ダークエルフとかき揚げ丼 ②
「それではごゆっくり」
と言いながら微笑みつつ金髪の女性は奥の部屋へ戻っていく。
奥での喧しさは相変わらずだが、そんなことはどうでもよかった。
すでにシェルネアの目と耳は目の前の器に集中している。
小気味良いカラカラとした音が実に心を震わせる。
黄金色に輝く塊をよく見てみると、透明な三日月状の何かや棒状の赤いものが入っているのがよく分かる。
つまり、これは野菜を細かくして固めたものなのだろう。
そこまではわかる。
問題はその先である。
――考えるだけ無駄か。
と言うよりは、我慢できないだけだ。
よく見ると、奇妙な細長い木の棒が二つ置かれている。これで食べろということか。
恐る恐る持ってみたのだが、使い方がわからない。これでは食べることすら出来ない。
給仕か店主を呼ぼうかと思うが焦る気持ちを抑え冷静になったところであたりを見回してみると、二つの棒の近くにナイフと金属で出来た匙があった。器の影で見えなかったようだ。
これなら使い方はわかる。とシェルネアは安心し次の行動に移る。
まずは、ナイフで塊を軽く刺してみる。
サクッという音とともに塊の端が崩れ、中身が露出する。
ふわっと、白い湯気がその中身から漏れ始めてくる。そこから漂うは間違いなく野菜の香りだ。
崩れた小さな塊を匙に掬い、一口。
先ほどのサクッっという音が口の中で響く。
甘い……。野菜の甘味が絶妙になった状態で伝わってくる。火を通せば野菜は甘みを出すことは知っているが、炒めればぱさつくし、スープに入れればふやける。
そんな当たり前だった認識を、このカキアゲドンとやらは簡単に粉砕していく。
そしてこの甘味は、野菜だけではないことに気づく。
中から、甘い液体が流れてくるのだ。ただ単に甘い液体ではなく、それだけでもスープとしていけそうなほどの美味さ。
よくよく見ると、大きな塊の断面の方からやや茶色がかった液体が下へとこぼれていっている。
――勿体無い。
これほど美味しいスープがこぼれていくのだ。
少しでもこぼしてはいけない。
そんな決意のもと、どんどん匙を進めていく。ナイフなどいらない。匙で端を崩していけばそれだけで容易に一口大のサイズになっていくのだ。
そんなことを繰り返していると、下に何かが入っていることに気がつく。
白い楕円状の小さな塊。一瞬麦を小さくまとめたものかもしくは、蟲の卵かと思ったが、ここの料理がそんなことをするわけがないと思い、匙で掬い上げる。
元は白だったのだろう。だが今は茶色の液体によって不思議な色に染まった粒上の何か。
その独特の色合いは一種の宝石を思わせる。
そう、あの美味しいスープはすべてこの宝石たちが吸い取ったのだ。
その宝石たちを魅入られつつも口の中で入れる。
野菜とも卵とも違う一瞬の弾力を歯に送り返したかと思えば、ささやかな甘みとスープの甘みが混ざってさらなる甘みを生み出している。
この白いものだけでは足りないものをスープが引き受け、そして黄金色の塊だけでは自分にとっては少し重かったものが、楕円状の宝石によって絶妙なバランスで整われていく。
そう、カキアゲドンとは、上の部分と下の部分が一緒になって初めて完成するのだ。
そのことに気づいた口の中で無数の甘みが溢れ、喉にそれが流れていく。その瞬間があまりにもったいない。
だが、自分の腕と口がもう自制するという事を忘れてしまっているかのように止まらない。
たまに聞こえるザクッという音に聴き惚れたり、口直しに飲む水を飲む瞬間以外は、常に匙を持って動かし続けていた。
最後は、器を持ち上げ口の中にかきこんでいた。
それ程に夢中だったのだ。
オーガ共はまだ食っていた。
どこにそんな胃があるのかと思うが、自分でももうひとつ食べたくなるほどの魅力がこのカキアゲドンには詰まっている。
あいつらが食べているハンバーグとやらもそういう感じなのだろう。
だが、ここまでだろう。
もしもう一杯このカキアゲドンを食べたとしても、お腹がが一杯であるこの状態では食べることはできるだろうが、きっとさっきほどの嬉しさはない。
そう、もう一度味わうなら次は7日後だ。
そして必ず7日後にここに来ると決意した。たとえ何が起きたとしてもだ。
「ふぅ、堪能したな。」
店を出たシェルネアは思わず独り言が出てしまう。
グルダスとの賭けは私の負けだ。これで負けを認めないなど、とてもじゃないが考えられない。
だが、不思議と負けた悔しさなどは生まれてこない。そんなことはここの料理の美味しさと比較すればどうでもいいことだった。
「しかし……あの女性、やはりどこかで」
カキアゲドンの美味しさで失念していたが、あの給仕の顔は見たことがある。
そして、店の前で悩み続けていたシェルネアはついに思い出す。
「そうか!彼女は……!!」
(あっ、そこまでにしていただけますか?)
ようやく、彼女の正体を思い出した瞬間に聞こえてきた声に驚き、腰に携えていた直剣を抜き周囲を警戒するシェルネア。
だが、周囲には獣一匹の気配すらない。
(驚かせて申し訳ありません。はい、私の正体はあなたが思っているとおりですよー)
頭のなかで聞こえているのか……。
シェルネアは剣をしまう。
自分が思っている存在ならば自分が勝てる要素など皆無なのだから。
「――ひとつ聞かせて欲しい。なぜあなたのようなお方が、給仕などということをしておられるのですか?あと、なぜこのような場所で店を開いておられるのですか?」
敬語と素の言葉が織り混じって、不思議な言葉使いになってしまったが仕方ないことだ。
――まさか、緑の豊穣神様があのような店で給仕をしているなど気がつけるわけがない。
(あー。それはですねぇー)
間の伸びたような神様の声がシェルネアの緊張をわずかながらに解いていく。
(これもひとつの神の啓示なのですよ)
――啓示?
神官共が受ける神からの言葉を指す言葉だが、この場合相応しくない。
(まぁ、いいでしょう。私の正体に気がついてしまったあなたにはお聞きしたいことがあるのです。色々と)
「私は、神にお教えできるような存在ではありませんが……」
シェルネアは一瞬自分の命の心配をする。
この世界の5人の神の内でも特に穏健で慈悲深いとされている豊穣神としても、自分が実に美味な料理を出すとはいえちっぽけな店の給仕として店主に仕えるようなことをしているなどとこの世界で知られれば、彼女の威厳などを信仰する緑の神官たちはショックで寝込むか、最悪死を選ぶものすら居るかもしれない。などと思っているとすれば、自分は口封じされる可能性も否定出来ない。
(そんなに怯えなくてもいいじゃないですか~。大丈夫ですよ。大事なお客様をどうこうするつもりはありませんから。――と言っても今すぐは難しいので、夜にあなたの家に向かわせてもらいますね)
シェルネアとしてもまるで友人に世間話をするようなぐらいに軽い彼女のその言葉をどこまで信じていいのかは分からないが、信じるしかなかった。
緑の豊穣神の信者ではなかったことを今は少し後悔する。
だが今はそれどころではなかった。
「家に来られるだと……。急がねば」
シェルネアは魔力を全開にして、全速力で山を下る。
神を迎える準備をしなければならない。
と言っても部下たちに「神がやってくる」などというわけにはいかず、どう指示すればいいのかすら思いつかないシェルネアは頭を抱えつつ準備の段取りを必死に考えようとしていた。