不満の矛先
「すまんな、俺は陶器系のものを洗ってはいけないと誓約しているんだ」
「はぁ」
「というよりも洗ったら仕事が増える」
「…何で調理場の手伝いに来てるんですか」
シモツキの言い分がただサボる口実にしか聞こえないが、こういう奴なのだ。
本人曰く、自分は好奇心が強く何でも試してしまう傾向があるらしい。そして好奇心が強いせいか手酷い失敗をしても繰り返してしまうらしく、あまりにも酷いことには自分を強く戒める。誓約を立てるとかなんだとか。繰り返すが本人談。
ちなみにマコトがシモツキと特別親しいからこの話を知っているんでなく、自己紹介時などに本人が公言している。
こんな変な奴でも能力は高いので、クラス内では一定の評価を得られているのが気に食わないと言えば気に食わない。
「俺はあえて苦手なことをしたがる傾向があってな、迷惑をかける」
「…そう素直に言われても……まぁ、準備はちゃんと手伝ってくれたしいいけど」
ただ、別に悪い性格はしていないので嫌いではない。…それに今の空気からすれば、ある意味では空気を読まないシモツキの存在は助かった。
「…シモツキはどう思ってる?」
「どうと言われても明言してくれないと分からん」
「…犯人についてだよ」
「なんだその話か」
「その話って、結局何も結論は出ないまま…今も男子と女子で冷戦状態みたいなもんだぞ」
結局昨日の話し合いでは男子の間だけでも何の結論も出なかった。今日も今日で男子のコーイチとナオキが女子のリーダー的存在であるカエデやナツキと話し合いをしているらしい。
だがまだ結論は出ていない。
…タマ先生が早く起きてくれればまだもう少しマシになるんだろうが。
「俺は誰も疑わない。基本的に確定的でなければ俺は人を疑わない信じると誓約している」
「コーイチ派ってことか…でも誰かいなきゃ遺体だって消えないんだぞ」
「だがその犯人がこの中にいると決まった訳じゃない。第三者の可能性だってある」
「ここは辺境の外は魔物とかいう人食い動物が闊歩するところなんだぞ? 外部の存在を疑うにはあまりにも無理があり過ぎる」
「此処は異世界なんだろ。結局犯人が男子だと決めつけてるのも常識外の方法だと決めつけるからだ。なら此処を密室空間であるという常識も考えから外すべきだ」
「……でもそれを言ったらキリがない」
「人を疑うのもキリがない。なら俺は人を疑わない。そう誓約してるんだ」
そう言い切るシモツキの顔はいつも通りの真面目腐った顔をしていた。
――…、
「それではお疲れ」
「お疲れ様」
夕飯の片づけを済ませると後は自由時間になる。此処は異世界だが魔導具が存在して、電球の代わりのような物もあり夜でも本を読めたりする。なので教会の蔵書で自習をする人や集まって話し合う人。皆思い思いに過ごしている。
マコトはというと一人部屋に戻りさっさとベッドに入ってしまうが。個人的には魔術、特に発動に関わる魔方陣を自習したかったが今の状況で下手に魔術に関わるのはマズい匂いがする。
規模こそ違うがクラス内の問題はクラスでの最底辺の人間が当て馬にされやすい。そうなればうかうか自分も安心していられないラインの人間であるのは理解している。
それに身の潔白を示そうにも完璧なアリバイはマコトは持ち合わせていない。ならば出来る限り今は誠実に生活するのが得策だ。
「(本当に疑われたら、どうすればいいか…)」
最悪逃げ出すしかないが、そのためには危険な外に対応するための魔術を出来る限り修得したいが…。
「ジレンマ…だな」
しようとすると疑われる危険性が増す。しないと万が一のとき危ない。
まったく散々だと、マコトは寝室へ向かいながら思う。
――…ッ……!!
遠くの方から声が聞こえた。何を言っているかは聞き取れなかったが、怒鳴るようなそんな声だ。
面倒事か。いつもなら関わり合いたくないが、今は状況が状況だ。出来うる限り情報が欲しかった。
「――…ぇよッ!」
近づくにつれ声は大きくなっていった。場所は段々と奥の人気のないところへ行き、いかにもといった場所に出る。
「(やっぱりか…)」
物陰から覗くとそこには思った通りの光景があった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
「謝ってんじゃねぇよ? デブは黙ってサンドバッグになってりゃいいんだよ!!」
「ぅッ!?…ン…グッ……!」
ストレス発散、そんなとこか。マコトはクニヒロが殴られている光景を見て冷静にそう考えた。
異世界へ来るなんて異常な出来事、そして遺体の喪失なんて異常な事件からの不和。
誰だって疲れるし、嫌になるだろう。
普通なら自分の家で思い思いにその鬱憤を晴らすだろうが、こんな状況では不満は溜まる一方。
必ずどこかでそれは爆発する、表か影で。それは分かりきったことだった。
そしてクニヒロがその標的になるであろうことは、簡単に予想できていた。
「(いつもなら手が出るなんてことはなかったんだがな…)」
今クニヒロを殴っているの奴も普段はそこまでしない。しかし此処で普段を求めるのもおかしい話。
目の前の状況は事態の進展に繋がることはない。只の見ていて気分が悪くなるだけの光景だ。
改めてマコトは何の意味もないことをは確認した後、この場を去ることにした。
何か犯人への手がかりや有益な情報がないかというダメ元の行動であったし。虐め現場を眺めて楽しむ趣味はマコトにはない。
そして、虐めを止めるという正義感ぶる気持ちも持ち合わせてなどいない。
マコトは至極打算的に踵を返す。
「ほんと…いい性格してるよな、お前」
そしてそんなマコトを呼び止める者がいた。
――…、
「ナオキ…君?」
「君とかやめろ、気持ち悪ィ。ついでに忠告だが呼び捨てにしてもぶん殴る」
「……東郷サッ――!?」
「あースマンカッタ。苗字は嫌いでな、思わず殴っちまった。許せ」
じゃあどう言えってんだ。このくそったれ。
マコトは理不尽なナオキの言い草に苛立ちを覚えるが、反抗しても余計痛い目を見るだけだ。マコトはナオキに大人しく従った。
「…ナオキさん、何か用ですか?」
「別にお前なんぞに用なんてなかったが。単純に目に障ったからな」
そうナオキは口に出しながら歩き出した。場所を変えるということだろう。嫌な予感しかしないがマコトは黙ってついて行く。
現実的にマコトがナオキに逆らうことも出来ないから。
「この辺でいいだろ」
「……それで、何の用があって僕を連れてきたんですか?」
「俺がお前のことを大っ嫌いで。いつもいつもお前を見るたびにイライラするって話をしたくなってな」
雑多に物が収納された物置のような部屋に連れてこられ、マコトが言われた一言はナオキのあまりにストレートな物言いだった。
驚き。何かは言われるだろうと予測をつけていたが、痛切過ぎるナオキの言葉にまずマコトは驚きを覚えた。
怒り、だとか。悲しみ、だとか。そんなことより前に、自分が他人にそんな風に思われていたこと。その事実に驚いた。
マコトは極力他人に迷惑をかけるような行動は避けてきたつもりだ。コーイチのこともあってか周囲の目は必要以上に気にしていたし、身の程を知っていた。だから背伸びせず、期待せず、迷惑をかけず、影を薄くして学校生活を過ごしてきたつもりだ。
だからこそ、ナオキのストレートな嫌悪の言葉に驚いたのだ。他人からすればマコトなんてたまにコーイチの横にいる影の薄いクラスメイト。そんな立場に甘んじてきた。
思わず黙り込んだマコトをゴミを見るような目をしたナオキが言葉を続ける。
「その澄ました顔も自分以外を心ん中で馬鹿にしてるような目線も、お前の行動全部が全部癪に触る」
「ッ…! そんな言いがかり――!」
「言いがかり? 事実だろうが、もしお前が腹ん中では他の奴を馬鹿にしてねぇってんなら。友達のクニヒロのことも助けたはずだろうが」
「………」
その言葉に。マコトは反論出来ない。
ナオキの言っていることは的外れではないから。確かにマコトはクニヒロの事を馬鹿にしてきた。自分より下だと格付けていた。それは事実だ、否定はしない。
だが、
「……僕だけじゃない…」
「あ?」
「僕だけじゃないだろ!? 人を馬鹿にするのなんて、お前だってクラスの誰だって口に出すか出さないかの違いだけで皆心の中じゃ思ってる! 友達だって上辺だけの付き合いの奴なんかゴロゴロいるだろ!!」
そうだ。そのはずだ。
クニヒロを見捨てたことに対してマコトが非難される謂われはない。友達という条件さえなければ、ナオキだって見捨ててることに違いはないのだから。
逆により権力を持ったナオキが止めないほうが善悪的には悪いはずだ。
言い訳のような、ともすればナオキを責めるような考え。
身勝手なその言い分にナオキは短く返す。
「お前…自分の考えは誰もが同じように考えてるとか思ってんの?」
――…、
「そもそも俺はクラスで誰が上だか下だとかは考えたことはねぇ。気が合う奴と連むだけだし、気の合わない奴は気にしねぇ、そんだけの話だろ」
違う。
「女子とかは他人をネタに話すこともあろーが、女ってそんなもんだろ」
違う。
「少なくとも俺はクラスの奴を馬鹿にしたり見下したりしたつもりはねぇ。というかそんなことを気にしてばっかのお前みたいな奴が俺は嫌いなんだよ」
「お前は………」
そのナオキのあまりに無遠慮な言葉はマコトに突き刺さる。突き刺さって抱く感情は図星をつかれて痛いとか、考えを改めさせるとか。そんな優しい感情をマコトは抱かない。
ただ胸を焦がすこの思いを表すならたった一言で、
――…ふざけるな、と。
「お前のそういう行動が! 俺たちを既に見下してるんだよ!!!」
上か下か気にしていない? 馬鹿にしたつもりはない?
お前のその発言が俺を見下しているんだよ!
人間が一つに集まれば上下関係は必然的に生まれる、その中のコミュニティが望む望まないに関わらず。なぜなら人は社会を作り社会で生きる生物なのだから。
上下関係を気にしないなんて言えるのは、既に自分がそのコミュニティで上の存在だと公言することと大差ない。
「能力がある奴はいいよなッ! そんな綺麗事をペラペラ語って自分の汚い部分を隠せて! 俺みたいな奴は必死に汚く自分の居場所を守るしかねぇんだよ!!」
「………」
強者は自分の振る舞いが既に弱者を弱者たらしめていると認識しろ。
もしもナオキが今までの言葉を全て心から言っているとするならば、マコトはこいつに対して――
「――悪ィな。お前の言っていることさっぱり意味分かんねぇわ」
一生分かりあうことはない。
「おいおい、それ本気で殴ってんのか?」
分かり合えない衝突は、苛立ちは既に言葉での対話を通り越して拳にこめられていた。
苛立ちは怒りに変わる。マコトは怒ったことはあっても、直接手を出したことはなかった。
それは自分が底辺の人間と自覚していたから。底辺の自分が他人に対して怒るのもおこがましい。
例え気に障ることがあってもそれを許すことで自分の地位が高まると考え自分を宥める。怒りに任せて…本能に任せて拳を振るうなど浅ましいことだと考える。
そうやって自分を守ってきた。高尚であろうとした。
だが――
「ハハ…」
「本当に気持ち悪い奴だな、お前…」
気持ちが良い。心が軽い。心に身を任せるのが。
心の思うままに身を動かす。そこには煩わしい理性も、規律も関係ない。逆にそれを破る快感さえある。
人は心に従うことを。特に悪いとされる欲望に身を任せることを"大罪"とする。それは人は醜く汚いものを嫌悪するから、そう思うことで自分は偉いと錯覚する。社会なんてものに貢献してると。
なんて利己的で、そして馬鹿な思考をするんだろう。
「お前みたいに…人の気持ちも分からない奴は消えろ!」
「まぁ…お互いに嫌い合ってたほうが楽でいいな!」
それは原始的な喧嘩だった。
嫌いだから、目障りだから。
互いが互いの存在を嫌悪し、その存在を気に食わないと殴りつける。ただそれだけの行為だった。
それだけだったはずだった…――
「あれ…?」
激情というものは長く続かない。しかしそのときその瞬間に思った感情は、過ぎ去ればそうは思わないかもしれないけどその瞬間だけは本当の気持ちだ。
欲望に突き動かされるまま、マコトはあの瞬間確かにこう願った。
「ナオキは"何処に行ったんだ"?」
――跡形も無く、食べてしまいたいと――