分かりやすい形
神楽坂 春奈。
僕たちのクラスメイトの一員"だった"。
彼女とはクラスメイトの一員だったけど、それほど接点があった訳ではない。
大人しいタイプの子だったと思う。確か唯一と言ってもいい接点は日直を一緒にやったぐらいだろうか。それほど会話も無く淡々と一緒に仕事をしただけだったが、学級日誌を返しにいくとき『今日の当番』という一緒にやった日直の評価を付ける欄に、「折原君がミスをフォローしてくれてとても助かりました。また一緒に出来たら良いなと思いました」という言葉に、どうせ適当に済ましたんだろうなとか捻くれたことを思いながらも、嬉しかったことを妙に印象に残っている。
でもそんな風に僕を評価してくれた彼女はもうこの世界にいない。
そのことに対しマコトは、事態を受け止めきれていない自分がいるのを自覚していた。
「………」
こんな程度の繋がりしかなかった自分でも、こんなにショックを受けているんだ。
今、神楽坂の亡骸に縋って泣く仲の良かった友達はどんな気持ちを抱いているんだろうか。
「コーイチ…どういうことなんだよ……」
「…俺も後から来ただけで何も分かってない。ベルさんを呼ぶぐらいのことしか出来なかった」
「だから! …どうして神楽坂が死んだんだ……!!」
「俺にも分かんねぇんだよ! …神楽坂は今朝まではお前と同じように眠ってただけだった。だからみんないつか起きるだろうって思ってたんだよ…こんな風になるなんて、考えもしなかった…」
突然死。死因は不明。
マコトはこのとき初めて知ったのだがクラスメイトは確かに全員この教会にいるが、起きる時間は大分差があったようだ。早めに起きたコーイチは3日前ほどには目を覚ましていたらしい。いつまで経っても起きないマコトのような奴を心配していたらしいが、続々と起き始めていたので深刻な類ではないと思っていた。
今の今までは。
「…他には…他に寝たままの奴はいるのか?」
「あとは…タマちゃんと、クニヒロだけだ」
タマ先生も目を覚ましていないのか!
マコトはそのことに焦りを覚えた。医者もいない、診察も出来ない今では神楽坂の死因を特定することは出来ない。対処が分からなければタマ先生も神楽坂の様になるかもしれない。
マコトは大して無い知恵を絞って必死に考える。
「水とか、栄養は? 神楽坂の…原因はそのせいかも知れないし。寝たきりなら点滴とかしないとダメだったんじゃないのか?」
マコトは自然とそう口にしたが、それはあくまで"前の世界"で抱く疑問だった。
「お前は、"異世界"に点滴なんてあると思ってるのか?」
「今はそんな冗談を言ってる場合じゃ――」
「――冗談じゃないんだよッ!!」
今日は本当に、おかしな一日だ。
コーイチがこんなにも声を荒げ、素の感情をぶつけてくるのはいつ以来だろうか。
マコトの怒りは、コーイチのそれ以上の激情で一瞬で冷やされた。
それぐらい、コーイチの言葉は色んな辛さや怒りや戸惑いや、消化し切れていない感情が詰まった言葉だった。
「"二人目"なんだよ…ッ! 神楽坂は、死は…。あんなこと一度だって勘弁して欲しいのに…本当に、クッソ…」
「コーイチ…」
「俺だって異世界に来たなんて、絵本みてぇな歴史書見せられたって魔法なんていう変なもん見せられたって信じなんかしなかった…。みんなだってそうだった……だから! 有田は死んだんだ!!」
――コーイチから、マコトの起きる前の出来事を聞いた。
コーイチのように早く起きたクラスメイトは先程までのマコトと同じようにベルの話を聞いたらしい。
そして当然のようにその言葉に取り合わなかった。そして当然のように"外に出て"家に帰ろうとした。
コーイチ等はまず事態の把握に努めるべきだと、みんなが起きるまで下手に動かないほうがいいと説得したらしいが帰りたいという気持ちも分からない話ではなく、せめて外の様子を見て来るといった有田達を止めることは出来なかった。
それで"奴ら"には十分だった。
教会の外へ先頭を切って出ていった有田は、見送るコーイチ達の前で……死んだ。
「――あっという間だった。目の前で見てみれば命なんて言われるより軽いもんだと思ったよ。そして俺たちは、クラスメイトの一人の命と引き換えにようやくここが異世界だって気づいた。いや、気づかされた…」
「…その有田を、殺したっていう"魔物"の姿を…見た、のか?」
「…あんな生き物見たことない…。ただ食うんじゃない…人間を餌みたいに。アイツらは笑ってるんだ、まるで人間の何処が美味いみたいに、頭を穿って掻き出して…!!」
「もういいよ…」
マコトは見てられなかった。
「もういい、僕が…悪かった。知らなすぎた、知らない癖に偉そうに責めて。悪かった…」
「すまん。俺も…冷静じゃなかった…」
二人して項垂れていた。
マコトには、もう此処を異世界だというコーイチを笑うことは出来ない。
コーイチがここまで言うことが、マコトにとって此処は異世界だということに信じるに値する根拠になった。
ならば、
「考えよう」
迷いを振り切るようにコーイチは言う。
「こんなふざけた状況の中で俺たちは生きなきゃならない。此処は命が保証されていた元の世界とは違う。この世界には頼れる親もいない。タマちゃんだってまだ眠ったままだ。だから、」
――俺たちは助け合って生きることを考えるんだ――
「あぁ…」
コーイチは、こんな状況でもコーイチだった。
まるで日の光だけを一身に浴びているようで、ひたすら前だけを見つめていて。
マコトはそんなコーイチの決意を聞いて、
「そうだな…」
酷く憂鬱な気分だった。
――…、
人の体というのはどんなに落ち込んでようが、どんなに怒り狂っていようが、生理現象というものが無くなることはない。難儀なものだ。
「それではいただきましょうか」
「…いただきます」
聖職者の方でも別に特別なことをするんじゃないんだな。
マコトは暗く喉を鳴らすのにも神経を使いそうな空気の中、そんなことを考えていた。
それは事態を受け止めたくない逃避だとマコトは意識しないようにしながら、半ば無意識的に目の前の血がしたたる肉を口に運んだ。
――!!
「旨い…」
「お口にあいましたか。安心しました」
この料理を美味しいと感じたのはマコトだけではないようで、先程まで暗く表情が優れなかった連中も感嘆の声を上げながら舌鼓をうっていた。
落ち込んだときに食べる料理は味気ないものだが、逆に言えば食べる料理がとても美味しいときには落ち込んだ気持ちも前を向けるのかもしれない。
先程までの暗く沈んだ空気がマシになっていくのをマコトは感じた。
「ベルさん。少しこの場を借りてもいいですか?」
「はい? 大丈夫ですよ」
皆があらかた食べ終わるのを見計らってから、コーイチはベルに許可を貰う。
「すいません。ありがとうございます」
ベルに頭を下げコーイチはクラスメイトに向き直る。
その表情は真剣そのものでいつもの取っ付きやすそうな雰囲気も今は態を潜め、真っ直ぐに覚悟を決めた兵士のように凛としていた。
「みんな…つっても寝たきりだったり、部屋に閉じこもっちまったり……もう会えない人もいる。だけど、今此処にいるみんなに聞いてもらいたいことがある」
コーイチはクラスメイト一人一人の顔を見つめながら語る。
反応はまちまちだった、視線を下げるやつ見つめ返すやつ縋るように見るやつ。
マコトはただ黙って聞いた。
「俺たちは今まで、まだどこかで思ってた。これは夢なんじゃないか、なんかのイベントなんじゃないか。当然だよな、こんな非現実的なことを現実なんだって思うのがバカバカしい。でも、俺たちはここに来て何日経ったろう? 何を経験した?
みんなはそれを夢だ、幻想だって言い切れるのか?
俺はそう言いきれない。夢だったらどんなにいいかって思う。でもこれを夢だと言い続けて逃げ続けてもきっとこれは覚めてくれない。これは現実なんだ。俺たちは"まず此処が異世界なんだってことを認めなくちゃならないんだ"」
「「「…………」」」
その言葉を笑うことが出来る奴はもうこの場にはいなかった。
みんなもう納得しているかはそれぞれとしても、此処が普通ではない。異世界でないとしても、日常とかけ離れた場所だということを理解していた。
コーイチもそのことは理解し、しかし改めてみんなの前で明言する必要かあるのを感じたのだろう。
これから"生きていく"ために。
「そして此処が異世界ならば、次はどうする? 俺たちは何をするべきなんだ?」
分からない。見当もつかない。
知らない人に声をかけられたときの対処法は教わっても、知らない世界に連れて行かれたときの対処なんて知る由もない。
「"今は"誰も答えることは出来ない! だって俺たちは何も知らないんだから!」
そうだ。思考する、考えるというのは。常識や経験という材料を用いてするものだ。
今の僕たちはこの世界について何も知らず、そして知らずして出した結論が正しいとは誰にも分からない。
「今俺たちがやるべきことはこの世界を知り、この世界で生きていく術を知ることだ! そしてみんなで考えよう!!」
コーイチは強く思っているんだ。みんなで、もう誰も欠かさず。
「元の世界に帰るために!」
コーイチの力強い言葉にみんな知れずして瞳に先程までなかった小さな輝きを灯して、頷く。
「帰ろう、みんなで!!」
――…、
「………」
眠っている、ようだ。
確かに傍から見ればこの状態で3日以上経過しているという事実がなければ、普通に眠っていると判断してもおかしくはない。
枕元の棚には水差しが置かれていた。
「……嫌になるな、まったく…」
人一人が死んだ。
歳をとりもう死期が見えていた祖母の死とは違う。
少ないながらも言葉を交わし、昨日まで同じ空間で過ごし笑っていた。
今このときに君が死んでいることなど露とも感じ無かった相手の"死"だった。
珍しい経験が出来たな。
目の前にしたときはショックだったが、時間が経つとそんな風に受け止める自分がいるのをマコトは感じていた。
冷たいと。冷酷だと。人の血が流れていないのかと、そう言われても仕方のないような気持ちだ。
だからこの気持ちを誰にも言おうとは思わない。でも只の顔見知りのクラスメイトの死をいつまでも悼んでいるのも、あまりに感情が豊か過ぎるのではとマコトは考える。
今思うのは原因不明の死という事実だ。どうして神楽坂は死んだのか、それが気になる。
明日は自分がそうなるかもしれないと思うと、背筋が寒くなる。皆は感じていないのだろうか。
それとも"皆で助け合おうだ"なんていうマコトからすれば薄ら寒い言葉に浮かれて考えが及んでいないのか、考えないようにしているのか。
疎外感とは言わない、ただあの輪の中に入っているように振る舞うのが酷く億劫だ。
「…お前なら僕と同じに考えるよな、クニヒロ…」
マコトは未だ起きることはないクニヒロにそう呟き、そのまま部屋を後にした。
それから数刻。同部屋。
クニヒロは目を覚まし、二人は欠けたもののクラスメイトは集まった。