領主代理とわらび餅 ②
「失礼します!」
威勢のいい声とともに、皮鎧をまとったダークエルフの少年が部屋の中に入ってくる。
ドアを丁寧に閉めた後、一礼し直立不動の姿勢となる。
「二人しかいないんだ。そんなに堅苦しくする必要もないだろう? 楽にしてくれ」
部屋で大量の書類の審査と整理をしていたシェルネアはようやく顔を上げガチガチに緊張している少年の姿をした副隊長の気をほぐそうと優しい声で話しかける。
「い、いえ! 我らが隊長であり、【グラフィリア】領の領主代理でおられますシェルネア様の御前でそのようなことをするわけには行きません!」
これは駄目だと、シェルネアはため息をつく。
自分は確かにこの領主の兵隊の隊長を務めている身であり、更に領主代理という立場ではあるが、来る者来る者がみな緊張し仰々しい態度を取られると呆れるというものだ。
自分がただの隊長であった時は、もっと気さくに話が出来る関係であったのだがなと心のなかで愚痴る。
シェルネアが【グラフィリア】領の領主代理となったのは今から三ヶ月前のことになる。
前の領主であったバフォメットが年齢を理由に職を退いたのだ。
魔王が支配するこの国の各領土は、魔王が住む中央より派遣される領主によって管理されている。
任期は、本人が辞めるか、別のものが領主を追い出すか、魔王を筆頭とする幹部によって中央に呼び戻されるかまでというなかなかに近代的ともいえるシステムであるが、この領主としての働きも後の中央での役職や地位に関わってくるため侮ることはできない。
追放などされればもうその者の出世はないものとなる。
本来であれば、前領主が辞任した時点で次の領主が派遣されてくるはずなのだが後釜が決まらず、結果として前領主の側近中の側近であった守衛部隊長であるシェルネアが一時的な代理として任につくこととなった。
政治も領の運営もろくに知らぬ武闘派のシェルネアからすれば傍迷惑この上ない話である。
とはいえ、シェルネアの働きは領主代理という縛られたものから考えればそう悪いものではない。
領主代理である以上領主に準ずる権限があるはずなのだが、その辺はあまり考慮されておらず、文官たちはシェルネアがそういった方面において無知なのを知った上で独自で動くようになってしまっている。
だが、近衛部隊隊長まで上り詰めた彼女の実力は伊達ではなく過度に怪しい動きをすればすぐに察知されるし、クーデターを起こそうにも肝心の主力の兵隊は大部分が隊長のシェルネアを慕っているのだから起こしようがない。
故に文官達も次の領主が来る前にせいぜいシェルネアの評価を微妙にする程度のことぐらいしかできないわけである。
それに、今【グラフィリア】領の領主になることにあまり旨味はない。
中央での領主の評価は、主にいかに発展させたかを問われる。
【グラフィリア】という場所はそういう意味では発展が進みすぎているのである。
一例を上げるとすれば焦土と化したところから街を創りだすのと、ある程度発展した街をさらに発展させるとでは前者のほうが重要視されるのである。
故に野心を持つようなものであれば、今現在人間たちと戦争状態である最前線やその一歩手前の危険な場所の領主になることを企むし、逆に安定した領土運営を望むようなものにとっても所々に問題がある【グラフィリア】に旨味はない。
そんな中途半端な状態こそがシェルネアを領主代理でいられる理由であり、新しい領主が来ない理由でもある。
「――ふむ」
シェルネアは副隊長の報告書を軽く読む。
報告書には、この前起きた商団が野盗に襲われた一件の詳細が書かれている。
塩を大量に積んだ馬車の3台のうち、2台は大破、更にもう1台は野盗共に奪われるという彼女が領主代理となった間では最大規模の被害である。
大破した馬車に積んでいた塩は水をまかれ使いものにならない状態であった。
もし、ゴブリンの商人が運良く持ち込んだ塩がなければ暴動一歩手前であった事を考えると洒落にはならない被害である。
そのため彼女自身が兵を率い、野盗討伐に乗り出した結果、野盗は頭を筆頭に5人を捕獲。残る50人は始末した。
そして今日その5人の処罰がようやくすんだところである。
「被害にあった商人は道の安全が確保できない限り、次回の運搬はできないか。――あの距離の道全てを守護しろなど無理な話だ。それは向こうもわかっているだろうに……」
おそらく、運搬費用の釣り上げが目的だろうとシェルネアは察する。
【グラフィリア】における最大の問題、それは、領内のニ大都市である【リブリア】と【ベイレート】間の輸送問題である。
魔の山という場所を回避する以上時間が大幅にかかることは仕方ないことなのだが、この関係で都市と都市の貨物輸送に7日も要する上に、その道上にはいくつか野盗が潜むにはうってつけの場所があるのである。
そこを全て見張るなどということは兵力などを考えても不可能である。
結果として、いくつかの商団には護衛として近衛兵をつけているがこれも不平不満の温床である。
すべての移動する民を兵を与え守り切るには数が足りなさすぎる。
「実質打つ手はないか……」
代理ではなく、領主としてならば手はあるのかもしれないが、少なくとも今の彼女に名案はなかった。
とりあえずは価格は引き上げるしかないだろう。
「いっその事、あの山さえなんとかなれば良いのだがな……」
一時は魔法であの山ごと吹き飛ばしてやろうかと思ったのだが、それには優秀な魔法使いが何人も必要だし、その魔法に因る被害がいくらになるかすら想像もできない。
結果として何とか山の内部の道だけでも確保できないかとグルダスを筆頭とするオーガ達に色々させているわけだが、高濃度の瘴気の霧などが発生する上に、歩いて進む分には問題がないが馬などで輸送となると道幅の問題が出てくる。
道を作るにはオーガ達よりドワーフたちが適任なのだが、人手が足りない以上あいつらに頼るしかないのである。
「腹が減ってきたな……」
嘆願書の選別やその他のことをしていたせいで、昼に軽くサラダを食べただけなことを思い出す。
部下たちの昼食の残りでも食べに行くかとシェルネアが肩を回しているとドアがノックされる。
「失礼します」
と言って入ってきたのは、この館の従者のうちの一人である。
「なに用だ?」
「シェルネア領主代理にお会いしたいというお方がお越しになられております」
「今日は約束はなかったはずだな?」
「えぇ……その通りでございますが……」
きょとんとした様子でシェルネアを見る従者。
「なら断れ、領主代理はとても忙しいのはお前も見ててわかるだろう?」
「かしこまりました」
と言って、一礼をし従者は部屋を去ろうとする。
「そういえば、その来訪者の名を聞いてなかったな」
「申し訳ありません。言いそびれておりました。フィーナ様とお聞きしております」
「――大至急でお通ししろ」
「え?」
先ほどよりさらに唖然となる従者。
「聞こえなかったか?『最優先』で私のもとにお連れしてくるんだ。決して粗相のないようにな。あとお茶を頼む」
「か、かしこまりました」
ドアの閉まる音を聞いてシェルネアは一人でため息をつく。
一体何の用なのだろうか。前にこの世界の話はしたはずなのだが……とシェルネアが悩んでも答えなどでなかった。
「ご機嫌麗しゅう。シェルネア領主代理様」
金髪の人間の女性がシェルネアの姿をみて深々とその一方で優雅に頭を下げる。
ドレスの裾を軽く持ち上げお辞儀するところはまさに姫君を彷彿とさせるほどである。
「よしていただきたい。貴方様にそのようなことをされるようなものではありません」
彼女の正体を知るシェルネアからすれば気が気でない。
「ところで、何用でございましょうか?フィーナ様」
「私の方こそ、『様』付けは要りませんわよ」
「――そういうわけにはまいりません」
女神様相手にそのような無礼な口を利くわけには流石にいかないだろう。
シェルネアとしても、宮廷で使うような上品な言葉遣いを習得しているわけではないにしても、そこには彼女なりの最大限の配慮があるのである。
「あなたとは、素敵な友人でいたいと思っているのです」
「友人ですか――?」
神と友人となる存在など聞いたことがない。彼女は何を私にいいたいのだろうか。
「あなたは私にこの世界のことを色々教えてくれました。そして大事なお客様です。この関係はできれば末永く続けていきたいと思っているのです」
嘘偽りを感じさせないフィーナの言葉に逆に戸惑いを感じてしまうシェルネア。
気を落ち着かせるために、従者に淹れてもらった茶を飲む。
苦々しいお茶は、精神を落ち着かせるにはちょうどいい。
「では……いくつか教えていただきたいことがあります。あの【夢味亭】というお店の正体。そして貴方様の目的を。――かつて貴方様は啓示だとおっしゃられた。ですが私には理解できないのです。あの店が魔の山に存在することによって何を伝えようとしているのでしょうか」
「そうですね。友人という以上は話さないといけないですわね。――ですが、その前に腹ごしらえなどはいかがでしょうか?」
というと、フィーナは、奇妙な青い箱を取り出す。
「それは?」
「夢味亭の主人が作ったデザートですわ」
「デザートですか……」
「ああ、大丈夫ですよ。卵などの血の臭がするような食材は使っていないと聞いています」
その言葉を聞いてシェルネアはひと安心する。
シェルネアとて、ちょうどお腹が空いていたところだったので、この時間に軽いデザートはありがたい。
「ひんやりとしていますね」
「店で食べた時よりは温かくなってしまっておりますが、申し訳ないですわ」
手渡された見たことのない素材で出来た奇妙な四角い箱は十分に冷たいと思うのだが、これでぬるいというのだから、最初は氷漬けだったのだろうか。とシェルネアは想像する。
中身を開けてみると、その中には四角く一口大に切られた褐色に染まった何やら不思議な半透明な物体が入っている。
褐色の物体の周りには、黄色い粉がまぶされており、嗅いだことがない不思議だが好みの風味がシェルネアの鼻を突く。
「どうぞ、これをおかけになってお食べください」
と言ってフィーナが手渡したのは、黒い液体が入った容器と、木で出来たと思われる少し太めの針。
これをかけて、針に刺して食べるということなのだろうと理解する。
黒い液体は、軽くとろみを持ったまま半透明の物質へとかかっていく。色合いはそれほど派手ではないが、どこか優しい色合いである。
「ところでこれはなんという料理なのでしょうか」
「これは、『わらび餅』というらしいですわ、まだ店でも出していない新作です」
「『ワラビモチ』……」
少し下品ではあるが、器のふちに付いた黒い液体を指で舐めとる。
――これは、蜜か。
濃厚な甘みが、今日の仕事の疲れを癒やす。
考えてみれば、昨日も【夢味亭】でカキアゲドンを食べたのだ。しかも毎週微妙に使う食材が異なるらしく、違う歯ごたえと味を楽しめた。
今日も【夢味亭】の料理を楽しめる。しかもカキアゲドンとは違ったものでありながら血の臭いがしない料理。
あの店の質の高さはやはりとんでもないものである。
しかし、この『ワラビモチ』なる料理は面白い。
見かけは小さく切り刻まれたスライムを彷彿とさせる。
あれはあれで、うまく干してやると少し上等な子供のおやつに変わるのだ。
まぁ、脂の臭いがあるので好みはわかれるものになるが。
一方で、この『ワラビモチ』からはそんな匂いは一切しない。
どちらかと言うとシェルネアが好みな草の香りが漂うのである。
空腹と未知なる料理への好奇心で針をさす。
くにゅっとした手応えを一瞬感じた後突き刺さって抜けなくなる。
抜けないことを確認し蜜が溢れぬように慎重に口の中へ『ワラビモチ』を運び込む。
最初に感じるは冷たさとともに感じる蜜の甘さ。
濃厚な甘みが来た後、口の中で噛んだワラビモチが針を刺した時のような手応えを歯に返したかと思うと、口の中で潰れ中からなめらかな舌触りが伝わってくる。
そこにあの黄色い粉の香りと僅かな味、そしてワラビモチ自体からほのかに感じる苦味。
それが甘み一辺倒であったものをわずかに和らげていく。
「どうでしょうか?」
「甘すぎるわけでもなく、実に美味しいです」
シェルネアは元々貴族たちが好きな砂糖や蜜でとにかく甘みを追求した物はあまり好みではない。
まぁ、魔物の貴族でもそのようなものを好むのは少数派ではあるが、かつて中央で部隊に所属していた時にそういうものを食べされられた経験もあり、苦手意識すらある。
だが、このワラビモチはそこまでではなく好みと言っていい。
甘みを追求するだけが、優れたデザートではないことをこの『ワラビモチ』なるものは教えてくれる。
主となる味は間違いなく蜜の甘みだが、それを打ち消しつつ逆に深みがあるものに変化させているこのデザートこそ、真の意味で優れたデザートなのだろう。
程よい甘みは、次々へと口の中へと消えていく。
噛みごたえを、舌触りを、そして甘みを口の中の様々な部位を刺激していく不思議な食べ物。
――ああ、幸せだ。
シェルネアは今まで頭が割れるほどに悩んでいた問題がどうでもいいように感じるほどにこの『ワラビモチ』を堪能し続けた。
「素敵なお顔を拝見出来て嬉しかったですわ」
蜜で汚れた口元を布で拭き取りながら、フィーナは満面の笑みをシェルネアへと向ける。
その絶妙にてかりを見せる唇は、多くのもので誘惑するかのような艶やかさを醸し出し、女であるシェルネアでさえ見惚れる。
「素敵な料理を振る舞っていただき感謝です」
と言いつつ、シェルネアは残っていたお茶を飲む。
この苦々しさが程よく、『ワラビモチ』の甘みを打ち消してくれる。
あの美味しさであれば、まだまだ食べられるだろう。
「あなたにはやはり笑顔が似合いますわ」
フィーナの率直な言葉に、シェルネアは思わず頬を染める。
笑顔か……長きにわたり戦いに勤しみ、部隊の長を務めて、さらには領主代理までやらされて忙しさに翻弄された結果最近はそのような余裕がなかったことを実感する。
「私の目的は、まさにそのあなたのような笑顔を作ることです」
ようやく女神からあの店の目的が告げられる。
「笑顔……ですか。」
「ええ、笑顔になる条件は様々にありますが、ひとつ言えることはその人が幸せと思っている時にこそ笑顔は生まれます。そしてそれを満たすには料理の質を高めること――つまり美味しい料理がこの世界で流行させることこそ、あの店をこの世界へいざなった理由です」
「この世界……?」
「ええ、あの【夢味亭】は元々私達の住む世界の店ではありません。私達、神が良きところを覚え、模倣させ、それを伝えるが為に向かっている異世界の店なのです」
この世界とは異なる世界の料理店。
なるほど。それならばあの料理の旨さも納得ができるというものである。
「しかし、流行らせるというには店の位置などに問題がある気が致しますが……」
「それは……あの。私達神もまた万能ではないということです」
シェルネアの率直な意見に俯くフィーナ。
彼女が、この辺りの世界の情勢を知らなかったのは彼女の怠慢なのかどうかは分からないが、少なくともあまり優れた策ではないのは確かだろう。
「フィーナ様。私にできることがあるならばこのシェルネア。できうることはいたしましょう」
それは、緑の豊穣神に対する信仰と忠誠。
シェルネアとしてはそれを示したつもりだったのだが、彼女は首を横にふる。
「お気持ちは嬉しいのですが、先程も言いましたが、私はあなたとお友達でありたいと思っています。そのような上下関係を強いたくはありません」
「では、どうすればよろしいのでしょうか」
「あの店を。【夢味亭】をあなたが思うように使ってください」
「どういうことでしょうか」
「シェルネアさんが思うがままにということです。私は、あの店の店主【深山翔太】と【夢味亭】そのものに対して害が及ばない限りは私があなたに危害を加えるようなことすることはありません」
シェルネアはフィーナの言葉を聞き、一考した後こう返した。
「つまり、私があの店の存在を利用しても構わないと仰られるのですか?」
「害の及ばない範囲でということになりますが」
フィーナはそれを肯定する。
「ふむ……そのお言葉ありがたく利用させていただきます」
あの店を利用すれば、間違いなくこの【グラフィリア】にとっての旨味になるのは間違いない。
これを札に領主を呼ぶこともできるだろうし、それ以上のこともできる可能性がある。
だが、それを最終的にどう活かすかは自分では想像もできないし後に来ることになるもっと優秀であろう領主が決めることだろう。
あとは、領主や自分の行動が精々神のご機嫌を損ねないように立ちまわるだけである。
「あの……」
「何でしょうか?」
「いえ、その一応は友人なのですから『様』をやめていただけると嬉しいかなと」
「そういうわけには……」
「では、今後【夢味亭】の新作ができても一緒に味わえる友人が私にはいないということですね……実に淋しきことです」
フィーナの悲しげな顔と、【夢味亭】の新作料理が味わえないという二つの札をきられてはシェルネアとしても折れるしかなかった。
「では……その、フィーナさんでよろしいでしょうか」
「呼び捨てがいいですね」
「いや、それは流石に」
どこの世界に神を目の前にして呼び捨てにできる者がいるというのだ。シェルネアは心のなかで頭を抱える。
幸いにも折れたのはフィーナの方であった。
「様よりは良いですし、今はそれで我慢いたしますわ。これからも仲良くしてくださいね。シェルネアさん」
「あ、ああ。こちらこそ」
力が抜けた様子でフィーナが差し出した手をつかむシェルネア。
ある意味、もうどうにでもなれという達観した思いで一杯であった。
後の書物において、【グラフィリア】のみならず魔物の国全体を揺るがすことになるその発端となる緑の豊穣神とその友人として緑の大神官とまでなったダークエルフの女性の不思議な関係はここから始まったとされている。




