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南の湖1

「たまには魔物が食べたいな・・・」


 つい口をついて出たその言葉により一瞬で場が静まった。


 夕食後の和やかな雰囲気での談笑。そんなひとときをブチ壊した大バカ者は、私だ。


「いや・・・あの、結構美味しかったのもいたから・・・、今の食事に不満があるわけではけっして・・・」


 あわててしどろもどろになりながら誰にともなく言い訳をしてしまう。本当についうっかり口に出てしまったのだ。今の真っ当な食事はとても美味しいし、栄養についても考えられていて文句のつけようもないのだが。


 なのだが・・・なんというか、たまに懐かしくなる味があるのだ。別に特筆するほど美味しいというほどでもないのだが、そう、やけに印象に残る味でたまに食べたくなったりするというやつなのだ。


 あわあわしている私を見る両親の眼差しが妙にあたたかい。ああ、ようやくいつものリーゼロッテらしくなった、とでも言いたげな視線だ。


「あねうえ、まものはたべものじゃないよ?」


 弟の純粋な眼差しと、至極真っ当な指摘が胸に刺さる。ベルンの前では美しく完璧なおねーちゃんでいたかったのに、どうしてこうなった・・・。


 いやまあ、全部私のせいなのだが。さて、こうなればなんとか上手く取り繕うしかない。


「ベルン、実は大人の貴族は隠れて魔物を食べているのよ。魔物を食べられるようになって初めて一人前の貴族と認められるの」


 ベルンの顔が尊敬の色に染まる。よし、姉の威厳は何とか保てた!


 そんな風に心の中で快哉をあげていると、いつの間にか私の背後に居た母が私の頭をつかんだ。


「リーゼロッテ、貴女に関してはもう諦めたけれど、ベルンハルトまで巻き込むのは許可できないわよ」


 母の手が万力のような強さでギリギリと私の頭を締め付けてくる。こちらも身体強化することで防ごうとするが、強化魔法を発動するはしから母に解除されてしまうためまったく効果が出なかった。


「いったたた! 痛い、痛いです母様! ごめんなさい!」


 あまりの痛みに悶絶する。特に中指がつむじのあたりをぐりぐりと押してきてものすごく痛いのだ。


 それからしばし母のお仕置きを受けた私は、ようやく解放されたころにはぐったりとしていた。散々なぶられた私の頭をベルンがやさしく撫でてくれる。


「あねうえ、あたまだいじょうぶ?」


「・・・」


 むう、ベルンの言葉に文字通りでない意味が含まれているように感じられてしまうのは私の気のせいだろうか。うん、きっとそうに違いない。まだ反抗期には早いし、純粋に心配してくれただけなんだ。


 ちょっと心配になってきたこともあり、おかしな言動はなるべく控えようと私は心に決めたのだった。


 そう、決めたのだ。だからく~ちゃん、どうせ無理とか言わないの!




 さて、そんなやりとりは私の数ある奇行の一つとして処理される予定だったのだが、数日後にもたらされた知らせによってそれだけでは収まらない事態になってしまった。


 その知らせとはサヴィニー侯爵家の領地にあるボーデン湖でクラーケンが大量発生しているというものだ。クラーケンは巨大なイカの魔物で、船などを襲って水底に引きずり込んでしまう厄介な魔物だ。


 そして、ボーデン湖の水上交通によるモノの流通は湖上都市リンダウの繁栄に欠かせないものであり、サヴィニー侯爵家にとっても生命線と言える。そのため、船を襲うクラーケンは侯爵家にとって天敵と言っても過言ではなく、定期的に掃討しているとのことだったのだが、最近異常なほどにクラーケンが増えていて対処しきれなくなってしまったらしい。


 サヴィニー侯爵家としての誇りと体面もあろうが、ボーデン湖の水上交通は王国全体の流通の要でもあるため、そこに支障が出ると王国全体の流通が滞ってしまうのだ。そのため、王家としても黙って見ていることができず、我が家を含めた主要な貴族家に情報を流してきたというわけである。まあ、つまりは各家から戦力を出して早々にクラーケンの対処にあたれ、ということだ。


 私はこれはいい機会だと思った。各家から戦力を集めるといっても、それぞれの家にも魔物に対処すべき持ち場が決められている。だから、ある程度の戦力は残しておく必要があり、つまりは余剰戦力である私の出番というわけだ。


 さらには、今回集まる人々は将来魔王との戦いにおいても共に戦うだろう人たちだ。しっかりと連携をとることができるよう、今の内から共に戦う経験をしておくのは悪くない。


 そしてもう一つ。クラーケンは前世で私が食べてきた魔物の中ではかなり美味しい部類に入る。そのままでは水っぽくぶよぶよしていてとても食べられたものではないのだが、火魔法と風魔法を上手く使って熱風を起こし、乾燥させると干物のようになり独特の風味が出ておいしく食べられるようになるのだ。


 この方法は前世で私が編み出した方法のため、現時点で私以外に知っている者はいない。私は王国一クラーケンの調理が上手い女なのだ。


 そんな感じの理由で自分が行きたいと両親に直談判すると渋い顔を返された。まあ、私がクラーケンの調理法を嬉々として語っているあたりでは揃って頭を抱えていたのだが、それは見なかったことにした。


 そしてく~ちゃんが後ろで、ほらやっぱり無理だったと呟いているのも聞かなかったことにした。美味しいものの前では小さなことにこだわってなどいられないのだ。


「まあクラーケンの食べ方はともかく、今のうちに他の貴族と共に戦う経験を積むというのは悪い考えではないのだが・・・、正直お前を一人で放り出すとどんな地獄絵図になるのか想像がつかん」


「そうね、気に入らない相手がいたら、誰であろうとしばき倒してしまいそうだものね・・・」


 まったく酷い評価である。まあ、自分でもそうなりそうだなと少し思ってしまったのは内緒だ。そしてく~ちゃんよ、今小さな声で、”残当”と言ったのが聞こえたぞ~。口は災いの元という表現はもちろん知ってるよね? うふふ。


「グェ~!」


 私がよけいな言う悪い口を引っ張ってお仕置きをしている間に両親の間で相談が終わったようだ。


「良い機会なのは確かだからな。私がここから離れるわけにはいかないから、アマーリエと一緒に行ってきなさい」


「そうね、私が付いていればこの娘も少しは大人しくなるでしょう。リーゼロッテ、今回は私の付き添いで行くという形にするわ。この機会に他の貴族との上手な付き合い方をしっかりと教えるから死ぬ気で覚えなさい」


「はい!」


 思わず返事をしてしまう。それくらいの重圧が母の言葉には込められていた。


 ええい、勉強もあるとか当初の予定とは違って、ちょっと面倒なことになってしまったが仕方がない。なんとかなるなる。私はできる子だ。


 さあ、行こうボーデン湖へ。まっていろクラーケンめ、私が行くからにはもう悪さはできないぞ。大人しく食料になって私のお腹に収まるがいい。あっはっはっは!

残当:残念だが当然の略。予想どおり、といった意味である。


――インゴルシュタット王国王侯貴族語大全より――

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