反転
ドサリと、私の体がようやく地面に落ちる。私はすぐに立ち上がり母の元へと走る。ブレスはもう消えていた。
「母様っ!」
私たちがブレスを受けた位置から遥か後方まで、大きく地面がえぐれていた。私はえぐれた地面にそってひたすら走る。走りながら少しずつ、私の心は絶望に侵食されていく。
―――どうして私たちはこんな目に遭わなければいけなかったのだろう。
それは前世から幾度も繰り返し、その度に噛み殺してきた問いだ。
目の前の困難を乗り越えることができないのは、自分の力が不足しているから。その問答には異論などない。
でも、どうして・・・そもそもどうしてこんな目に遭わなければいけないのだろうか。
どれだけ走ったのだろうか、ようやく母と母の霊獣を見つけることができた。
その姿は遠目に見ても無惨であった。母はかろうじて息があるものの満身創痍といった有様であり、霊獣のま~くんに至っては、母を庇ってくれたのであろう、体を維持することができなくなり消えかかっていた。
ひゅー、ひゅーと母の苦しげな呼吸音だけがあたりに木霊する。治癒の魔法を行使する魔力すら残っていない私は、気休めにもならないと分かっていながら、母から持たされていた魔法薬を母に使う。
ほんの少し、ほんの少しだけ母の傷が治る。だが、それだけだった。
私はその場にへたり込む。後ろにいたく~ちゃんが私の背中を支えてくれた。
「グェ~・・・」
く~ちゃんもなんと言ってよいのか分からないのだろう、意味のないただの鳴き声だった。
―――ほんとうにどうしてこんな目に遭わなければいけないのだろう。
前世で、両親を奪われ、弟を奪われ、使用人たちを奪われ、最愛の人を奪われ、自らの命さえ奪われた。
やりなおしの機会を得た今世ですら、いままさに母を奪われようとしている。
ただ大事な人たちと平穏に幸せな日常を送りたいと、そう願うことはそんなにも欲張りな願いなのだろうか。
空を見上げる。雲一つない、いっそ憎たらしいほどの快晴で、透き通るような蒼い空だった。蒼い空は清浄で、それがゆえにお前の居場所などここにはないと、そう言われているような気さえした。
この蒼い空を、私の色に染め上げてしまえば、運命も変わるのだろうか。
最後にそんなことを考えながら私の意識は闇に沈んでいった。
「キイイイィィィユオオオォォォンンンーーー!!!」
自分の奥深くに沈み込んだ、私の意識を覚醒させたのは不快な鳴き声だった。時間にすればほんの数秒だろう、状況はまるで変わっていなかった。
「キイイイィィィユオオオォォォンンンーーー!!!」
ヨルムンガンドが再び鳴き声を上げる。そして、それとともに先ほどのブレスで消費された魔力が補充されていっているのが分かった。前世では分からなかったそれが、魔力の扱いをしっかりと学んだ今では、はっきりと知覚することができた。
もはや呆然と見上げることしかできなかった。消費した魔力すら瞬時に回復してしまうのであれば、もう対処のしようが・・・。
ドクンッ!
それはかすかな、本当にかすかな痕跡だった。ヨルムンガンドに向かって何処からか魔力が流れ込んでいて、そしてその魔力の特徴を私はよく知っていた。
前世において絶体絶命の危機を救ってくれた、まさにその魔力であるから。あれに並ぶようになりたいと希った、まさにその魔力であるから。
―――あれは聖女の魔力だ。
ドクンッ!
私の中で何かが裏返った。
そうか。そういうことなのか。
そうであれば、たしかに色々とつじつまが合う。合ってしまう。
なぁんだ、そういうことなんだ。聖女様とはきっと誤解がある、それを解くことができればきっと仲良くできる、なんて考えていた私がホントウに馬鹿だったんじゃないか。
まいったなぁ・・・これじゃあ、もう他に方法がないじゃないか。
私の奥底にあったなにかが、怒りとともに込み上げてくるのがわかる。
聖女様には恩義を感じていたし・・・なんて取り繕ってはいたけども、本音はまあ、なんというかメザワリだったんだよね、あの女。
アルの一番は私なのに、後からしゃしゃり出てきて色目を遣って、たらしこむだなんて。
あの女は”王子”というものには執着しているようだったけど、アル個人にはそれほど執着しているようには見えなかった。だから、油断してしまっていたのだけれども・・・。
アレがそういうことなのであれば話は違う。あの女は排除しなければいけない。
あの女にどんな思惑があるのかは知らないし興味もない。でも私自身が、そしてアルと、私の大切な人たちが幸せになるためには、もう『聖女様を抹殺する』しかない。
きっとこの流れすら何者かの筋書き通りなのだろうが、今はどうでもいい。
上空ではヨルムンガンドが穢れた色の超大な魔方陣を展開している。前世でいくつもの街を滅ぼした毒雨を降らせようとしているのだろう。
だが私はそれを一顧だにすることなく、く~ちゃんに向き合った。
「グェ・・・グェ~?」
豹変した私の雰囲気にく~ちゃんが怯えているのがわかる。ほんの少し胸が痛んだが、それでもそれを振り切って言い放つ。
「く~ちゃん、ちょっと借りるね」
後ずさるく~ちゃんの頭をつかみ、私は”私の奥底にあるもの”を行使した。
「我が名をもって、バハムートから『代行者』の権限を剥奪する」
”カチリ”と世界が切り替わった、そんな感覚だった。
私が知らなかった様々なこと、そして私がなぜか識っていた様々なことが流れ込んでくる。私はそれをどこか冷めた目で俯瞰的に眺めていた。
いまさら知ったところで、この先どうするべきかなんてものは分からない。でも、今どうすればよいのかは分かっていた。
ただ私の中にあるものをぶちまける、それだけ。
そのために―――私は紡ぎだす。
『古の聖約は既に遠く 箱庭は汚濁に満ちた 黒龍の叡智は薄れ 五色の灯が残るのみ―――』
代行者の権限を行使し、王国全土を包む結界から魔力を奪い取る。その結界に満ちる魔力は膨大で、半分ほどを引き出すだけで目の前の魔王など問題にならない量の魔力を得ることができた。
『異界より来たりし不死の女王よ 汝の軛を取り去ろう 枯れ果てよ守護の楯 燃え尽きよ守護の槍 腐り落ちよ守護の剣 果つることなく浄化せよ―――』
取り込んだ膨大な魔力を私の色に染めていく。血のように鮮やかな真紅。今の私にふさわしい毒花の色。私の体から流れ出したそれが周囲に滴り落ちていく。
『踊り狂え我が血潮 我が魂 真紅となりて流れ出よ 我が名を持って新たなる聖約を結ばん 我が名は―――』
そこで私は刹那の間、躊躇する。その名は少し気に入らなかったから。ほんの少しだけ忌避してきたから。
しかし、ここに至っては自分でも意外なほどにすんなりと、その名を受け入れることができた。
『我が名は―――鮮血姫』
そうして私は口上を、名乗りを、そして宣言を終える。何者かが用意した台本に、自らの『役名』を書き入れる。
この狂った舞台は、新たな場面を迎えたのだった。




