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第2章 高原の学校

第二章  高原の学校


当時の信越線は、高崎〜群馬八幡〜安中〜磯部〜横川〜そして、軽井沢だった。

横川・軽井沢間はアブト式鉄道で、あの碓氷峠の難所を登っていったのである。

今も懐かしいめがね橋が残っている。


さて私は、道中何事もなく、軽井沢に到着、ここは長野県である。

ここから、草軽電鉄に乗り換えて、旧軽井沢駅〜三笠〜鶴留を経てなんとも旧式の軽便鉄道は

北軽井沢の駅に着いた。


北軽井沢という地名ではあるがここは群馬県である。高原地帯には

遠く牧場が広がり、3月末というのにまだ雪が日陰にはたくさんあった。白樺林は雪間に会って春を待ちかねているようだった。

吹く風もまだ寒く、北軽井沢の駅に降り立つ人も私と後はほんの数人だけだった。


駅前には荷馬車が横付けされてなにやら貨物を積みおろししている。

そして暫くすると、草津からの温泉客を乗せた電車が交換で到着した。

もちろん誰も下りる人もない。


しかし、この辺りは、昭和3年に当時の法政大学総長が坪1円で関係者に分譲して別荘地をつく

り初めてその後、文学者や知識人の別荘が立ち並び学者村とも呼ばれたのであった。

軽井沢からは遠く離れているが、知識人の隠れ家的別荘地だったのである。


トロッコ列車には、硫黄も積まれて運ばれていた。

何しろこの辺りは火山地帯で硫黄も特産物だったから。


北軽井沢駅を降りて私は、早速駅前の丸通の荷物事務所によって開拓学校の場所をたずねた。

「え?あんたが今度来た先生?」

なんと校長がもう既に私のことを、言い広めていたようなのだった。

私はすぐ校長宅を教えられて、そこへと向かった。


道は、荷馬車の通ったわだちが行く筋も付いていた。

そして早春の北軽井沢は空高くあくまでも澄み渡って森閑としているのだった。

それはまるで私のこれからの人生の行く末を暗示するかのような、さわやかさだった。






※この作品はあくまでも、フィクションであり、登場人物、小説の内容、設定等全て事実ではありません。




第3章「草軽電鉄は走る』へ続く




to be continued






☆後書きにかえての、言い訳というか、弁解の言葉




本来であるならば、構想や原案ではなくて、完成形で皆様にお見せできれば良いのですが

たぶん。私に残された時間というか、余命というか、余力というか、。


そういうものが最近とみに、劣化の一途をたどっていますので、


もしかしたら永久に「原案」どまり?


で、ついに完成は不可能?で、グッドバイ?という危険性も考えられますので、

ええい、、、ままよ、、。

とりあえずこういう「未完成状態」のままでも、あえて、公開してしまおう、

ということに意を決しました。


というわけで、、未完成の草稿、、原案状態であることをお許しくださいませ。



願わくば、、神よ、


私にこれらの作品を完成させる時間とパワーをお与えくださいませ。アーメン。

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