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第1章 発端

第1章 発端


あれはそう、昭和27年、私が22歳で、戦争も終わったその衝撃もやや薄らいだ頃のことだった。

私は当時、群馬県は、高崎の実家にいて当てもなく、将来にも明るい展望もなく、無為に過ごしていた頃だった。昭和24年、新制、群馬大学に入学、昭和27年無事卒業。しかし、

私の家は大きな農家で別に食料に困ることもなく、まだ父母も健在で、私は焦って就職することもなく、家の農業手伝いということで日を過ごしていたのだった。


とはいえ、世情も次第に落ちついてきて、父も、「お前も、どこかしっかりしたところに就職しなくちゃああな。」などと言い出すようになっていた。

市役所へ臨時雇いで事務に来ないかなんていう話もあったが、毎日そろばんはじいて伝票整理も気が進むものではなかった。


そんな折、父の知り合いの、校長先生が、私のことを伝え聞いて、

「実は、北軽井沢の開拓村の中学校に、臨時の教員の口があるんだが、お宅の、息子にどうかね」といってきてくれたのであった。


教員?私は大学は出ていたが、さてまさか、教員になるなんて夢にも思っていなかったから、逡巡することしきりであった。


たしか、北軽井沢といえば、昔開拓農民が開いた開墾地であり、草津と軽井沢を結ぶ北軽軽便鉄道が走っているくらいの認識しか当時の私にはなかった。

確か、小学生ぐらいの時、父母と北軽軽便鉄道に乗って草津まで言った思いでがあるくらいだった。

だが私はふと思い当たったのだ。

そうだ、確か去年あの、木下恵介監督の「カルメン故郷へ帰る」という映画で紹介されたあそこだと、思い出したのであった。


実はその映画を私は高崎の映画館で見ていたのであった。

あの、北軽の風景が鮮やかに思い出されてきた。

高峰美枝子が派手な衣装で、草軽電鉄のトロッコに乗っている風景がおもい出されてきたのだ。


そこには美しい高原の風景と、何か、郷愁を誘う軽便鉄道があった。


そうか、じゃあ、とりあえず観光がてら行って見るか、という気になったのである。


なんともお手軽な動機で恥じ入るばかりだが、でも人間の動機なんて実際そんなものじゃないかなと思うのは私ががこんなに年取ってしまったからだろうか?


さてそんなこんなで話はすすみ、、私はその年の4月から赴任ということになり、

荷物をまとめて、高崎駅から、信越線に乗り、軽井沢へと向かったのであった。





第2章「高原の学校」へ続く






※この作品はフィクションであり、登場人物、小説の内容、設定等全て事実ではありません。






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