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ゴブリンとアジフライ ②

「お待たせいたしましたー。『アジフライ』になります!」


 これが海の魚なんか……。

 ガットリクスは生まれてはじめて見る料理に思わず興奮してしまう。


 確かに彼が頼んだもので、彼が夢見る料理だったのだが、実はガットリクスは生まれてこの方海の魚を見たことがない。

 ガットリクスにとって、海の魚とは夢であり目標なのだ。



 ガットリクスがなぜこの夢味亭で海の魚の料理を求めたのか。


 それは、彼の父の一言が原因である。

 彼の父もまたゴブリンの商人であり、ガットリクスにとって商売の師匠であった。幼いころに母を失っていたガットリクスにとって父は憧れであり目標であった。

 そんな父はまずくて泥臭くて骨が多い池や沼の魚を焼いたものを食べつつこういっていたのだ。


『ガットリクス、海の魚ってやつはこんなちんけな水たまりに住んでるような魚と違って、泥臭さもないしごっつうまいんや。それを丸ごと焼くだけで独特の塩味と脂が出てきてな……。あれと酒があればもう何もいらへんと思えるほどや。』


 まずい魚を食いながら語る父のその話はガットリクスにとって一つの目標となっていった。

 成人し父と別れたガットリクスは決意する。


 ――立派な商売人となって父があれほどうまいっていうてた海の魚をたらふく食べるんや。と。


 自分が立派な商売人になれたかはわからない。

 だが、不意に訪れた不思議な店で出された海の魚を用いたという料理。

 否応無く運命的なものをガットリクスは感じ取っていた。



 ――それにしても変わった形やな。

 ガットリクスは改めて『アジフライ』なる料理を見る。

 全体的に黄色いゴツゴツとしたもので覆われていて魚と思わせるところは尾鰭の部分しかない。

 感じとしては、魚を頭を取り除いた後綺麗に半身に裂いてこのゴツゴツとしたものをまとわせたと見るべきだろう。


「なぁ、これどういう料理なんや?」

 考えても答えなど出るわけもなくガットリクスは男に質問する。


「えっと、『アジフライ』は鯵という海の魚にパンくずの衣をつけて油で揚げた料理です。」

 ガットリクスは自分の耳がおかしくなったかと思った。

 パンくずの衣はいい。

 油で揚げた?

 それがどんなに贅沢な料理かとわかっているんかいな!?と思わず叫びかけてしまった。


 実は【レクシール】において、食用の油はほとんど出回っていない。

 魔法によってある程度の明かりは生み出されてはいるが、一般家庭の光源では動物の油を使用するし、植物油に関してはほとんど精製技術が隠匿されてしまっている関係で、国王などが食すような一部の超高級料理ぐらいでしか使われていないのだ。

 稀に商売用で卸される油も、そのような高級料理で何度も使われたような日本ならば廃油扱いのものが主流である。

 それですら、揚げ物用として使うほどの量を手に入れるだけで金貨数枚は優にする。


 そんな希少なもので調理された料理。ガットリクスはここはどこかの王様御用達の店なんじゃないかと訝しげる。

 よくよく見れば、机や椅子、それに引いてある布どれひとつとっても高級品、ガットリクスが有する鑑定のスキルを使っても価値不明というとんでもないものがごろごろしているのである。



 これは、とんでもないもんひいてもたかもしれへんで……。


 ちょっとした洞窟探検のつもりが最奥に竜が眠っていたかのような感覚に陥るガットリクス。

 とはいえ、出されてしまった以上は食べざるをえない。


 そもそも、この独特な香ばしい香りがもう自分の胃を刺激して仕方ないのだ。ここで食わずに帰るなどという選択肢はありえない。

 まぁ、オーガの連中が平気であれだけ食べているんやから、目が潰れるかのようなとんでもない価格が請求されることもないやろ。


 ガットリクスはそう自分に言い聞かせ、ようやく『アジフライ』なる料理に手を伸ばした。


 皿の上には二枚のアジフライと野菜と黄色い果実が乗せられている。

 野菜も腐りかけとか切れっ端とかではなく、きれいなものが生で乗せられている。


 これだけでも、街なら超が付くか付かないかどうかという高級店ぐらいでしか食べれないだろう。



「あっ、お客様。アジフライにはソースか醤油をお好みでかけてお召し上がりください。赤いほうが醤油で、青いほうがソースです。あと、そこのレモンは絞っておかけください。酸っぱいのでお気をつけてくださいね」

 青年の指示を聞き彼が指す方を見ると赤い蓋がついた容器と青い蓋がついた容器が1つずつ。中身は真っ黒な液体のようなものが入っているようだった。

 レモンはおそらく黄色い果実のこれだろうと目星がついたところで、まずはアジフライのうちの一枚をナイフで二つに割る。

 そこにフォークを刺し持ち上げる。

 ナイフで裂かれた断面から確かに魚の身を思わせる白い身が確認できる。


 まずは、何も付けずにそれ口の中へ放り込む。

 サクッと口の中で衣が割れていき、魚の身の味が流れ出してくる。

 ほっこりとした身は、肉のように脂を垂れ流すわけではないが、身がまとう優しい脂が舌へと伝わっていく。


「なんやこれ……」

 ガットリクスは唖然とした。

 自分が食ってきた魚とは何だったのか。

 泥臭さもない、変な苦味もない純粋なやさしい魚の味。それがこちらも濁りや妙な臭いがしない上質な油で揚げられたと思われる衣と共に口の中で共演していく。

 そして、骨もほとんど気にならないレベルで噛み砕けていく。


「ごっつうまいやん……」

 おやじの言う通りや。海の魚ってこんなにうまいんか。

 おやじのやつあんなゴミみたいな沼の魚ようくうとったわ……。

 自分の思い出と親が語っていた美味しさがいりじまって感動を呼ぶ。


 質の良い魚と質の良いパンくず、そして質の良い油で調理されたまさに洗練された料理である。

 続けてもう一口。

 それであっという間に2枚のうちの1枚が無くなってしまう。



 ――そういえば、ソースと醤油はお好み言うてたな……。

 ガットリクスは青年の言っていた事を思い出す。


 美味さのあまりについ1枚を完全に食いきってしまったが、幸いな事に後1枚残っている。

 だがこれで足りるわけがないことは明白だ。


「あんちゃん。『アジフライ』ってやつもう一皿や!」

「お、俺らも負けてられねぇ!『ハンバーグのビーフシチューソース』を追加だ」

 ガットリクスは興奮して、グルダスはそれを見て手慣れた様子で追加の注文を頼んでいく。


 そして、残った一枚のアジフライを二つに切り分け、一つにソース、もう片方に醤油とやらをかけていく。

 どっちも黒い液体ではあったが、ソースのほうが少し粘度が高そうな感じであった。

 さらに、レモンとやらを絞りその果汁をかけていく。



 ほんまに、これでうまくなるっていうんか……?


 ただでさえ、あれだけの完成度と美味さを兼ね揃えた『アジフライ』なる料理が、これでどういう変化をするのか。ガットリクスとしてももはや未知の味への好奇心には勝てない。


 まずは、ソースをかけた方を。


 それは一言で言えば、重量級でしかもキレのよい斧のような味であった。


 ソースという濃厚な液体がかかったアジフライは最初にその味に染められていく。だが魚の味も消えてなくなるわけではなくしっかりとその味を残しているのだ。

 そしてレモンとやらの果汁があまりにも濃厚だったソースをさっぱりとさせてくれる。

 これはいい。まるでアジフライという姫君を守る重騎士を思わせるような組み合わせである。

 先ほどの何もかけてないのでは物足りなさすら感じるほどの美味しさ。



 では今度は醤油をかけた方や。



 こちらはこちらでまた良い物や……。

 味を噛み締めて、おもわずガットリクスは顔を綻ばせる。


 ソースほど濃厚ではないが、塩辛い醤油とやらは中の魚のお味を引き立たせる。

 そして、レモンが少しだけ過剰と思えるその塩辛さを消していくのだ。

 こちらは逆に姫を引き立たせる女従騎士のペアとでもと言った感じだ。



 そしてこの実に楽しき味は一瞬でなくなっていく。

 ガットリクスはふと思い出す。


 せや。酒や。


「なぁ、あんちゃん。酒あるか?できればエールがええんやが……」

 おやじが言っていた海の魚と酒の相性。それもだが、アジフライという料理には間違いなく酒が合う。しかもできればワインよりエールがいい。

 これはガットリクスの直感から導き出された答えだ。


「……エールですか」

 急に頼まれた人間の青年は戸惑ったような表情を見せる。


「申し訳ありません。エールは当店では置いてないんですよ」

 そして、謝りながらこう続けたのである。


「そっか、そら、ないもんはしゃあないわな」

 ガットリクスとしても残念な気持ちが高ぶってくる。これに酒がないとは実に辛い。


「いえ、エールはないんですが、その代わりにラガービールならばあるのですけれども。よろしければそちらをご用意させていただきますが」


 ラガービール?

 聞きなれない単語である。


「まぁええわ。ほな、それだしてもらえるか?」


「かしこまりました」

 男は一礼し奥へ戻り、またすぐに戻ってくる。


「お待たせいたしました。ビールになります」

 男が持ってきたその液体と容器を見てガットリクスは思わず震えてしまう。


 なんやねんその容器……。


 きれいな円柱で出来た持ち手が付いた透明なコップ。その中にはなみなみと表面が泡で覆われた金色の液体。

 この容器だけでも作らせたらいくらほどになるか。

 鑑定のスキルを使うまでもない。これでちょっとしたお宝レベルだ。


 そして男がラガーといった金色の液体。

 見た目はエールである。だが、泡の量が半端なく多いし、コップを触って分かったが異常なほどに冷やされているのである。


 だが、このシュワシュワと浮かんでくる泡、そしてコップの表面に出てくる水滴。

 それが魅了してくる。

 間違いなく、これは美味い。そう確信するほどに。


 アジフライに醤油をかけ、まずは一口。

 その味を堪能しているところに、ビール。


「ほわぁ……」

 顔がゆるみ、思わず口から変な声が出た。

 美味いなどという領域を超えた至福の瞬間である。


 アジフライの味をも一瞬で両断するかのようなキレと苦味。そしてそれが次のアジフライへの呼び水となるのだ。

 エールとはまた違うきんきんに冷やされたビールは癖もなく何倍でも飲めそうな勢いすら感じさせる。


 ふと前を見ると、オーガの皆さんがこちらを見て生唾を飲んでおられる。


「どないしたんでっか?」

 なにか悪いことをしたんやろか?と思わずガットリクスは身構える。


「おい!俺にもビールとやらを出せ!!」

「お、おいらも!」

「わたしにもください」

 おそらく、ガットリクスのあの笑顔を見て耐えれなくなったのだろう。三人がこぞってビールを注文する。


 ガットリクスとしても、あの肉料理とこのラガービールとやらは間違いなく合うのがわかる。

 4人の酒を交ぜた宴はいつまでたっても終わりを見せなかった。






「あ?金貨5枚だと……」

「ええ、正しくは金貨5枚と銀貨4枚になりますね……」


 あれだけ飲み食いしてそれだけの価格なんかとガットリクスとしてはそれだけの衝撃なのだが、どうやらオーガ達にとっては想定外の高さだったようであった。

 おそらくだが、金貨十数枚。下手をすれば、大金貨を数枚以上請求されてもおかしくはないレベルのものであった。


「ここは、わいが出しますわ」

 困った顔をしていたオーガのリーダーに代わって、金を出すガットリクス。

 金貨6枚を店主の男に差し出し、お釣りをもらう。


「「ありがとうございました!」」

 店主と給仕二人のその声を背に受けガットリクス達は店を後にした。



「すまねぇな。この店に来るまでに散々迷惑をかけた上に、金まで出してもらって」

「ええんですわ。こんな美味しい店紹介してもらったお礼ですわ」


 ガットリクスとしても少々痛い出費ではあったが、ゴブリンの商売人には誰もが知っているようなとある有名な言葉があるのである。



『一瞬の損が恐れるが為にそれをケチるのはその後に得る一生分の得を損することである』



 ここでオーガ達に奢ったのは間違いなく後の得になる。

 それは、ガットリクスにとっての商売人としての勘であり、ひとつの確信である。

 なにせ、相手はかつて魔王軍の一部隊長を務めたオーガの英雄なのだから。







「これは予想外ですわ……」

 半ば呆れかけた様子でガットリクスは【ベイレート】の酒場で一息をついていた。

 あの後あの廃墟のようなところでオーガ達と一夜を過ごした結果、瘴気の霧は見事に晴れており無事山を抜けることができたのである。


 そして【ベイレート】に着いたガットリクスが早速商売をしようとしたら、その商品が飛ぶように売れたのである。

 しかも彼がつけた金額の倍以上でもいいから全て売ってくれとまでいうものがいたほどである。


 どうしてそうなかったかというと、【ベイレート】に向かっていた例の先行していた貨物は野盗に襲われて奪われていたのである。

 街に流れてくるのが期待されていたところでこの悲報は街で一気に買い占め及び高騰の一途を辿ってしまっていた。

 そんなところに、ガットリクスの商品が流れてきたのだからそれはとんでもないことになるのも言うまでもないだろう。


 結果彼の背負っていた彼の体格の二倍ほどの荷物は綺麗に完売。その代わりに金貨が数百枚手元に残ったことになる。

 大儲けもいいところである。


「まさか、こんなことになるとは夢にも思ってなかったで……」

 もし、あの瘴気の霧が出ておらず、1日前についていれば、まだ貨物が襲われたという悲報が届く前であったためここまでの利益にはならなっただろう。

 

 手元にわずかに残した荷物の中のそれを見てガットリクスは笑いが止まらない。

 彼が持ち込んだそれは、塩の塊である。


 内陸部であるこの辺りでは塩は希少なのである。それが故流通ルートが構築されているし、ガットリクスのように流れの商売人もよく商売品として取り扱っている。

 それがたまたま流通ルートなどのトラブルを計算して潜在的に枯渇状態一歩手前であった【ベイレート】に売りに行くという商売人としての勘は見事はまった、いやそれ以上の幸運といえるような何かが彼を味方したと言えた。



「……しかし、どうしたもんやろな」

 ぬるいエールを飲みながらガットリクスは今後を考える。

 今までの自分ならばこの利益を元に、海を目指していたはずだ。

 だが、もう目標は達成したと言ってもいい。

 自分が夢見ていた海の魚を用いた料理そしてその美味しさを堪能したのだから。


 そして、このまま海へ向かうよりもっと利益を出せるものが自分の目の前にあることがガットリクスを悩ましていた。

 そう、夢味亭というあの謎の店。

 あれはきっと、この周囲を大きく揺るがしていく存在になるはずだ。

 そして、これだけの利益があれば、その存在に対して何かをできる。うまく行けばそこから得られる利益はもはや想像がつかないレベルになるはずである。


「まずは、あそこの廃墟を良くすることからやろか……」

 一時的な寝床としてもあまりにも不格好であった、夢味亭の外のオーガ達が建てた仮の宿。

 あれでは、せっかくの夢心地も台無しになりかねない。


 あそこにちゃんとした宿を建てれば夢味亭の料理を目的にした客を相手に膨大な利益が転がってくる可能性もある。


「――せやけどなぁ」

 他人には教えてたくないという気持ちもあるのだ。あまりにも広めすぎればあれほど美味しい料理が力ある存在によって独占されて食べれなくなる可能性もある。


 商売人としての儲け話に対する考えと、自分自身の食に対する欲という二つの欲望がガットリクスの中で渦巻く。



 ぬるいエールと、あまり美味しくない上に喉に突き刺さりそうな骨が目立つ川魚の塩焼きを食べながらガットリクスはあの夢の中で食べたかのようなビールとアジフライの味を思い出し、余計に悩むのであった。





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