オーガと??? ①
フィーナさんと契約した次の日曜日。
普段であれば休みであり、親父のノートとにらめっこをしつつ料理の研究をしているころであったが、今日はそういうわけにはいかなかった。
異世界【レクシール】の住人を相手に料理を振る舞うという新しい商売。
相手の好みや文化すらもわからないのは不安ではあったが、一方で楽しみにしている自分がいる。
店が開く予定の時間より3時間前の午前8時。彼女は約束通りに店にやってきてくれた。
店のドアが開いた時になるベルの音を頼りに厨房から店の方に出るとフィーナさんは小さなブランド物の鞄を持ってきていた。この前は持ってきていなかったものだ。
「ずいぶん早いんですね」
「えぇ。仕込みは大事ですからね」
と言っても今回はあまり量を用意はしていない。
大量に作らないと店の味になりにくいシチューやスープは仕方ないのだが、他の食材に関してはおおよそ10人前ほど。これは彼女の提案だ。
というのも、神の力で向こうの世界とつなげるにしても街の中などに境界を作る訳にはいかないとのことだった。
そのため、山の中のような若干辺鄙なところにこの店に入るための入り口を作るのだが、それでは客が来る可能性が大きく減ってしまう。故に数回は客が0という可能性もあるとのことだった。
とはいえ、客を相手にする以上一切の手を抜く気はない。むしろ今まで以上に念入りにする必要があると思っていたのである。
「――では、これをお渡ししておきます」
「これは?」
彼女が手渡したのは、小さなお守り。四角い巾着袋には不思議な文字が書かれており翔太には読めなかった。
「私の加護を入れたお守りです。それはこの店の何処かに置いておいてください。それによりこの店は私の加護の元に入ります」
神様から直接お守りを受け取るというのも不思議な感覚である。
翔太は受け取ると、店の端にある神棚にそのお守りを置いた。二つの世界の神様に守られていると思えるとなにか自信も湧いてくるような気がした。
「あと、そのお守りには、私の世界での言葉を『日本語』に変換すると同時に翔太さんの『日本語』を私の世界の言葉に変換する力があります」
他にも色々とありますけれどね。と彼女は付け加える。
翔太としても言語の壁の問題は考えていたところであったのでありがたい話である。
一方で、すでに書かれている文字に関しては変換することが出来ないので、日本語で書かれたうちのメニュー表は向こうの世界の人には理解できないらしい。
試しにと、フィーナさんが書いた向こうの世界の文字はこちらの世界で言うとアルファベットに近いような形式であるのだが細かいところが異なっているらしく、覚えるのにも苦労しそうだった。
とりあえずのところは口頭でメニューに対して対応するしかない。こちらでの料理はほぼ全て向こうでは無い料理なのだ。とすればメニューを見ても向こうの客はピンと来ない可能性も高い。
いずれは向こうの文字で料理の説明を加えたメニュー表を作る必要性はあるだろうが。
と、ここまで説明してくれたところで、彼女は袖をめくり翔太にこう問いかけた。
「ウェイトレス用の服はどちらにありますか?」
「ウェイトレス?――まさか、フィーナさん?」
「一度着てみたかったんですよね」
満面の笑みでフィーナは答えるが、神様がウェイトレスとして働くなど想像もしていなかった翔太は慌てふためく。
幸い、過去にバイトで雇っていた娘のお古ではあったが、それがあったので彼女に着てもらうことになった。
次回の時は、新品を用意しますので許して下さい!と土下座しようとしたのだが、彼女は私がやりたいと思ってやることですからと気にしていない様子であった。
神様に仕立て直したとはいえお古を着せて働かせるなど罰当たりにも程がある。
翔太は二つの世界の神様にどうか許してくださいと願うしかなかった。
赤いエプロンに黒のベストとスカート。一部分だけ見えるようになっている下着用の白のブラウス。
この服は俺がこの店を引き継ぐ際に、倉庫に仕舞いこんでいたのを新しく仕立て直してもらったものである。
夢味亭は基本的には親父一人で切り盛りしていたが、一時期俺が手伝っていた時のように臨時で女の子のバイトを雇っていたことがあった。その時のものである。
制服を受け取った彼女は「では着てきますね」といって厨房の奥にある休憩室兼更衣室となっている部屋へと姿を消した。
翔太は、ふぅと一息をつくと、残りの仕込みを再開するのであった。
しばらくして出てきたフィーナさんの姿は、うちの制服が気に入ったらしくくるくると回りながら喜んでいた。
この前や今日来てきていた服は明らかに高級そうなブランド物のように見えたので、それなりにいい生地を使っているとはいえ見劣りしているはずのだが、彼女が喜んでくれることは嬉しかった。
「ところで……フィーナさんは給仕としての経験などは……」
「あっ……ごめんなさい。ない……ですね」
というと彼女は落ち込んだかのように下を向く。
「い、いえ。大丈夫です!簡単に教えさせてもらいますので、よろしくお願い致します」
慌てて頭を下げた翔太を見て彼女は笑う。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
給仕としての簡単な動きなどを教えつつ、翔太は【レクシール】についての知識などを聞いていた。
エルフやドワーフなどまさにファンタジーの世界にしか存在しない人間たちのことや、魔物と呼ばれる存在の話。ただ、神様の視点では、大雑把な世界の概要は知ってはいるものの細かい国の状態などまではわからないところだった。
聞けば聞くほど、不思議な感情が体に流れてくる。
どこかの本で、異世界の住人を相手に料理店を営む話を読んだ気もするが、自分はまだそんな領域には到達していない。常に試行錯誤で行くしかない。
でも、自分には、自分を信用してくれた女神様がついているのだ。
そして、店の時計が昼の12時を回って13時になりかけようとしていた時、チリンチリンとベルが鳴る。
「「いらっしゃいませ!」」
翔太とフィーナは揃って【レクシール】からの初めてのお客さんを出迎えた。
その存在は、翔太を唖然とさせるものであった。
「……お、鬼だ」
小声で絞り出すように翔太はその姿を見て最初に思い浮かんだ存在の名を呼ぶ。
身長は2mをゆうに超える筋肉質な肉体。やや濁った緑色に染まった肌。
口からはみ出ている巨大な二つの牙。そして特徴的な頭部の二本の角。
【レクシール】においてオーガと呼ばれる存在。
それが夢味亭最初のお客様だった。
次回更新ですが、ちょっと遅れるかもしれません。