領主と??? ②
随分遅くなりました。
――美しい。
シェルネアが彼女を見て最初に感じた印象がそれであった。
華奢に見える体、滲み一つすらない白き肌。金色の瞳。一見すれば可憐な女性でしか無い。
だが、そこから感じる膨大な魔力の量はシェルネアがかつて出会った者の中でも桁外れだ。
唯一、彼女と同等もしくはそれ以上の存在となればシェルネアが知るかぎりでは【赤の魔女】テレーゼと彼女の父である魔王本人ぐらいであろう。
女性に興味はないはずのシェルネアでさえ、その魔力から感じる強さそして容姿に惑わされるほどに彼女は魅力的であった。
続いて頭部の滑らかな緑色の髪を見てようやくシェルネアは違和感に気づく。
――おかしい。たしかこの方の髪は……。
自分が彼女の力によって魅了されていることにここで気づく。
気づいてしまえば、そこから抜け出すのは容易ではないが不可能でもない。
「一同! 領主メディス・H・ベールフェゴル様に敬礼!!」
シェルネアのおもいっきり振り絞った大声に呆然としていた他の者達も姿勢を正し、敬礼をする。
「――存外早かったですわね」
メディスは、そういうと敬礼をし続ける他の者達と同様頭を下げた。領主となるものとしては異例と言ってもいい行為だ。
「メディス・H・ベールフェゴルと申します。今回はこのような歓迎に感謝しております。不束者ではございますが、よろしくお願い致します」
頭を下げた一方で、その先の髪と思われる場所に生えた無数の緑の蛇は上下左右様々な方向へと伸びていた。
彼女はゴルゴーン。ラミアやエキドナのような蛇を司る種族の始祖とされている上位種族である。
「領主代理を務めていたシェルネアと申します。メディス様、ようこそ【グラフィリア】領へ」
ようやく、魅了の影響も和らいできたところで、シェルネアはメディスに跪く。
腰に挿していたレイピアも地面に置き、彼女に忠誠を誓う。
「あなたが! 真っ先に私の魅了から逃れたのを見てそう思っていたのですが。シェルネアさん、この長きにわたり領を収めてくださったことに感謝いたしますわ」
メディスはシェルネアを立たせ、彼女の手を握る。
硬さの欠片も感じさせない柔らかな手がシェルネアの手を包む。
彼女の笑みに、シェルネアは思わず笑みで返してしまう。
自分の苦労が報われた瞬間でもあったからだった。
だが、それが不適な行為であったことに気づき、顔を整える。
そして、シェルネアはすでに顔が崩れるどころか体まで崩れかけていた副隊長の肩と思われるところを叩く。
「何を呆けている。魅了で倒れたものたちを医務室へ連れてゆけ。気付け薬を多めにのませてやれ」
「は、はい!」
「いないとは思うが、石化し始めているものがいたらそのものを最優先だ。いいな」
副隊長は指示を聞いて後ろで倒れていたりする部下や横で立ったまま意識を失い動きが止まっている若い文官たちを連れて屋敷へと下がっていく。
館の前で立つものはシェルネアを含め数名となっていた。
――恐ろしいお方だ。
シェルネアは改めて彼女の実力、そして恐ろしさを痛感していた。
スレイブニィールの馬車だけでも、彼女の力は分かった。
だが、彼女は自らの力で、ここにいるものの中で最も強い存在であることを示したのだ。
この国において、力こそが他の者を使役するに当たり最も大事とされる。
それを彼女は馬車から降りてくる際の一瞬で示したのだ。
魅了という初手だけで、ここにいるものをほぼ蹂躙できるということを。
「メディス様、お部屋へご案内いたします」
シェルネアはメディスを元々彼女が使っていた領主の部屋へと案内しようと頭を下げつつ道を開けた。
「――待たれよ。シェルネア」
シェルネアを制止させる声が聞こえた。
その声とともに、山羊の頭を持った一人の男がメディスの前に立ち、跪く。
「領主に代わり、内政を務めておりましたレオナールと申します。新たに領主になられるメディス・H・ベールフェゴル様に心よりお祝い申し上げます」
「レオナール」
シェルネアの言葉を無視し、彼は言葉を続ける。
それは、シェルネアに対するあてつけでもあった。
本来前の領主が辞した際、レオナールが領主を引き継ぐべきであった。
同じバフォメットであり、文官たちの長であったのだから。
だが、当時の領主はなぜかシェルネアを代理とした。
彼は「レオナールとシェルネアではシェルネアのほうが強い。それは我らの掟だ。強き者が弱き者を守り、弱き者はその恩恵とともに強きものに従うと言うな」という言葉でそれを理由とした。
確かに、シェルネアとレオナールでは実力差は明らかであった。
バフォメット族の中では優れた方ではあったレオナールだが、シェルネアには及ばなかった。
それは実戦経験の差もあった。
主に内政を司ってきたレオナールと軍務を司ってきたシェルネアでは、その差は大きい。
だが、言うまでもなくレオナールとしては納得できるものではなかった。
そして、レオナールはシェルネアに戦いを挑んだ。
結果は言うまでもなくシェルネアの勝ちであった。シェルネアとしても自分の誇りにかけてわざと負けるなどという行為はできなかったのだ。
そのため、領主代理となったシェルネアとそれを補佐する形となったレオナールの二人の関係はそれ以降悪化の一途であった。
そんな関係を示すかのようにレオナールの言葉はメディスの領主就任に当たってのお祝いの言葉からこの領地の問題や私の陰口へと変わっていっていた。
――気づいていないのか……。
シェルネアだけではないだろう、残った者達はレオナール以外気がついているだろう。
メディスのその冷め切った笑顔を。
レオナールは優れた男ではあるが、自分の行為に正当性を見出すと辺りが見えなくなる悪癖があった。
メディスは、笑みを絶やさず彼の言葉を聞き続けていたが、いずれ我慢の限界を迎えそうなのは明らかであった。
とはいえ、他の者達はレオナールを止めることは出来なかった。
彼は自分たちの長であり、自分たちより強き者なのだから。
つまり止めれる存在は、メディスを除けば、シェルネアしかいなかった。
だが、このまま彼の暴走を止めなければ、ここにいる者全員が領主の感情も読めない無能者と思われても仕方ない状況であった。
「レオナール。メディス様は長旅でお疲れのはずだ。立ち話もよろしくはないだろう。その辺にしておけ」
シェルネアの意を決した言葉に、レオナールは一瞬怒りに満ちた表情を見せたが、領主の体を重んじたその言葉に異を呈することはできなかった。
「メディス様、どうぞこちらへ」
これでレオナールとしても彼女を止める理由は無くなってしまった。
レオナールとしては、シェルネアの失態を如何に伝えるかという大事な場所であったと思っているのだろう。
どちらかと言えば、レオナールが墓穴を掘ったとしか言えない状況ではあったが、誰もそのことに対して言葉を発することはなかった。
「――助かりました。シェルネア」
ぼそっとシェルネアに伝えたメディスを除けば。
「――以上になります」
「ありがとうございます」
引き継ぎもあれ以降は何事も無く無事に終わりようやくシェルネアは心のなかで安堵した。
メディスはすでに別の場所ではあるが領主としての経験もある。
ゆえに引き継ぐものとしては、独特の暗号化された符牒や領主印、この領地における慣習などの細かいところになる。
それに別にメディスに求められているのは、過去の領主の姿ではないのだ。むしろこの地をより豊かにしてくれる新たなる存在でいいのだ。
「それでは、メディス様。私はこれで失礼させていただきます」
領主代理としての任からようやく開放される……と思っていたシェルネアをメディスは呼び止める。
「シェルネアさん。少々お待ちを」
と言って彼女が取り出したのは、一枚の紙。
くすんだ茶色の紙にはなにか文字が書かれているのがかろうじて読み取れた。
「これを見てください」
メディスはその紙を机に広げシェルネアに見るように指示をする。
「なんでしょうか?これは」
そこに書かれていたのは、この領主の館では働く者達の名前の一覧であった。
「この中で、あなたと衝突した結果領地の運営に支障をきたした方。もしくは邪魔だった方。ああ、あなたが嫌いな方でも構いません。その方の名前を教えて下さい」
メディスのその言葉に思わず息を呑むシェルネア。
それが何を意味するか。嫌な予感しかしないのだ。
「……私が、何も調べずに来るとお思いでしたか?領主代理と文官達の衝突は他領でも聞けるほどの出来事でした」
顔色を損ねたシェルネアを見てメディスは擁護する。
「とはいえ、シェルネアさん。あなたを非難する気はありません。いえ、あなたにも非があるのは当然ですが、それ以前の問題があるからです」
「……私に人を売れと言うのですか?」
領主の命令は絶対である。逆らうのであればそこに居場所はないし、最悪この世界に居場所がないことになりかねない。
だが、シェルネアとしてもその命令には抵抗があった。
「そうは申しません。私はあなたを評価しています。領地の運営などを全く未経験の方がこれほどの問題を抱えながらもそれがここまで内部問題だけで抑えきれていたのですから」
メディスは笑みを浮かべ、シェルネアにこう告げた。
「私はただ、問題を明らかにしそれを是正したいだけです。おそらくですが、このまま問題を放置していれば私という存在によって見えなくなるでしょうが、いずれ別の形に噴出することになるでしょう。故に早く芽を摘んでしまいたいのです。……ですが、私は私に嘘をつかれる方をお雇いし続けるほど甘くはありません」
その笑みは、妖艶ではありながらも心から震えさせる笑みであった。
「あなたに去られるのは非常に困ることです。ですが私は本当に信頼の置ける方をそばに置きたいのです。そしてそれは本音を言ってくださる方に限ります。上辺だけを気にされるような方は必要ないのです。そしてあなたはそういう方ではないと思っています」
メディスの言葉にシェルネアは沈黙を続けていた。
だが、ついに意を決してそこに書かれている一人の名前を指さした。
自分と衝突し続け、そして運営に対して多くの問題を生み出してしまった男の名前を。
「――ありがとうございます」
礼を言うメディスの笑みは優しい物へと変わっていた。
「あの男は――性格には難がありますが、能力には問題はないと思っています。ですから何卒軽率なご判断だけはなさらないように……」
「別にシェルネアさんだけの意見で決めるつもりはありません。彼にも意見を聞き、その上で判断するつもりです」
メディスは、広げた紙を再びしまった。
そして、腕を組み話を続けようとする。
「シェルネアさん。話は変わりますが、この【グラフィリア】における最大の問題点はなんでしょう」
メディスの質問に少し悩みシェルネアはこう返した。
「やはり二都市間における輸送問題でしょう」
この【グラフィリア】の二都市間の輸送問題はずっとシェルネアを悩ましていた問題だ。
何日もかかる輸送ルート。そこに潜む盗賊たち。保護するにしても兵士の数は足りないし、そこまでの予算もない。
故に、こちらから事件が起きたところから盗賊たちを捕まえるという後手に回るしかなかった。
「良かった。私も同じ意見です」
メディスは笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「では、シェルネアさん。あなたはこの問題に対して何をしましたか? もしくは、何をしようと思っていましたか?」
「それは……」
シェルネアは再び言葉に詰まる。
そう、シェルネアはなにも出来なかった。それはまぎれもなく事実だ。
だが、シェルネアには策があった。それは『領主代理』という中途半端な地位では不可能なものだ。故にメディスに頼むしか無いことであった。
「……やろうと思っていたことならばあります」
「伺いましょう」
「魔の山に、輸送ルートを構築することです」
「それはそれは……」
メディスは笑みを浮かべたままだ。だがシェルネアにはわかる。彼女が自分の言葉を信じていないことを。
「言葉だけでしたら可能でしょう。ですがそれは実際に可能なのです?」
メディスの言葉は当然だった。
「オーガの偵察部隊によって道の候補はできつつあります。ですが、安全を考えれば途中に宿場町が必要となるでしょう」
「宿場町ですか……」
メディスは唸った。
「私が命じれば、その候補地に住まうものを強制的に選べるでしょう。ですが私の好みに沿うものではありませんね」
「ええ、無理強いは領地の民を苦しめることになるでしょう。ですがそんなことをしなくてもそこには住まうものと立ち寄るものを誘き寄せる物があります」
「誘き寄せるもの? そんなものが魔の山の中にあるのですか?」
メディスはシェルネアの次の言葉を待つ。
「はい。メディス様。そこは『夢味亭』という料理店です。世にも珍しき異世界の料理を振舞う店になります。」
シェルネアのその言葉は、自信に満ち溢れたものであった。




