ベル
――…、
空白の後にマコトは目を覚ました。
夢を見ることもなく起きたときに、漠然とした時間の経過だけを覚えることはないだろうか。
マコトもそれと同様に長い時間を過ごした感覚のみを感じながらいつもと同じように体を起こした。
「?」
違和感。
体の感覚が徐々に眠りから覚めるのを感じながらマコトはいつも違う感覚に首を傾げた。
ハッキリした頭で見れば答えは簡単で、寝具が違う。
マコトはいつもは地べたに布団だが何故か今日は病院のベッドのようなもので寝ていたらしい。
マコトの部屋でないことに気づくとすぐさま周囲を確認した。
見知らぬ部屋、見知らぬ調度品、見知らぬ花、見知らぬ窓、見知らぬ天井。
此処はマコトの知らない部屋だった。
何故此処でマコトは寝ていたのか。
寝る直前の記憶を思いだそうとする。
「…確か夏休みの登校日で、HRをやってたよな? それでその後レクレーション…?」
レクレーション、やったんだっけ?
どうやら結構長い間眠ってしまっていたのだろうか。どうにも記憶が曖昧だ。
此処が何処なのかは分からないが無人ということではないだろう。
そこで会った人に聞けばいいかと、マコトは起き上がり白いタイルの床に足をつけた。
ひんやりする。
自分は素足だったらしい。でも夏のせいか少し日が差し込み微かに暑い今だと、それが少し気持ちいい。
素足の他自分の体を確認すると、上から下まで一枚の布の服を着ていた。病院の患者着みたいだ。
自分の服ではないし、着た覚えもない。
どうやら誰かに着せて貰ったらしい。
……うん、知らないパンツだ。
マコトはとりあえず素足のまま部屋の外に出ることにした。
薄々この場所は病院か何かだろうとは思ったので、別に恥ずかしくはない。
恥ずかしくないし!
――…、
部屋の外は吹き抜けの通路のようだった。
通路は石畳みで作られており緩くカーブを描き先に繋がっている。
どうやら中央の広場を中心に円形でそうように作られているらしい。
中央の広場には木々が植えられ上から差し込む太陽の光が綺麗な景色を生んでいた。
広場から人の気配を感じる。
広場には芝生が植えられ素足でも痛みはなさそうだ。
マコトは人の気配がする方へ歩き出した。
広場は軽い自然公園程度の大きさはありそうだ。人為的に作られたであろう道を歩いて行くと開けた場所に出た。
「マコト!」
中は大きな公園のようで数人程度の子供でグループを作り転々と散らばっていた。
足を踏み入れたとき全員からの視線を感じたと思ったら、その中から僕の名前を呼びかけてくる姿があった。
「コーイチ…か」
「俺が俺以外の誰だって話だよ!」
コーイチは満面の笑みで俺の前に立った。
俺も思わず口元が緩みそうになったが、察せられるのは癪なのでニヒルに笑う。
どうやら思っていたより自分はこの状況に不安を覚えていたらしい。
それは目を覚ましたらいきなり一人で知らない場所にほっとかれたんだから不安なのはしょうがないだろうが。
見知った顔に会えて、僕は思っていたより安心を覚えていた。
「にしても…良かった。ちゃんと目を覚ましたみたいで」
「ちゃんと目を覚ますって…。僕はそんないつも寝惚けて学校に行ってねーゾ」
たまにはあるけど。
「いや、そういう意味じゃなくて……まぁ、良かった…」
いつもの軽いノリと違う、歯切れの悪いコーイチの言葉に違和感を覚える。
何処かアイツらしくない重々しい雰囲気に、さっき小さくなった不安が少し大きくなったのをマコトは感じた。
マコトはコーイチから目を離し公園内に疎らに散る人を見渡す。
やっぱりだ…、
「なぁ、なんで"僕たち"は揃いも揃ってこんなとこに来てるんだ? 林間学校の予定とかあったっけ?」
「まぁサプライズの林間学校とかだったら楽しいだろうな…」
「えー、僕は困るんだが。ゲームとか持ってきてないし、着替えも…そうそう着替えといえば、目を覚ましたら僕のパンツがチェンジされていたんだが、これいかに?」
「安心しろ、それは俺もだ」
僕たちは無言で握手を交わした。
「…それで、真面目な話。此処は何処なんだ? 見たところ病院とかどこかの施設っぽいけど?」
「あー…それなら、此処は教会の併設施設だ。なんでも有事のために大人数寝泊りする場所なんだと」
有事、ね。地震とか災害があったときの避難場所に使われるのか。
それにしては意匠を凝らした石造りなど、避難場所の無骨なイメージより介護施設とかそっちの方がしっくりきそうだが。
それに自分の住んでいる街に教会なんてあっただろうか。そんな疑問も浮かんだが、普段から使用するような施設でもないし案外近所にあったりしたのかもしれない。
そうマコトは考え、それよりも重要なことをコーイチに聞いた。
「そんで話は戻るけど。なんで僕たちはその教会に皆で来てるんだ。クラスの奴らもいるみたいだし…みんないるのか?」
「…あぁ、それな。みんな一応いるぜ。タマちゃんもいる」
「タマ先生も引率で来てるのか、にしては姿見ないけど」
いつもこういう時にはクラスの中心であたふたしているものだが、この公園にはいない。
「タマちゃんは…まだ、寝てるな…」
「タマ先生は寝坊してきたのに、まだ寝てるのか。成長期か、喜ばしい」
タマ先生はもう少し身長伸びた方がお相手も見つかるかもしれないし。
「なぁ、コーイチ」
「なんだマコト」
いつものコーイチだ。声変わりして低めの落ち着いた声はどこかリーダー然とした逞しさを感じる。
顔は少し彫りが深めで実年齢より大人びて見えるし、まぁある意味ではイケメンといってもいいだろう。
性格も僕の親友を長年続けられていることを証明している通り、大らかであり頼りになるその性格からか女子からも人気が高い。
いや割と本気で死ねばいいと思っている、それだけマコトはコーイチのことを知っているという訳だが。
「なにを隠してるんだ?」
「んー…バレたか」
苦笑いを浮かべるコーイチだが、そもそもあんなわざとらしく誤魔化していて気づかないはずがない。
…いや誤魔化しているというより、コーイチ自身その事実を受け止めて切れていなかったのか。
「なぁマコト。俺が次言う事は冗談でも嘘でもない」
自分が信じ切れていないことを他人に信じろというのは難しい。
だからコーイチ自身こんな遠回りをして打ち明けたのだろう。
「"此処は俺たちが住んでいる世界じゃない"」
――…、
「コーイチ!」
「ん、どうかしたかナオキ?」
「カエデが呼んでる。んなのの相手してないで、さっさと行こうぜ」
「いや、マコトには事情を説明したばかりだし。ベルさんにも顔合わせした方がいい」
「んなの一人で行かせりゃいーだろうが。コイツだって子供じゃねぇだろ」
コーイチの衝撃発言(笑)のあと、色々と追及しようと思ったがどうやらそれは後回しになりそうだ。
ナオキ。クラスのスポーツ集団の一人だ。中学校では勉学より身体能力が重視される。数学で微分が出来るより野球でホームラン打てるほうがクラス内評価が高いという訳だ。
ちなみにクラス内評価とはクラス内のヒエラルキーを示す数値であり、女子は変動が激しいが男子がクラス決定時にほぼ決定する。
クラス内のグループのメンバー構成は様々な要因が存在するが、最もポピュラーなものは部活仲間であろうか。部活内でもヒエラルキーは存在するが、クラス内あぶれ者グループに所属する自分にはあまり関係がないのでここは割愛しよう。
要はナオキが部活動の花形的存在である野球部のエースであり必然的にクラス内ヒエラルキーではコーイチと並び立つ上に存在するということだ。
そんな上位二人の間に馬鹿みたいに僕が立っているのは心臓に悪いことでしかなく、一も二も無く撤退することをマコトは決定した。
「コーイチ、話はあとでいいよ」
「いやマコト、お前は事の重大性が分かってない」
そうして戦場の一時離脱を図ろうとマコトはしたが、コーイチが去ろうとする腕を取った。
正直マコトとしては勘弁して欲しいというのが実情だった。なぜなら、
「おいコーイチよ。お前こそ今どんな事態か分かってんのか!? こっちはそんな奴に構ってる暇はねぇんだよ!」
「マコトは俺の友達だ! 確かにカエデも大切だけど、カエデにはお前がいるだろうが!」
「ッチ! あのなぁ、お前がそんなんだからカエデは――!」
おいおい本気で勘弁してくれ。なんでいつの間にかにお二人でヒートアップしてるんだ。
そしてどうして蚊帳の外の僕がこの場にいなければならないんだ。
以前としてコーイチに腕を掴まれているので逃げるに逃げれないマコトは困惑しながら突っ立っているしかない。
そしてようやく今この場を占める空気が、いつもの日常ではないと確信していた。
公園に入ったときからなんだかいつもと違う空気や、コーイチのおかしな態度で疑念を持っていたが。
決定的なのはナオキとコーイチの諍いだ。
ナオキとコーイチはようはクラスを引っ張るツートップ的な立ち位置だ。だから二人でなにがしかのイベントをこなすことも多かったし、二人の仲も悪くなかった。
それはクラスのトップである二人が不和ではクラス内の空気も悪くなるという打算的友好であったかもしれないが、少なくともコーイチの口からナオキに対する暴言を聞いたことはなかったし。傍から見れば中の良い良好な関係だったとマコトは考える。
そんな二人の本気の口喧嘩なんて初めてのことだったし、公園にいるクラスメイトは全員二人のことを注視しているようだった。
そんな状況でまるで立会人のように二人のことを間近で見るようだったからか、マコトは直前になるまで全く気付くことは出来なかった。
自分の背後に立ち、二人の間に割って入る存在に――
「どうしたのですか。コーイチさん、ナオキさん?」
マコトは自分のことながらにおかしく思ったが。
僕がこの世界に来て初めて自分の世界とこの世界が違う存在であると思ったのは、"彼女"の存在からだった。
床にまで届きそうといった金色の長髪。日本人では決して見れないような透き通るような白磁のような肌。その瞳は翡翠色にそまり、口元の柔和な微笑みは天使のようにもマコトは思えた。
天使のように思えたのはその容姿のせいだけではない、その来ている衣服のせいもあったろう。
神に仕えるシスターは禁欲を示すように修道服を身に纏い、世俗に塗れた自分と異なる存在であることを強く象徴していた。
「綺麗だ…」
これがマコトとベルの、初めての出会いだった…――