の中も? じゃあお腹一杯食べても痩せられるじゃない」
美羽のテンションが急に上がった。
「そのあたりのことはよくわからないけど……はぁはぁ」
「ちょっと、なんでそんなに息が荒いのよ? もしかしてこっちを見てるんじゃないの?」
「見てないよ」
「じゃあ匂い嗅いでるんでしょう?」
「嗅いでないよ。はぁはぁ」
「じゃあ、なんでよ?」
「わからない……たぶん、フェロモン的なやつじゃない、かな?」
「それって、どんな匂いがするの?」
「すぅーはぁー。甘いにおいがする」
「やっぱり、嗅いでるんじゃないの」
「元々、無理があるんだよ。匂いを嗅ぐなっていうのは」
「口で息すればいいでしょ?」
「口と鼻はつながってんだぞ」
「じゃあ、口も閉じて」
「だいたいなぁ、俺だって恥かしいんだぞ。美羽にずっとお尻見せてるんだから。それになぁ、せめてもの抵抗としてだな、お尻の穴だけは見せまいとキュッとすぼめてるんだぞ」
「そんな汚いもの見ないわよ」
「嘘つけ、じっとしてるのも疲れたぁ。ほーれほーれお尻がゆれてるぞー」
健太は頭にきてしまい、お尻を揺らしはじめる。
以後、美羽は口を閉じた。
そんなこんなで二人は服を着た。
「じゃあ俺が先に出てようすを見てくるから」
美羽はそっぽを向きながら頷いた。
健太は苦笑しながらそっと扉を開けるが、とたんに足音が聞こえ、あわてて扉を閉める。
入ってきたのは三人。どうやら健太のクラスメートのようだ。
三人は話をしながら入ってきた。
「健太のやつ、どこいったんだろうな」
「どうせ、またふらっと帰ってくるだろ」
「でも今回は美羽も一緒だろ?」
「ああ、はじめてのパターンだな」
「でもいいよな、健太のやつ。あんな可愛い子に追いかけられて」
「俺だったら抱き締めにいくね。あの柔らかそうな胸をぎゅーっとするね」
「お前、姫さまが好きだったんじゃねぇの?」
「姫さま」というのは通称で、本名は真田玲奈。
健太のクラスートで、長く美しい黒髪をしたモデルのような体型を持つ少女。人を寄せ付けない雰囲気と、一分の隙もないほどの可憐な容姿により、一部の者からは崇拝の対象にもなっている。家は地主らしく、裕福だという噂だ。また、席は健太の隣り。
「姫さまは憧れであってリアルではないっていうか……」
「ああ、それわかる。美羽だったら、普通に足とか臭そうだよな」
「そうそう。そんな感じ」
「美羽っていつも消臭スプレー撒き散らしてるよな? 実は本当に足臭いんじゃねえの?」
「じゃあ、おまえ今度嗅いでみろよ」
「やだよ。臭そうだもん」
三人の会話が続く中、美羽はうつむき、体を震わせはじめた。
そんな美羽を、健太は見ていられなかった。
健太は腹に気合を込め、扉を開けて外に出ていく。
「おい、おまえら」
扉をゆっくりと閉めながら、健太はぼそりと言う。
「おう、健太そこにいたのかよ」
「きれちまったよ」
「どうしたんだよ。そんな怖い顔して……」
「ついにきれちまったよっ」
「なんだよ。文句でもあんのかよ」
「お尻が切れちまったんだよぉ。それで二四時間こもってたんだよぉ。びしゃびしゃに血が出ちまったんだよぉー!」
健太は衝撃の告白を行った。
それを聞いた三人のクラスメートは、激しく顔を歪ませ、沈黙する。
しばらくして、クラスメートの一人が口を開く。
「健太、大丈夫……なのか?」
「大丈夫じゃねぇよ。でもそんなことより……この話を言いふらしてもいいから、二度と美羽の足の匂いの話はするなぁ」
「わ、わかった。二度としない。で、本当に大丈夫か健太?」
「大丈夫なわけねぇよ。ばっくり割れたからさぁ、これから医者いくよぉー」
演技に入り込みすぎた結果、健太は涙をにじませる。
「ああ、お大事にな」
「美羽の足――」
「わかってる。美羽の足の匂いについては絶対に秘密にする」
「そうじゃねぇ!」
健太は怒鳴った。
ビリビリとトイレ中が震えるような怒声に、クラスメートたちは硬直した。
やがて健太は呼吸を整えると、今度は一転して落ち着いた声音で言う。
「美羽は、足が、臭くねぇんだ……」
「ああ、その通りだ。美羽は足が臭くない」
「わかってくれればいい。怒鳴ったせいで傷口が開いたみたいだから……また入るわ」
健太は右手でお尻を押さえながら、左手で個室を指さした。
「ああ、先生には俺らから言っておくから。ゆっくりしていっていいぞ」
健太は個室の扉を開けながら、「ありがとう」と言った。
そのときチャイムが鳴り、三人は急いでトイレをあとにした。
それを横目で見送ると、健太は個室の中にそっと入り、美羽にちらりと視線を飛ばす。
美羽は複雑な表情をしていたが、怒ってはいなかった。
「なんか……すまん」
健太は頭を下げた。そうすべきとは思わなかったが、そうした方がいいとは思ったのだ。
「ううん。本気で怒ってくれたのは、わかったから……大丈夫」
「そっか、これから病院いくよ」
「そこまでするの?」
「ああ、嘘をつくなら本気でやらないといけないからな」
「……わたしにできること、ある?」
健太を見上げながら、美羽はそっとつぶやいた。
「お尻にやさしい座布団を買っておいてくれないか?」
「うん、わかった」
「授業がはじまったみたいだから、出ようか」
「うん。トイレから出たら肩貸そうか?」
「それいいな。マジっぽいな」
「嘘をつくなら本気でやらないといけないんでしょ?」
美羽はクスクスと笑った。
お読みいだだきありがとうございます。しばらくはアルナンシア中心での話になります。仲間集めみたいな感じでしょうか……。
「こういうとこ読みにくいから直したした方がいいよ」などのアドバイスがあればお気軽にコメントください。
何でしたら、罵詈雑言でもかまいません。心が折れるまでは受け付けます。