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女神様と??? ②

 この街に来るのも随分久々だった。

 何かと忙しい自分にとって、こうやってよその街を訪れるということはとても大事な息抜きだ。

 他の街を知ることは自分が知らないものを知ることができるし、それを参考にすることができる。

 久方ぶりに来たこともあり街並みがずいぶんと変わってしまっていたのもあり、目的の場所に来るまでに随分と時間が経ってしまった。

 ここには私を虜にした料理がある。

 何年も前のことだが、私の舌はその味を忘れたことがない。


 随分寂れてしまってますね――。

 店の佇まいを見て最初に思った感想がそれだった。

 それも当然か。なにせ前に来たのは5年も前の話なのだ。店が古びるのは仕方のない話ではないか。だが、それとはまた異なる原因を店から感じていた。


 それよりも時間だ。

 もう時間は午後の9時間近。この店の閉店時間は9時までだったはずだから、ぎりぎりだ。

 いや、9時までと言ってもこの店の賑わいではいつももっと遅い時間まで開いていたのだが。


 ――まぁ、入ってみるしかありませんね。

 ドアを開けると、中には誰もおらず、チリンチリンとドアが開いたことを示すベルの音だけが響き渡る。


「――すみません。まだお店はやっていますか?」

 思わず誰も居ないことに驚き慌ててしまった。

 過去に訪れていた時は、もっと多くの人がいたはずだ。いや、たまにはこういう日もあるのかもしれない。


「い、いらっしゃいませ!」

 声をかけてくれたのは、白の作務衣を着た少年と言ってもいい男。

 いらっしゃいませといってくれるということは、まだお店は開いているということでいいのだろう。


「すみません、こんな時間に……」

 時間的にはギリギリセーフとはいえ、やはり閉店間際にこのような形で来るのは迷惑なところもあるでしょうから、私は謝罪する。


「い、いえ。大丈夫です。どうぞこちらへ」

 彼が案内してくれたのはカウンターの席。まぁテーブル席でも良かったが、他に客がいないならばこっちになるのは当然だろう。


「そういえば、ご主人はどうされましたか?」

 この人の数であれば、よくカウンターで次の日の仕込みや片付けをしていたはずだ。


「えっと……今は自分がこの店の主です」

 私は思わず首を傾げてしまう。

「この店の前の主人は僕の父なのですが……」

 疑問に思った私に彼は説明してくれた。


「そう……でしたか。すみませんでした」

「いえ、5年以上も前のことなのにこの店のことを覚えていてありがとうございます」

 互いに謝り合う不思議な光景。


 そうか、旅立たれましたか……まだ若いと思っていたのですが、残念だった。

 とても残念でたまらなかった。だが、この店がまだ残っていたことは幸いだった。

 わたしが愛するアレが食べられるはずだから。


「あ、注文してもよろしいでしょうか?お腹が空いておりまして」

「申し訳ありません!どうぞ、お伺いします」

「――では、ビーフシチューを。パンと一緒にお願いします」

「かしこまりました」

 彼は一礼をし奥へと消えていく。

 そう、この店――夢味亭のビーフシチュー。

 まさに、夢の味。色んな物を食べてきたけれど、ここのビーフシチューは魔法の一品とでも言うべき代物だった。

 思い出すだけで、唾液が口の中を覆い出す。

 はしたないが、欲望には勝てない。


「お待たせいたしました。ビーフシチューです」

 ああ、これだ。一見茶色の液体なだけなのだが、いくつもの野菜や牛の肉で作られた魔法の料理。

 よくみれば、昔とは少し違って、何やら白い筋が茶色のスープの周りに一本入っている。黒に近い茶色と白のコントラストは美しかった。

 だが、その綺麗さよりもこの料理にはもっと大事なものがある。


 スプーンで一匙。

 まず伝わってくるのは濃厚としか言えないほどの旨味。


 ――変わっていない。この店のビーフシチューは変わっていませんでした。この美味しさに疲れていた心と体がほぐされていく

 5年前に訪れてた時と全く変わらないこの味わい、温かさ、匂い。すべてが過去のあの思い出と重なり合っていく。

 私の口が次の匙を求める。その前にやることがあると自分を落ち着かせて、一緒にもらったパンを小さく引きちぎり、それをシチューにつける。

 そしてそれをそのまま口へ。

 これだ。これこそが最も美味しいと思う自分の食べ方。


 教えてもらったのは、食べてた時に横にいたおじさんだった。

 こうするとなお旨いんだぜと、勝手に人のパンに付けたうえに食べてしまう。あまりにも無作法で怒りそうになったが店のムードというものもあったため、我慢したものだ。

 だが、本当に美味しかった。

 あの後この店の近くをよることがあれば、必ず店に入りビーフシチューとセットでパンを頼んでいた。


 そんなことを思い出しているうちに、気がつけばパンがなくなりかけている。

「すみません、パンの追加をお願いしてもよろしいですか?」

「あ、はい。少々お待ち下さい」

 前の主人の時は、私がいう前に持ってきてくれていた。彼はまだそこまでの気配りができないのかもしれない。

 だが、ビーフシチューには他の楽しみもある。

 具はたっぷり残っている。まずはやはり牛の肉。

 しっかりと塊でその存在をとどめているのだが、口の中に入れればシチューの汁とはまた異なる味わいが口の中で溢れるのと同時に、解けていく。

 次は野菜。

 馬鈴薯や人参、玉ねぎなどの野菜も形こそ残っているが、肉とは異なる食感と味とともに口の中で儚く消えていく。濃厚の味わいの奔流に負けずに野菜の美味しさが残っている。


 そんな感じで肉と野菜を味わっていると追加のパンがやってくる。

「お待たせいたしました。どうぞ」

「ありがとうございます」

 今は行儀など良い。この誘惑に身を任せていいのだ。




 私はビーフシチューとパンを三皿平らげ満足した。

「ごちそうさまでした」

 ようやく落ち着いた。何気に今日は朝から食べていなかったのだ。空腹も限界であった。

 だが、そのおかげもあって最高の食事を楽しめた。今は文句などない。


「お客様の素敵な笑顔を見れて嬉しいです」

 彼は追加の水を持ってきてくれていた。

 濃厚の味わいを流すのは辛いが、だがいつまでもこの余韻を味わい続けるのもなかなかに辛い。

 ほんの少しだけ果実を加えてある水がさっぱりとさせてくれる。


「――お客様にこのようなことをお伺いするのはおかしいと思うのですが」

 彼は真面目な顔で私に質問する。

「ビーフシチューの味はいかがだったでしょうか?」


 質問の意図がわからないが、私はこれに答える義務がある気がした。

「美味しかったです。この店の――夢味亭の。あのビーフシチューでした。――いえ、それ以上だったかもしれません」

 そう、あのビーフシチューにわずかに加えられた白い筋。あそこを混ぜることによって若干刺があるといってもいいこの店のビーフシチューが更に美味しく感じた。

 不安では有ったのだ、5年前の思い出は美化すぎていたのではないかと。でもそれは間違っていなかった。間違いなく思い出の中の味。そして、それを上回ると思えるような味があった。


「――良かったです」

 彼の眼に僅かな涙。

「これで、思い残すことはありません……。親父の思い出の味にようやく辿りつけたんですね。俺……」


「どうされたんですか?」

 私は彼の行動の意味がわからない。ただ感想を言っただけで何故涙が。


「あ、いえ。この店を今月で閉めるのです」

 彼は涙を拭き取り、語ってくれた。


 父から受け継いだが、店の味を守ることが出来ずに、客が離れていったこと。

 そして、それによりこの店の運営がうまくいっていないこと。

 それが限界であったこと。そして今月で閉めようと思っていたこと。

 だが、だた一つの心残り。自分が親父に並ぶことが出来たのか。思い出の味に辿りつけたのか。それを知りたかった。

 そして私の言葉で確信を持てたのだと。


 ――この店を今月で閉める!?

 私は驚きを隠せない。こんな素敵な店がなくなるなんて。


 私に何かできることはないのか?私は必死に考える。

 いや、手はある。だがそれは自分のことを話さなければいけない。色々大変なことがある。

 でも、そんなことは些細な事じゃないか。あとは彼が決めることだ。


「もし……あなたが望むのであればですが」

 私は言葉を続ける。




「私の世界で、料理を振舞ってはいただけないでしょうか?」




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