自転車の話
自転車はとても便利な乗り物だと思う。
徒歩では億劫な距離も自転車があれば気軽に行ける。運動にもなるし、排気ガスも出さないため環境にもやさしい。免許もいらないので子供にも扱える。小回りが利いて、手で押して歩く事もできるから狭い路地でも移動しやすい。
しかし私は自転車を持っていない。普段自動車に乗るからだ。運転免許を取るまでは主に自転車や電車を利用していたが、自動車を手に入れて以来すっかり使わなくなった。
田舎だから電車やバスが都会ほど発達していないので、私の住んでいる地域では、大抵の人が車を買うと電車など使わなくなる。車に乗れない人たちが仕方なしに使うのが電車やバスなのである。
自動車に乗るようになったら、今度は街を走る自転車を邪魔に思うようになった。
自転車は軽車両扱いのため、基本的に車道を走ることになるのだが、これが大変邪魔なのである。
私の住む地域は田舎なので道が狭い。朝夕など車の通行量が多い時間帯は、自転車を追い越すに追い越せず、いつまでも時速10キロくらいでノロノロ走る羽目になったりする。
子供や老人が乗っている自転車は、特に危ない。
子供というのは小中高の学生を指している。小学生は周囲に気を配ることに慣れていないため、唐突に死角から飛び出してくる。
中高生は、小学生のように無鉄砲な運転はあまりしないが、妙に危険な走り方をする。
以前、私が交差点で一時停止をしていたところ、中学生が私の車を右から追い越し、車の前を横切って左折していったことがある。車列が途切れて今まさにブレーキを緩めようとした瞬間の出来事であったため、心臓が止まりそうになった。
老人はとにかくフラフラ走っていて単純に危ない。道の真ん中をフラフラ走って、後ろに車が来たと気付くと一応端に避けるものの、左右に大きくブレながらやはりフラフラ運転している。追い越すにも大変な気を遣う。
私の話ではないが、ある人が車で老人自転車を追い越そうとした瞬間に、老人が車道側にパタリと転倒してきたことがあったそうだ。ブレーキが間に合ったか間に合わなかったかまでは聞き及んでいないが、恐ろしい話である。
あるいは、大きな道路の信号も横断歩道もないところで、突然横断しようとするのもなぜか老人が多い。その時なぜか後方の確認をしないため、非常に危ない。
自動車の運転手が自転車を邪魔に思うのは、事故を起こすことを恐れているからだ。当たり前だが自転車が安全なところを走っていれば邪魔でも何でもない。
また、自転車を使用するにあたり、免許が不要である事も原因と思う。自転車に関する交通ルールが人々にあまり浸透していないのだ。
私が現在自転車を持っていないのは、車の方が便利だからというのが主な理由だが、上記2点の問題にも原因がある。私は自転車で車道を走るのが怖いのだ。また、私は車に関する交通ルールはそれなりに知っているが、自転車に関しては自信がない。
例えば、信号待ちをしている車の左側を、自転車が追い越していくのは、違法だと最近まで思っていた。
しかしこれは間違いで、自転車の挙動としては正しいらしい。また、自転車で右左折するときは、手信号を用いて周りに知らせる事になっているのだが、手信号の示す意味をハッキリ覚えていない。小学生の時と、運転免許を取得するときの講習で、少なくとも2回は習ったはずだが、うろ覚えである。
だからたまに手信号をキチンと行う優良な自転車運転者がいても、結局左右どちらに曲がるのかピンとこないためあまり意味がない。ちなみに、手信号は右手で行う場合、腕を水平に右へ伸ばすのが右折、肘から先を垂直に上へ向けるのが左折である。左手の場合は逆になる。今調べた。止まる場合は腕を斜め下に伸ばす合図を行うとの事である。
私は生まれてこのかた田舎暮らしのため、都会の方の自転車事情はよく知らないが、少なくとも田舎では、自転車における交通ルールというのが雑に扱われている。上記の手信号など、1年に1回か2回くらいしか見かけない。
最初に述べたように、自転車とは大変有用な乗り物である。それが、安全に通行できる道が少ない事と、自転車における交通ルールが浸透していないことで、損をしている。歩行者からは怖がられ、自動車からは疎ましがられる。
この2点がいくらか解消されれば、自転車はもっと魅力的な乗り物になるのではないか。
私も本当は、運動不足解消のために自転車に乗りたいと思っている。自転車に乗って風を感じながら、車からは見られない身近な景色を眺めながら、遠くへ行く。素敵な運動不足解消である。
すべての道路に、自転車歩行者道(自転車や歩行者が利用する、幅の広い歩道のことを言う)が、くっついていれば一番よいと思う。実は自宅の近所に自転車歩行者道の整備された道路がある。駅や学校へ行くために自転車に乗った学生たちが主に利用しているが、自転車も車も安心安全で大変快適である。幅が2メートルくらいあるので、自転車と歩行者が近すぎることも無いようだ。
しかしこの方法は、各市町村や国家の予算というものがあるだろうから、実際には難しい話だ。やるにしても、何年もかけて徐々に増やすしかない。せめて今後新しく作られる道路には、必ずセットで整備して頂けると、私は嬉しい。
自転車歩行者道がすぐに整備できないとなれば、もっと自転車教育に力を入れるべきである。道路の整備よりはやりやすいはずだ。
初めて自転車に乗る子が多いであろう小学生、通学距離の関係で自転車通学を余儀なくされる子がいるであろう中学生のうちに、徹底して教えるのが良いと思う。
私が子供の頃は、小学生の時に1回だけ自転車教室なる時間が設けられただけに過ぎなかった。それでは足りるわけがない。せいぜい自転車に乗れなかった子供が、乗れるようになる程度が関の山である。そんなのが車道に出てきてしまっては逆に危ない。
今の小学生はどうだろう。ウチに子供はいないし、小学生の友達も、小学生の子を持つ友達もいないので分からないが、実際に自転車に乗っている子供を見ると、私の頃と大した差はないと思う。
キチンと自転車を乗る上でのルールを知り、事故にあう事の怖さを知れば、塀と塀の間からノーブレーキで飛び出す小学生も減ることだろう。両手を離したり、カサを差したり、スマホを見ながらの運転などもってのほかだと、子供でも理解するだろう。
自らの命を守る術を学ぶことは、あるいは国語や算数よりも大事なことだと思う。
自転車は、人々の健康に寄与し、空気を汚さない乗り物だ。お金もそんなにかからない。
ただ、上記のように私から見ると、安心安全快適の部分が全然ダメなのだ。それは自転車という乗り物自身がダメなのではなく、環境と乗る人がダメなのである。
これが解決されれば、自転車は今以上に素晴らしい乗り物になるものと、私は思っている。