1-6 HERO ON DUTY
自分はヒーローだと彼女は言った。つまり助けてくれるのではないかという期待を抱いてしまう。だが彼女は余りにも幼く見える。それに丸腰だ。彼女は両手に何も持っていないどころか、着用しているオーバーオールにも武器や防具は見当たらない。
ただ一つ、言うことがあるとすれば、彼女は空を飛んでいた。ルナが使っていた風魔法で体を押し上げ、空を飛んでいるのではなく、空を歩いていた。
「お前、何者だ?その格好、警備隊ではないがただのガキでもない」
「私はヒーローだよ。弱気を助け強きを挫く、だったかな?」
「話にならないな」
男はそう言い、飛んでいる少女に向かっていつのまにか持っていた新しいナイフを投げる。上に向かって投げている筈だが、あの細腕で出る速度ではない。
「危ない!」
しかしエマによる咄嗟の警告に対し、少女は笑顔を返す。そしてナイフの方に向き直し、「ほっ!」と少女は横に一歩飛ぶ事であっさりと回避する。
だが攻撃はそこで止まらない。一度通り抜けたナイフは向きを変え、速度を落とさず少女を襲う。あのナイフも魔導具なのだろう。
少女の頭を穿つべく、ナイフが迫る。それを少女は先程と同じように、気の抜けた掛け声を上げながら横に飛び避ける。しかし今度はそれを予見していたのか、ナイフは途中で軌道を変える。
「むんっ」
少女は着地後、膠着なく回し蹴りでナイフを蹴り落とす。飛んでいるというのに、安定感と速さがある。そう感じさせられる身のこなしだ。
ナイフは蹴りによって力を失ったのか自由落下していく。偶然、落下先にちょうどいたのはリーダー格の男で、器用に柄の部分を掴む。
「良い反応速度だ。それに身体能力もそれなりにあるらしい」
飛んでいた少女はエマとルナを守る形で男の前に降り立つ。2つに結われた髪が風で靡き、その姿はまるで正義の味方であった。
「君の実力はあまり感じられなかったけどね。新人狩りさん?」
「言ってくれるじゃないかクソガキ」
「事実だろ?実力がないから警備が手薄かつまだ未来ある若葉を狙う。組織の底が知れるね」
(煽りすぎでは!?こ……この人本当に大丈夫なのだろうか?敵さん激昂して襲ってきたり……)
男の肩は震えており、ローブから見えている腕には血管が浮き上がっていた。つまりエマの当たって欲しくない予想通りである。
「舐めるなよ!ガキがぁ!」
先程とは違い、右手と左手両方にナイフを持つ二刀流のようなスタイルに変え、男の一歩はエマ相手に突撃した時よりも数段上の速度で斬りかかる。
エマが一瞬、瞬きをした間に少女との距離はナイフの間合いにまで詰まっていた。男はエマにやったのと同じ、回転斬りを披露する。さっきの一撃より勢いがついた分、回転速度も上がっている。
『ブラックアウトソード』
男が魔法名を叫ぶと同時に2刀のナイフが紫色の光を放つ。なんらかの魔法をナイフに付与したと考えて良いだろう。対する少女だが魔法を発動する気配がない。いや、この距離ではもう魔法の発動は間に合わないだろう。
しかし、男が魔法を発動したと同時に少女は体勢を変える。魔法を発動する構えではない。どちらかと言えば、エマが最初に見せたファイティングポーズに似ている。
『気功・雷掌』
瞬間、少女の身体に電気が走る。しかし飛ばすための電気というほどではなく、オーラを纏う程度のものだ。そして少女は回転斬りに合わせ、右手を突き出す。手の向かう先は男の顎、掌底打ちの構えだ。
決着は一瞬だった。突き出された右手は少女と男の体格差故に届かないように思えたが、先に傷を負ったのは男の方だった。ナイフは少女に届いてはいた。だがナイフは電気で出来たオーラによって金属音と共に阻まれており、少女には狙われた場所を含め、傷1つ見られなかった。
目が肥えていないエマからの視点では、少女が繰り出したのは『透明の拳』というよりも、拳を繰り出した時の風圧で顎を砕いていた。正確には拳、いや手のひらを突き出した後に風圧が発生していた。
「やっぱり大した事なかったね。でも速さだけは褒めてあげるよ」
「す、凄いですね……まさか無傷、それも一撃で倒すなんて」
「凄いでしょ!これがヒーローの力だよ!」
少女は腰に手を当て威張るようなポーズを取っている。「ふふん」という声が聞こえてきそうだ。
男の方は口から血を噴きながら倒れ込んでいた。どうやら気絶しているようで、死んだ虫のようにヒクついている。
ここで男の顔が初めて露わになっており、年齢は30歳程度だろうか。悪人顔という訳でもなく、何処にでもいる顔であった。ただ少々痩せ過ぎのようにも思え、顔には頬骨が浮かび上がっていた。
そして忘れていた事がある。痩せ男の連れ2人、彼らの存在だ。リーダー格として最初に戦いを挑んできた男の助けに入る訳でもなく、野次を入れる訳でもないままいつのまにか姿を消していた。その事を気づいていない可能性のある少女に伝える。
「あの……こいつにはまだ仲間が……」
「動くな!こいつの命がどうなっても良いのか!」
エマや少女の背後、ルナが居た位置から男の怒号にも似た脅し文句が飛んでくる。振り向くとそこに立っていたのは消えていた男2人、痩せ男の仲間達であった。
1人はルナに対しナイフを向け、ルナを抱えながら首をいつでも切りつけられるように構えている。もう1人はその仲間をエマやヒーローから守るようにナイフを構え、戦闘態勢をとっている。戦闘に参加せず、人質を先に取るとはなんともズル賢い。
「君、魔法は使えるかい?使えるよね!きっと受験生だもんね!」
「えっと……私は……」
ここで正直に「魔法は使えませんが、魔術は使えます」と言っても場を混乱させるだけに過ぎないだろう。なので答えに悩む。悩んだ故の返答の遅れ、その間にも会話は、事態は進むというのに。
「おい!何をコソコソと話している!俺の話を聞いているのか!」
「私が手前の奴を吹き飛ばすから、後ろの奴が持っているナイフだけを吹き飛ばして!頼んだよ!」
「そんな勝手に……それにルナには当てず、ナイフにだけなんて当てれないよ!」
ナイフは大きさ30cm程、手も含めれば的は約40cmといったところだろう。距離はざっと7メートルほどか、発射系の魔法ならば威力減衰もなく、当てられる距離だろう。
しかし、エマは魔法が使えない。普通の魔法使いならば最適な魔法を思い浮かべ、発動する。それだけなのだが魔術は違う。魔術は思い浮かべるのではなく、魔導書の中から探さなくてはいけない。
スマホに入っている魔導書には、魔術を探す機能も備わっている。それでもスマホを操作しないといけない分、不審な行動と発動までの時間差が生まれる。今の状況においてそれは不味い事だろう。
「大丈夫、君なら出来るさ!ピンチはチャンス、ヒーローとしての教訓、その2ね!」
1は何処に行ったんだとツッコミを入れたいが、今にもヒーローは動き出そうとしている。ツッコミを入れている時間はエマにない。
スマホを取り出し、今の状況に最適な魔術を探し始める。『火炎弾』......は駄目だ。例えナイフに当たったとしてもルナまで延焼しかねない。『氷炎』……は辺り一帯が火の海と氷の海が混ざり合い、混沌になりかねない。『氷柱槍』……これならナイフだけを撃ち抜き、あわよくば手を凍らせる事が出来るかもしれない。
「おい!何のつもりだ!不審な動きをするつもりならこいつを殺すぞ!」
「さあ、準備は出来た?行くよ!」
ヒーローを自称する少女はエマの返答を待たずに一歩を踏み出した。