表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/40

12.伝統の継承と二番目の事件

「このノートは郡頭家の行事について記載したものです。準備段階から開催までの話し合いや行事の日時、出席者、話の内容、決まった事柄、開催時の雰囲気などについて、かなり詳細に記載してあります。父の英一が若い頃から伝統をしっかりと守っていくために始めたことなので、父が亡くなった後も私がずっと記録してきているのです」

「ほう、伝統のある家柄ではそのような目に見えない努力が必要なんですね」


 美恵子はページを捲って探していたが、ノートを見開きにして洋介に示しながら説明した。

「郡頭本家としては、各種の行事を毎年執り行っていかなければなりません」

「どんな行事が行われるのですか?」

「例えば、祖父総一郎や祖母トキ、父英一の法事の準備、本番、後始末などがあります。また、恒例となっているお正月の賀詞がし交換会、春の花見、秋の梨狩り、キノコ狩りといったことも本家が主催する形で行ってきているのです」

「賀詞交換会ですか……。会社みたいですね」

「大袈裟だとおっしゃりたいのですね。でも、近隣の議員の方々や昔からお付き合いのある会社の社長さん方も来られますので、一応そのように呼ばせていただいているのです」

「そうなんですか。随分規模の大きなものなんですね。そうなると本家の方々の負担はかなりのものがありますね」


「そうなのです。父英一が亡くなる数年前に、母の正子は足を骨折してほとんど寝たきりの状態になってしまいましたので、父の死後、本家の行事は私の夫の秀三が当主として対応しようとしておりました。しかし、夫は婿に来てくれた人でして、各種行事を取り仕切ることに対して自信がないと言っておりました。

 長女の直子叔母様のお婿様である俊一叔父様もお体の調子があまり良くなかったため、次女順子叔母様のお婿様である吉見博三郎叔父様にお願いして取り仕切っていただいて何とかやってきたのです。博三郎叔父様も一所懸命になって動いてくださっておりました。


 ところが、先ほどお話しましたように、頼りにしていた博三郎叔父様も二〇〇八年に亡くなられてしまいました。父の弟で次男の昭二叔父様はいつも体調が優れませんでしたので、仕方なく私と夫の秀三とで二年近く仕切ってみたのですが、やはり夫には少し無理だったようでした。そこで、三女の邦子叔母様のお婿様である相沢哲也叔父様に取り仕切り役をお願いすることにしようということになったのです」

「ちょっと待ってください。人間関係が複雑になってきましたので、少し整理させてください。要するに、次女のお婿さんである吉見博三郎さんが亡くなってしまわれたので、郡頭本家の各種行事の取り仕切り役を三女のお婿さんである相沢哲也さんにお願いしようとされた、という訳ですね」

「はい、そうです。あれは二〇一〇年九月十二日の日曜日でした。関係する人たちにこの本家に来ていただき、新たな取り仕切り役を承認していただいたのです」

 美恵子はノートの中の目的の箇所を指で洋介に示しながらそう言った。


「どなたが出席されたのですか?」

「出席していたのは、私と夫の秀三、直子叔母様の息子の吉見壮一さん、昭二叔父様の息子の正明さん、三女の邦子叔母様とお婿様の相沢哲也叔父様、四女の弘子叔母様、三男の勇三叔父様と奥様の米子叔母様でした。

 あっ、そうそう。勇三叔父様の息子の勇之助さんも一緒に来たからと言って隣の部屋で話し合いの様子を見守っていてくれました。勇之助さんは時間がある時はよくこの家に来ていますので、特別なことではありませんが。

 それから、この時は弘子叔母様のお婿様であり先日お亡くなりになった矢祭隆叔父様は所要があるとのことで参加されませんでした。また、長女の直子叔母様と娘のみどりさんはご都合があって出席されませんでした」


「そうすると、九名の方々がここに集って、今後本家で行う行事は相沢哲也さんに取り仕切ってもらうことを決定された訳ですね?」

「そういうことになります」

「あっ、それから執事の雨引さんはこの家にはおられなかったのですか?」

「さあ、どうでしたでしょうか……。雨引は出しゃばってあのような場に顔を出すような人ではありませんから、相談の場には出ておりませんでしたが、本家のどこかで待機してくれていたのではないかと思います」

「そうですか……。それで、相沢哲也さんはどんなふうにしてスズメバチに刺されたんですか?」


 美恵子は当日の光景が脳裏に深く刻まれていたのか、目を閉じるとその日の出来事が順を追って浮かんでくるような状況で、まるで何かに取り付かれたように話を進めていった。



 二番目の事件があったのは二〇一〇年九月十二日、天気のはっきりとしない日曜日であった。九名の関係者が本家に集まって話し合いが持たれた。長男英一の妻正子は本家の最年長者であったが、ほとんど寝たきりの状態であったため奥の部屋で床に入っていた。また、美恵子の婿の秀三は気が弱く、一世代上の叔父や叔母たちに対してきっちりと話ができるタイプではなかったため、美恵子がその役割を担当していた。


「皆様、本日はお忙しい所お集まりいただきまして有難うございます。この郡頭家では一年を通じて各種の行事がございます。これはずっと昔からこの郡頭家に代々伝わってきた大切なものであることは皆様よくご存知のことと思います。この行事を取り仕切る重要な役割を、父英一の亡き後は吉見博三郎叔父様にお願いし、立派にやってこられておりました。しかし、その博三郎叔父様は一昨年お亡くなりになってしまい、その後私どもで取り仕切ろうと努力して参りましたが、やはりこういう重要な役は経験を重ねてこられた年長の方に行なっていただくのが筋ではないかと思いまして、本日皆様にお集まりいただいた次第であります」

 相当仰々しい美恵子の挨拶であったが、郡頭家において相談事がある場合はいつもこのように運んできたので誰も文句の一つも言わず、押し黙って聞いていた。


「来週の日曜日の敬老の日の前日には恒例の梨狩りが予定されております。本日は郡頭家の行事を取り仕切っていただく役を皆様のご同意を得まして決めたいと思っております。

 いきなりこの場で選んでくださいと申しましても、そう簡単にはいかないことだと思いまして、私たちが最も相応しいと思っております相沢哲也叔父様に予めご都合をお訊きしております。哲也叔父様も皆様のご了承が得られるのであれば引き受けていただけるとのことでございます。


 では、年配者の方から順に皆様のご意見を伺っていきたいと思います。先ず、長女直子叔母様ということになりますが、ご欠席ということで、順子叔母様からということになります。代理として長男の壮一さん、お願い致します」

「私からですか……。父博三郎が亡くなり、昭二叔父さんも体調が優れないようですので、哲也叔父さんが最適者だと私も思います。もちろん、哲也叔父さんのお気持ち次第だとは思いますが」

「有難うございます。賛成ということですね。それでは、次に昭二叔父様の代理として長男の正明さん、お願いします」

「歳の順で言えば、本来は私の父昭二がこの役に就くことが望ましいのでしょうが、皆様ご存知のような状態ですので、大変申し訳ありませんが哲也叔父様にやっていただければと思います」

「はい、有難うございました。次は、弘子叔母様」

「はい、是非お願い致します」

「勇三叔父様は?」

「私も相沢哲也さんが最適だと思います」

「有難うございました。もちろん私たち夫婦も哲也叔父様が最も相応しいと考えておりますので、全員一致で賛成ということになりました。それでは哲也叔父様、一言ご挨拶をお願い致します」


 予め美恵子から取り仕切り役を打診されていたことからか、黒っぽい夏用のスーツを着込んでいた哲也はいつになく緊張した表情で話し始めた。

「えー、本来は郡頭家の本家の方、あるいは分家の方がこの役をされるのが筋かと思いますが、本家と皆様のご意思で、私に引き受けろということになりましたので謹んでお受けしたいと思います。ただ、郡頭家に関わる皆様全員のご協力がなければ、私には荷が重い役でありますので、どうかご協力くださるようよろしくお願い致します」

「哲也叔父様、どうも有難うございました。また、皆様も哲也叔父様にご協力くださるようお願い申し上げます。それでは哲也叔父様、どうかよろしくお願い致します」

 美恵子がそう言って拍手すると他の出席者も同調し、哲也は頭を深々と下げた。


「早速、今年の梨狩りの相談ですが、哲也叔父様、どう致しましょうか?」

「梨狩りは毎年敬老の日の前後に行ってきていることだし、例年通りに本家の庭で行うということでいいのではないかね」

「分かりました。それでは来週の日曜日、九月十九日午前十一時開始ということに致しましょう。また、女性陣は午前九時に集合してお料理の準備に取り掛かりたいと思いますので、他の方々にも声を掛けておいてください」

 重苦しい雰囲気の話し合いが終ると皆の表情は緩み、いつもの口調での会話が始まった。


 しばらくして、一度席を離れた美恵子が奥の部屋から一冊のノートを持って出てきた。

「哲也叔父様、このノートを見ておいてくださいますか。これは、父英一が若い頃から伝統をしっかりと守っていくために書き始めたノートで、父が亡くなった後も私がずっと記載してきているものです。郡頭家で代々行われてきた法事や、正月と春秋の行事について記載してあります。参考にしていただければと思いますので」

 ノートを渡された哲也はパラパラとページを捲り、頷きながら、

「うん、これはいい。大変参考になります。美恵子さん、有難う」

 と礼を言った。


「いいえ、お役に立てば嬉しいですわ。ところで、哲也叔父様、来週の梨狩りのこともありますし、一度この家の裏手の物置にしまってある各種の行事に使う道具を点検していただけないでしょうか?」

「そうだね、そうしておいた方が良さそうだね。正明君、一緒に行ってくれないか?」

「はい、いいですよ。それじゃ、直ぐに行ってみましょう」

 正装に近い哲也と白い半そでのスポーツシャツにベージュ色のズボンを穿いた正明は美恵子から物置の鍵を受け取ると揃って本家の裏手に回っていった。

「哲也叔父さんはここの物置の中を見たことがあるんですか?」

「正直言うとね、まだ一度も見たことがないんだよ。だから、今日はしっかりと確認しておかないといけないな、と思っているんだ。正明君はどうなんだい?」

「もちろん、僕も見たことはありませんよ。もっぱら食べるほう専門でしたからね。あはははは」


「おっ、ここだ、ここだ」

 正明が鍵で錠を開け、二人は中に入っていった。

「随分と広い物置だな。個人の家のものとは思えないよ。まるで会社の物置みたいだ」

「本当ですね」

 二人は想像していたよりも随分と広い物置の中を端から見て回り始めた。

「あっ、あそこのコーナーが郡頭家の行事用の物が置いてある所のようですね。表示がありますから」

「なるほど、沢山あるなー。おお、ここは梨狩り用の物品が置いてあるぞ。正明君、この場所を覚えておいてくれないか。当日、あなたに運んでもらうようになると思うから」

「分かりました。来週はしっかりとお手伝いしますよ。本来は父がやらなければいけなかったんですから」

「よろしくお願いします」


 圧倒されたような表情で倉庫の中の全部の通路を歩いた後、哲也が言った。

「さあ、これだけ確認すれば十分だろう。そろそろ戻ろうか」

「そうですね。だいたいのことは分かりましたからね」

 そう言うと、正明は先に物置の戸を開けて外に出た。

「うわー、大変だ。スズメバチの大群だ!」

 正明はそう叫んで母屋の表側にある玄関の方に全速力で逃げ出した。続いて哲也が外に出ようとした時、正明の悲鳴を聞いたが直ぐには状況が把握できなかった。

「どうした、正明君!」

 そう言って外に出た瞬間、体中をオレンジ色の動き回る物体に包まれた。頭、首、顔、手、耳など衣服で覆っていなかった部分を次から次に刺されてしまった。正明の後を追って玄関の方向に走り出したが、ほとんどのハチは白っぽい衣服の正明ではなく、黒い服装の哲也を狙って纏わり付いた。


 哲也はあまりの痛さにその場にうずくまりそうになったが、必死の形相で地面を這うようにして何とか母屋の玄関まで辿り着くと入り口で倒れこんだ。先に逃げ込んでいた正明が哲也の手を掴んで玄関の中に引っ張り込むと、玄関の引き戸を慌てて閉めた。

 何匹かのスズメバチも玄関の中に入ってきたが、騒ぎを聞いて駆け付けた吉見壮一が殺虫剤を噴霧して撃退した。倒れていた哲也を玄関の板の間に引き上げると、壮一はスズメバチの毒針を爪で弾き飛ばし、毒液を指で絞り出すと、自分のバッグからアドレナリン携帯自己注射キットとステロイド系抗ヒスタミン軟膏のチューブとを取り出し、非常に覚束ない動作で必死に処置した。壮一にとっては初めての経験だったので無理はなかった。

 哲也が一段落付くと、次は正明にも同様の処置を行ったが、刺された箇所が圧倒的に少なかったため、毒液の絞り出しと抗ヒスタミン軟膏を塗るだけにしておき、アドレナリン注射はしばらく様子を見てからにすることにした。

 壮一たちには非常に長い時間に感じられたが、そのまま刺された所を冷やし続けていると、ようやく救急車が到着した。念のため正明も哲也と一緒に救急車に乗って救急指定病院に運ばれた。正明ばかりでなく哲也も医師たちの懸命の努力で何とか命を取り留めることができた。

 その後、哲也も普通の暮らしができるまでに回復したが、極端なハチ恐怖症になってしまい、婿殿会はもちろんのこと、余程必要に迫られないかぎり外出さえ控えるようになった。特にハチが飛び回る夏から秋にかけては郡頭家の重要な行事さえ欠席するようになった。



 ここまで話したところで、美恵子は大きな息を吐いた。長い想い出を話したことで、美恵子には明らかに疲れの表情が見られた。間を取るために洋介はお茶を一口すすった。すると、美恵子もそれに釣られたのか自分でも喉を潤した。

「お疲れのところ恐縮ですが、話を先に進めさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「はい、そう致しましょうね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ