南の湖4
更新遅くなってすみません。ペースを取り戻せるよう頑張ります。
ラインの滝を下った2日後、私たちは馬車に揺られながらボーデン湖へと向かっていた。
通常であれば船でそのまま川を下っていきボーデン湖へ向かうのだが、わざわざ陸路に切り替えた理由はやはり魔物だった。
ボーデン湖からあふれたクラーケンが川を遡上し船を襲っているとのことで、私たちが乗ってきた船がそこで足止めをくらってしまったのである。
ここで私たちには2つの選択肢があった。
1つは、川沿いに移動していきクラーケンを討伐しつつボーデン湖へと向かう行き方。
そしてもう1つは、ボーデン湖への最短距離を陸路で向かう行き方だった。
私が主張したのは前者であり・・・母が主張したのは後者であった。
「駄目よ。馬車で最短距離を行くわ」
「母様、どうして駄目なのですか? 困っている人たちを少しでも助けることができるのに・・・」
問いかける私に母は少し困った顔をした。だがすぐに真剣な表情になり、身をかがめてしっかりと私の目を見つめ、口を開いた。
「このあたりの土地は我が家の管轄ではないからよ。身を守る程度ならばともかく、本格的に魔物を討伐しようというのであれば、事前に管轄する貴族家に話を通す必要があるわ」
「このあたりを管轄するパーペン伯爵家のご当主は、お母さんが宮廷魔導士隊にいた頃にとてもお世話になった方で、とても優秀な方なのよ。だからこの程度ならあっという間に対処されるから大丈夫。安心していいわ」
自分の顔が歪んでいくのが分かる。
安心していいと、そう言われても私はまだ納得できなかった。母がそうまで言うのであれば魔物への対処自体には問題はないのだろう。だが、すべてのクラーケンを仕留めるのにはそれなりに時間がかかるであろうし、その間に困る人がいるはずだ。
「それでも・・・私の力があれば・・・。母様、目の前で困っている人を助けるのはいけないことなのですか?」
頬を涙が伝っているのがわかる。泣いて情に訴えるのは卑怯だと頭では分かっていても、どうにも涙を止めることができないでいた。
だが母は、そんな私の様子にも動じることなく、普段の温厚な雰囲気からは想像もできないほど真剣な眼差しで私の目を見つめ、はっきりと口にした。
「いけないことよ」
一瞬で頭が真っ白になり、涙が止まる。
「もちろん今回は、という言葉が付くわ。貴族として魔物の討伐はしなければいけないし、それ以前に人として困っている人がいれば助けるべきだけども。今回はそうするべきではないわ」
「魔物を討伐し、平民の生活を守るのは貴族の存在意義よ。だからこそ管轄外の貴族が本格的に魔物討伐をしてしまえば、それはその土地を管轄している貴族家に対して、お前たちでは力不足だと言っているのに等しくなってしまうのよ」
「貴女が戦っていた時とは状況が違うの。現状、王国と貴族による統治は盤石でしっかりとした秩序がある。それに抗ってしまえば様々な弊害が出てしまうの」
「そしてもう1つ」
「王都で状況を聞いた時には周辺の川にまでクラーケンが溢れているという話は無かったわ。明らかに、ここ数日で事態が急速に動いている」
「そして、魔物の異常発生は数年に一度起きているけれど・・・ここまで大規模なものは過去に例がないわ。ボーデン湖には例の封印もある、貴女が見てきた国を揺るがす魔物の大発生に関係があるのではないかと思うの」
「だから、いまや王国で最強の戦力である貴女は、大発生の中心であるボーデン湖に急いで向かうべきなの。貴女の到着が遅れれば、その分きっと今回の騒動の終息が遅れてしまう。そうなれば余計な被害を生むことになるわ」
母はそこで少し言葉を切り、息を整えた。そして少し優しくなったような、でも厳しさも増したかのような眼差しで続きを口にする。
「リーゼロッテ。貴女は貴族という人の上に立つ立場にいる。これから、1と多数を天秤にかけてどちらかを選ばなければいけない時が何度も訪れるわ」
「だから、そうなった時になるべく後悔することのないよう、今のうちにたくさん悩んでおきなさい」
「そして今回のお母さんの選択がどのような結果をもたらすのか、よく見ておきなさい。悪い結果に終わったのならばお母さんを恨んでくれていいわ」
「でも、その上で・・・貴女なりの選択ができるようになって欲しいの。お母さんからのお願いよ」
私は母の目を無言で見つめ返す。涙はもうとっくに乾いていた。
母は卑怯だ。私が母を恨むなんてできっこないことを分かってるだろうに、そんなことを言ってくるなんて。
まだ納得できたわけではないし、母の言葉を全部しっかりと理解できたわけでもない。
それでも・・・母がこれだけ真剣に伝えようとしてくれたのだ。その通りにしようと思った。
ガタッ!
大きな石でも踏んだのだろう。馬車が大きく揺れた。
私たちの乗っている馬車にはできるだけ急いでもらっている。明日にはボーデン湖の見えるところまでいけるだろうとのことだ。
気分転換に窓から少し顔を出す。
今日もよく晴れており雲はまばらだった。ただ・・・少し風が強く、時折とても冷たい風が吹いた。
少し目線を下げると遠くに集落が見えた。いくつもの炊煙が立ちのぼり、小規模ながらもしっかりとした人の営みが見て取れる。
私は前世を振り返る。
力が足りず、迫りくる大量の魔物を倒し切ることができなかった。
全ての戦場に駆け付けることなどできず、急いで向かっても手遅れになっていることの方が多かった。
―――力さえあれば。
その一念を強く、強く抱いた私は、やり直しの機会を得てから貪欲に力を求めてきた。
それでもなお・・・足りないという。少数を切り捨てなければより悪い結果に終わるのだという。
まだ私の力が足りない。それも当然あるだろう。
でもきっと・・・それだけじゃない。何かきっと、単純な力ではない何かが足りていないんだ。もっと根本的な何かが。
―――鍵は私の中にある。
根拠などなにもない。でも私の胸の中に何かが宿りつつある。そう確信していた。




