remember:13-2
コーヒーは好きだ、まあ味が好きというわけでも酸味や苦味などが好きというわけでも香りが好きというわけでもないただのカフェイン中毒なのだがこんな人間でもカフェを経営することができる
俺がカフェを経営しようと思ったきっかけはもう十年ほど前になる、小学生だった頃の俺はふと思ったのだ
沢山の人を相手にして何かを経営したいと、今考えればとても目標とも言えないほどのふわふわしたものだったが高校のときに三代と出会ってその夢がまた再燃し今に至る
その頃は三代にもよく相談に乗ってもらっていたくらいだ、なんてことを考えながら閉店した店の中で一人、銀のトレイを磨く。一日の終りでこの時間が一番の楽しみでもあるのだ
粗方磨きおわると光が反射するほど奇麗な光沢を出していた、ふぅと小さく息をついてトレイを棚に戻す
ああ、やることがなくなると暇だ
手持ち無沙汰に店内をウロウロする、最近は何事にも意欲がなくなってしまうのが悩みの種で知人は仕事だし嫁は入院してるし話し相手も特に居ないからとんとやることが無くなってしまう、もう今では経営しか面白いと思うものが無い
にしても本当にあの頃は無駄に意欲に満ち溢れていた、三代も大分苦労し苦悩していた時期だったのに、そんな時期に色々と相談に乗ってくれた三代には勝手ながら最大限に感謝している
だがいい加減ほぼタダ飯を食らっていくのは勘弁してほしい
あいつは本当に昔から容赦がない、昔だって高校の購買でパンを買ってきてくれといったら三十円くらい金を上乗せして要求していた位だ、ほとんど詐欺の領域に片足突っ込んでいる
みみっちいと言うか何と言うか、まあ別に採算は取れているので問題はないのだがとにかくあいつはそんなところがあるから彼女なんか絶対にできないと思っていたがまさか同居するほどの相手ができるとは
と、店内のきれいに整っている装飾に目を通しながら一頻り歩くと店の入口から鈴の音が鳴り響いてくる、どうやら来たらしい
「ようマスターまたせたな、またボケ老人みたいに店の中ぐるぐる回ってたのか?」
「洒落臭いな、いいだろ別に」
大分疲れたような顔をしている三代がカウンターに着き溜息をつくとカウンターに貼り付けてあるメニュー表を一瞥してマスターを見る
「コーヒー一杯貰えるか?」
「たくさん飲んで大丈夫なのか?」
「馬鹿野郎、字面じゃ同じだけど名詞と副詞で意味が違うだろうが」
「はっはっは、そう怒るなよ冗談冗談」
腰に手を置いて少し仰け反りながら笑いを上げるとマスターはコツンコツンと足音を立てながら暖簾をくぐる、そんなに怒ってはいないのだが
そんなことを思いながら三代は待ち時間を退屈に思い店の入口付近にある本棚まで足を運ぶ、注文して約二十秒での出来事である
本棚にはいろいろな種類の本が無造作に並べられている、まあ最初は奇麗に並んでいたのだろうが客が手に取るに連れてどんどん配置が変わったのだろうか。だがそれが店としてのあるべき姿であろう
来たはいいもののここの本は殆ど読んでしまっている三代はしょうがなく隣りにある何という名前だろうか、まあその何かに掛けられている新聞を手にとって席に戻る
最近は学園だったりとか二重国籍だとか日本が不安になる様なことばかり新聞社は取り上げているが、俺の二十三年で得た経験則から言うと本当にヤバイことは絶対に報道したがらないから正直言ってネットだけではなく新聞なんかも信憑性が薄くなっていると思うのだ
とまあ何が言いたいのかといえば何も言いたいことはないただのボヤキを心のなかで唱え終わった辺りでコーヒーのいい香りがふわりと鼻をかすめる、にしても何故コーヒーを淹れるのにはこんなに時間がかかるのだろうか
俺には皆目見当もつかない努力があるのだろうがそれを俺は知らずとも飲むことができる、この世はとても都合がいい
三面記事をあらかた読み終えた頃にマスターがコーヒーを持ってきた
「でマスター、今日はどんな頼みごとだ?」
「ああそうだったそうだった、今日呼んだのは雛人形を飾るのを手伝ってほしくてな」
「雛人形か、だが店に飾るスペースは無いと思うんだが」
三代はそう言って店内を椅子を回転させてぐるりと見回す、こぢんまりした店なのでそこまで大きいものは邪魔になっておけないだろう。置けてせいぜいミニチュアサイズのものか、ならそれこそ俺を呼ぶ理由にならない
「いやいや店に置くわけじゃなくて家の方に飾りたいんだよ、そういや話してなかったが二月二十八日に娘が生まれたんだ」
マスターは少し面映そうに頬を人差し指で掻き少しだけ笑いをこぼす
「え、マジで?それはそれはおめっとさん、だが言ってくれれば祝いにいくらか包んだのに」
「あんまり気を使わせたくなかったんだよ、それで本題に戻るがその人形がこれまた豪勢なやつでな、胡蝶のお義父さんとお義母さんとうちの両親が初孫だって大騒ぎして送りつけてきたんだよ、今週の日曜には退院するし両親たちも来るらしいからそれまでには組み立てて置きたいんだ」
状況は把握できた、がしかし腑に落ちないことが一つ
なぜマスターは家に呼べばよかったものの態々店の方に呼んだのか、まさかコーヒーを飲ませるためだとかそんなくだらないことのために呼んだわけじゃあるまい
なぜならそんな理由なくしてもタダ同然のコーヒーは飲みに来るからだ、我ながらなんと悲しい生物なのだろうかと思うが悲しくなって金が降ってくるんだったら俺はしけたアルバイトなんかせずに感動する映画を借りまくって家に引きこもっているだろう
まあそんなことはどうでもいい、三代は自分の思考に一区切りつけて率直に質問することにした
「なあマスター、なんで家に呼ばずに態々店に呼んだんだ?二度手間になると思うんだが」
「・・・・そうだよな、臆病になってちゃ・・・逃げてちゃいけないよな。お父さんになるんだから」
「・・・・・・いきなり、なんだよ」
マスターの表情が陰り、いつものような溌剌とした顔とは正反対である暗く静まり返った表情を浮かべる
何か只ならない空気が部屋を埋め尽くす、いや俺がそう思っているだけなのだろうがそれでもとても、何故かとてもその空気が恐ろしい
なぜそんな顔をするのだろうか、なぜそんなに口を開くのが重たそうなのだろうか、俺にはわからない
じっとりと嫌な汗が背中を腰に向かって這ってゆく、とても気持ち悪い、心なしか頭も少し痛くなってきた
数年ぶりの偏頭痛が再発したのだろうか、それとも嫌なことから目を背けようとする精神の防衛反応なのだろうか
「あのな三代、お前にはずっと黙ってきて本当に悪かったと思っている。だが、だがそれでもあの生真面目な先輩が本当に最後にしてくれたお願いだったんだ、それを遂行するのが俺の義務だと思ったんだ」
重い口を開いたマスターがカウンターの奥にある引き出しから一つの手紙を取り出してきた
マスターは更に続ける
「これは先輩がお前に宛てた手紙だ、『三代くんに貴方以外に心から信頼している人ができたら渡して』と、そう言っていた」
「謝って済む問題じゃないことはわかっているつもりだ、だがお願いだ、一度でいいからその手紙を読んであげてくれ!頼むこの通りだ!!」
マスターが深く頭を下げる、その姿は心から先輩を信頼していた彼の気持ちの現われだろう
三代の手が震える、見なきゃいけないことくらいわかっている、分かっているつもりだが見るのがとても怖いのだ
手を握りしめて唇を噛み締めた、じんわりと痛みが伝わってくるがそれでも手の震えは止まるどころか一層ましている
ゆっくりとゆっくりと、手をテーブルの上にある手紙に伸ばす
マスターはこの重みをずっと味わってきた、ここで逃げてしまってはその重みを投げ捨てずに繋いできてくれたマスターの苦労を踏みにじることになってしまうから、逃げてはダメだ
便箋を開け手紙に目を通す、きれいに整った字が一枚の紙に敷き詰められている
『三代くんへ、お元気ですか?
貴方がこの手紙を読んでいる頃には私はもう貴方の近くにはいないでしょう、なんて使い古されたこと
言うつもりはないけれど、本当に貴方の目の前からは居なくなっているでしょう
ごめんなさい、貴方にあれだけ偉そうに知った口を聞いて無責任に励まして
ごめんなさい、貴方の前から消えてしまって
ごめんなさいを何度繰り返せばいいのかわからないけれど、こんな私を許してくれとは言わないけれど
それでも私は死んでしまった、これだけは揺るぎない事実だから、気負っているのなら気にしなくて
いいから
どうか貴方の信頼できる人、友達を大切にね。私のわがままを聞いてくれるかな?
不器用でわがままな先輩より』
「先輩は、いつも変わらないな」
「ああ、だがそんな先輩を俺は今でも尊敬してるよ」
「俺もだ。はぁ・・・さて雛人形だったな。準備しに行こうか」
「そうだな・・・・なあ三代、ありがとうな」
「・・・・・こちらこそ」
それから俺達は一言も話すことなくひたすらにマスターの住んでいるマンションへ歩みを進めた
頬に当たる風がいつもより冷たい、ような気がする3月3日の昼の出来事だった




