南の湖2
5日後、大急ぎで旅の準備を済ませた私たちはボーデン湖方面へ向かう船の上にいた。一緒に行くのは母とそしてマリアである。さすがに貴族の親娘二人だけというわけにはいかず、マリアにも世話役として付いてきてもらった。
まあ、そもそも私はまともに髪の手入れをすることも一人で着替えることもできないので、マリアに世話をしてもらわなければ生きていけないのだ。
今後、単独で活動することを見据えて自分でもできるようになったほうがいいとは思うのだが、ひとりぼっちになって何でも自分でやらなければならなかった前世の状況を思い出してしまい、どうにも気が進まないのだ。
それにマリアは私の髪やお肌の手入れに情熱を傾けていて、その日ごとの状態に合わせて手入れの仕方やつける香油などを変えて、常に私の状態を完璧に仕上げてくれている。私の美少女っぷりはマリアの努力のたまものなのだ。
王都からボーデン湖へは、王都の東を流れるライン川を船で下るルートが一般的だ。まあ、私一人なら空を飛んでいけば半日もかからずに着いてしまうのだが、今回は母とマリアがいるしさすがにそういうわけにもいかない。
それに、船に乗るのは前世でハンナちゃんに会いに行ったとき以来だ。王都に暮らしていると船に乗る機会はまずないし、このライン川を下るルートは色々と名所もあるので楽しみにしていた。
また、船には宿泊の設備がなく、毎日暗くなる前には川沿いの町で停泊し乗客を降ろすこととなる。乗客たちは船を降りてその町で一夜を過ごし、翌朝また船に乗る。下りのルートは上りよりも速く進むため、泊まるのは5箇所ほどだが、同じ川沿いの町と言っても結構雰囲気が違い、また様々な料理が楽しめる。私はめったにできない旅行を満喫していた。
今の時刻は昼。ちょうど流れが緩やかなところに差し掛かっていた。船の甲板は春のうららかな陽気に包まれ、多くの乗客でにぎわっていた。どうやら皆考えることは同じらしい。
あいている場所を探していると、私たちが貴族だと気づいたのだろうまわりの乗客がすこしずつ移動して場所をあけてくれた。
「ありがとう!」
私は礼を言って笑顔を振りまく。平民が貴族を尊重する。私はそれが当たり前のことではないのをよく知っている。貴族が貴族の責務を果たせなくなったとき、それは容易に壊れてしまう。
貴族は魔物の脅威から平民を守り、平民は貴族を尊重する。この良い関係が壊れることのないよう私たちは頑張らなければいけない。
まあそれはそれとして、今はお昼御飯だ。今日のお昼は昨夜泊まった宿で用意してもらったサンドイッチである。具にはハムや野菜の他に卵もあった。卵は貴族でもなければなかなか食べられない貴重品であり、私の大好物の一つだ。だから私は、朝からこのサンドイッチを食べることを楽しみにしていた。
昨日泊まった町は鳥の飼育が盛んで、鳥や卵料理で有名な町なのだそうだ。昨日の夕食で出てきた鳥の丸焼きも絶品だったので、卵サンドにも期待が高まる。
「お嬢様。お願いします」
「うん。えいっ」
マリアが差し出すティーポットに魔法で出したお湯を注ぐ。こういうときに色々な魔法が使えるのはとても便利だ。マリアが淹れてくれた温かいお茶を飲みながら、しみじみとそう思うのだった。
「たっまごー、たっまごー♪」
さて、のどの渇きを潤したところでいよいよサンドイッチだ。私は好きなものは最初に食べる派である。後に取って置こうなんてやっていると食べる余裕がなくなったりするからね。
というわけでタマゴサンドから取り掛かる。手に持つと厚くどっしりとしていて、しっかりと具が入っているのがよく分かる。まずは一口と大きく口を開けてかじりつくと、ぷりぷりとした卵の食感とともに濃厚な味が口の中を満たす。酢が入っているのかちょっと酸っぱいが、それがまた合っていて非常に美味しかった。
この美味しさを言葉で表現することができず、私はただただ至福の笑顔を浮かべた。そして飲み込んでから我に返ると母とマリアだけではなく、周囲の人々までが私に注目しているのに気付いた。どうしよううっかり大口を開けて食べてしまったが、はしたなかっただろうかと少し慌てたがすぐに周囲の視線が微笑ましいものを見るような視線だと気付く。
どうやら私の無作法をとがめているわけではないらしい。良かった良かったと安堵していると、ひときわ熱のこもった視線があることに気付く。目を向けると私と同じくらいの年齢の男の子が、私をぼうっと見つめていた。
これは・・・そんなにこのタマゴサンドが美味しそうなのか。うんうん、わかるぞ少年よ。これはめったに食べることのできない至高のタマゴサンドだ。だが、私のお昼御飯なのだからそんなに情熱的に見つめてもあげることはできないのだよ。
そういった意味を込めて男の子を見つめ返すと、なぜか男の子は顔を真っ赤にした。
うーん、風邪でも引いているのだろうか。病気の時は栄養のあるものを食べた方が良いと聞くし・・・。考えてみれば体は同じくらいの年齢でも、精神的には私の方が遥かに年上だ。美味しいものを独り占めするのも大人げないし・・・。
私は渋々ながら立ち上がり男の子に近づいていく。そして・・・。
「はい、あげる」
手に持っていたタマゴサンドの3分の1ほどを千切って男の子に差し出した。
なんだろうどこかから違う、そうじゃないという声が聞こえたような。そして、暖かな陽気だったのに少し寒くなったような・・・。
そんな微妙な空気の中でも男の子は私が差し出した方のタマゴサンドには目もくれず、私の方を見つめ続けている。
まさか・・・、それじゃ足りないからもっと寄こせと言いたいのだろうか。さすがにそれは強欲だぞ・・・と思っていると、この子の父親だろう男の人が来て私に一言謝り男の子を連れていってしまった。
タマゴサンドを貰えなかった男の子が少しかわいそうになったが、仕方がない。過ぎたる強欲は身を滅ぼすのだ。
こうして子どもは世間の厳しさを知って大人になっていくのだな、などと訳の分からないことを考えながら戻った私を出迎えたのは、母の大きなため息だった。
「はあ、貴女という娘はどうしてこう残念なのかしら」
えー、なんでそうなるの?




