桜舞う季節
本作は架空の世界の架空の物語であり、実在の施設や個人名に関係はありません。また、事情があって血縁者と同居できない方々や養護施設を貶めたり非難するつもりは全くございません。あくまでも物語としてお楽しみください。
限りなくこの世界に近く、ほんの少しだけ違う世界のお話し…
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緩やかな坂道は桜並木になっている。ここ数年は3月になると気温が上がり、3月中に桜が散ってしまうことが多かったが、今年は暖かくなるのが遅かったので、入学式にちょうど満開だった。
この坂道は、名門と言われる私立光凰学園の校門へと続いている。お金持ちの生徒が多い学校なので、桜並木沿いに黒塗りの高級車が停まっては降りた生徒たちが歩いていく。
この学園は、いわゆる名家の子女の通う学校として有名で、初等科から大学まである。特に初等科はかなり入試選抜が厳しいらしく、親の資産まで調査して合否を決めているとまで噂されている。初等部から中等部に上がるときに大幅に生徒が増えるが、中等部から高等部に上がるときにはほとんど外部生を入れない。高等部に上がるときに入る外部生は、大学受験の実績を作るための要員として入学してくる。そのため、学業の成績が最優先され、3年間成績を落とすことは許されないが、引き換えに学費や制服代、寄付金などは免除される。
この学園の白い制服はステータスになると言われるようなところだ。ちなみに、女子は白色のジャケットと茶色のベストとフレアスカート、リボンも茶色だ。男子は白色の学ランで、ボタンではなくジッパーになっている。スラックスは女子と同じ茶色だ。
橘寿々は坂道の途中でふと足をとめ、校門を見上げた。これから3年間通う高校だ。一般人だからと気後れしている場合ではない。自分自身に気合いを入れるように短く息を吐くと、前を向いてまた歩き出した。
寿々はこの春、高等部から入学する外部生の1人だ。今は児童養護施設で暮らしている。父親は誰だか知らないし、母親にも数えるほどしか会ったことはない。肩まである柔らかな黒い髪と、垂れ目が母親との血の繋がりを感じさせるくらいだ。母親が同じ兄弟が10人近くいるらしいというのは施設の職員から聞いたが、みんな別々の施設や養子にいったりしているらしく、そちらにも会ったことはなかった。血縁者はたくさんいるようだが、縁があまりない人生なのだと子どもの頃に諦めた。
人と関わるのも面倒だし、関わらなくてすむように、小さい頃から勉強に打ち込んでいた。学校でも、友達と呼べる人はいなかった。なんとなく他の子達から遠巻きにされていたし、寿々自身も他人とどう関わったらいいかよくわからず、教室にいても施設にいてもいつも疎外感を感じていた。でも学校でいい成績なら褒められたし、部屋にこもりきりなのでトラブルもなく、先生たちからは褒められた。
幸い人並み以上に成績が良く、中学の担任に勧められて光凰学園を受験した。本来、私立の受験は厳しかったのだが、老人ホームにいる母方の祖母に協力してもらい、なんとか受験することができた。勉強自体は好きなので、できれば大学にも行きたかったが、高校を卒業したら施設を出なければならないので、高校のうちに身の振り方を考えていかなければいけない。猶予はあと3年。奨学金で大学まで行ければいいけど。
寿々は、そんなことを考えながら校門をくぐった。ざあっと強い風が吹き、桜の花を散らす。舞い上がった花びらが幻想的だった。
ふと、桜ではない甘い匂いを感じた。立ち止まってさっと辺りを見回す。しかし、周囲にはクラス分けの掲示板に急ぐ生徒たちがいるだけだった。すぐに匂いも感じなくなり、気のせいだったかと寿々も掲示板に向かっていった。
光凰学園高等部は1学年10クラスある。そのうちS1クラスとS2クラスは成績上位者のみの特進クラスだ。外部生は基本的に特進クラスに入り、内部生は進級テストの順位でクラスが分けられる。特進クラスは3年間メンバーはかわらない。
寿々はS1だった。教室の場所を確認すると、教室へ向かった。大多数が内部生なので、教室ではだいたい知り合い同士ですでに固まっていた。外部生は目立つらしく、チラチラとした視線を感じる。もともと寿々は人とつるむのは苦手なので、いつものように何も気にせず指定された席に座り、持ってきていた暇つぶしの本を読み始めた。
「ねぇ、あなたも外部生?」
突然声をかけられ、寿々は本から顔をあげた。そこには、ショートボブでつり目の女子がいた。
「はい。」
「私は早坂綾。隣の席で外部生なんだけど、心細くてさぁ。よろしくねぇ。」
キツめの顔つきに反して、彼女は少し間延びしたような話し方が特徴のようだ。人付き合いは苦手だが、トラブルを起こしたいわけではないので、短く「橘寿々です。よろしくお願いします。」と答えた。
話しかけてくる綾に適当に相槌を打っていると、若い女性教師が教室に入ってきて、着席するよう指示された。この後、生徒会の上級生が迎えに来て講堂で入学式があるそうだ。
しばらくすると、ひとりの上級生が教室に入ってきた。すらりと背が高い男性だ。彫りが深く、少し長めの前髪は薄いとび色で肌は白い。切れ長の目も髪と同じ色をしていた。
「2年の東條です。これから講堂に移動するので、名簿順についてきてください。」
ふと、校門で感じた甘い匂いがした。さっきよりも強い。香水とは違う、とろりと滴るような甘い匂い。お金持ちの学校なので、何か強い香りの花でもあるかと思い、窓の方をちらりと見たが、窓は閉まっていた。窓から目を戻すと、一瞬上級生と目があった。その瞬間、自分の中からどくりと大きく鼓動が聞こえた。寿々は思わず手を胸にあてた。きっとたまたま目があったように見えただけだと思うが、まだ鼓動が跳ねている。
不可解な自分の変化に内心首を傾げつつ、順番通りに席を立ち講堂へ向かった。
式典は退屈だった。基本的に座ったまま話を聞くだけで、全然祝われている気がしない。お祝いならパーティとかにした方が浮かれてる感じでいいんじゃないかなんて考えて、式典の内容はほとんど聞き流していた。それでもやはり上流階級の生徒が多いからか落ち着いた雰囲気がの中で式は進んでいった。
長かった入学式がやっと終わり、やっと校門をでた。入学式には施設の先生が来ていたが、もう高校生になったから1人で帰れると先に帰ってもらった。綾に連絡先の交換をしようと言われたのだが、寿々はスマホなどの通信機器は持っていない。大抵はそういうと、変な空気になるのだが、綾はあまり気にしないタイプだったようで、校門の近くで「また明日ねぇ。」と待っていた綾の両親の方へと去っていった。
次の日は上級生も交えての新入生の歓迎セレモニーだった。そこでは部活動の他に、生徒会の役員も紹介された。この学園では3年生の会長と副会長の他に、2年からも副会長が選出されるらしい。昨日の上級生は2年副会長の東條真咲と自己紹介していた。役員は人気があるらしく、生徒たちの間から嬌声があがった。内部生ばかりなので、もともと知っている人が多いのだろう。真咲以外の生徒会役員も美男美女で、なんだか芸能人みたいでキラキラしい人ばかりのようだ。
ふわりと微かに甘い匂いがした気がした。
それから1週間は慌ただしく過ぎていった。特に1年生はカリキュラムの詳しい説明や部活の勧誘などが多く、1日があっという間に終わった。
綾とは隣同士話すことが多いが、綾本人もあまりベタベタする関係は好きではないらしく、お昼はお互い自由にしていた。
そもそもこの学園には大学も併設されており、何箇所かカフェテリアやレストラン、サロンがあった。支払い用の購買学食カードで支払える。寿々はカードは持たず、お弁当を持ってきている。まずは落ち着いてお弁当を食べられる場所を探した。中学と違って、ランチタイムはかなり長い。大抵はみんなカフェテリアやレストラン、サロンなどで食べるので、意外と庭に昼休みに人がいないのは嬉しい誤算だった。学園自体、敷地が広いので、1人で居られる場所も多い。最初の1週間で、あちこち探し、寿々は裏庭の奥まったところにある屋根付きの小さな四阿を見つけた。ここなら周囲が低木に囲まれていて、外側からベンチが見えにくくベンチの上に屋根があるので、雨の日や日差しの強い日も安心だ。私立だけあって、広大な敷地内の庭はきちんと整備されていた。
お弁当を膝の上に広げ、いただきますと誰に聞かせるでもなく手を合わせて弁当を食べた。食べ終わったらあとは、午後の授業までぼんやりとしてみたり、持ってきた教科書で予習をしたりして暇をつぶす。
またふわりとあの甘い匂いがした。教科書から顔をあげると、ベンチから5メートルほどの低木の切れ目から背の高い人が出てきた。
あの上級生、東條真咲だった。真咲も人がいると思わなかったらしく、とび色の瞳を見開いてこちらを見る。
目があった瞬間、甘い匂いがより濃くなった。
「…この香り…」
そういうと、真咲はどこかふわふわとした足取りで寿々のいるベンチへと近づいてきた。微かだった甘い匂いがどんどん濃くなる。縫い合わされたかのようにお互いに目をそらすことができなかった。寿々も自分の体が自分のものではないようで、ベンチから動くこともせず、自分に近づいてくる真咲を見ていた。すぐそばまでくると、真咲は寿々の頰を両手でそっと包んだ。そのまま覆い被さるように顔を近づけてくる。とろりとした甘い匂いがより一層濃くなった気がした。
寿々もされるがまま、なんの抵抗もせずに真咲を見つめていたが、互いの唇が触れそうになった瞬間、ちりっと胸の間の皮膚に強い静電気のような痛みを感じた。それと同時に真咲は弾かれたように寿々から手を離し、距離をとった。
「っ、僕は何を…すまないっ!」
そこで、真咲は自分の胸の間に手を当てた。そのまま勢いよく学ランのジッパーを下ろすとワイシャツのボタンを3つほど開けて自分の胸を見る。寿々もつられて真咲の視線の先を追う。
そこには500円玉より一回りほど大きな花のような赤い模様があった。