ゴブリンと??? ①
「まだ登るんでっか……」
ゴブリンの商人であるガットリクスは、汗だくになりながら山の中を登り続ける。
健脚と豪語していたガットリクスとしてもこの角度の急勾配を登り続けるのは相当きつい。
そもそも、彼の短い脚は長い距離を進むのには慣れたものではあるが、このような山登りには向いていないのだ。
「おう!もう少しでつくから頑張ってくれ!!」
オーガのグルダスはもはや慣れたものなので手慣れた様子で登っていく。
ガットリクスが持っていた荷物はすでに彼が肩に抱えている。これ以上身を軽くすることもできず自分の力で頑張るしかなかった。
そう思っていた瞬間に、ガットリクスの足がもつれ転んでしまう。
「いひゃーーー!おたすけぇーーーー!!!」
更に不運なことに彼の丸い体は坂を転がっていくにはうってつけの体型であったため、勢いづいて転がっていく。
このままだと木にぶつかって大怪我、最悪は首の骨辺りを折って死ぬ。そんなろくでもない最後を考えだしていたガットリクスの体は一旦大きく宙を舞いかけたところで止まる。
「間に合ったでやんす……」
額に大きな角の生えたオーガ――ゲルダホがガットリクスの体をうまく捕まえたのだ。
ゲルダホとしても、彼に怪我などしてもらっては洒落にならないので無事捕まえられたことにほっとする。
「おお、よくやった!ゲルダホ。そのままお客さんを抱えて登ってこい!」
「了解でやんす!」
グルダスの命令を聞き、ゲルダホはガットリクスの体を抱えたまま山を登っていく。
ようやく落ち着いて一息ついたガットリクスとしても、こうやって最初から抱えてもらえていれば先ほどのような恐怖を味わうことはなかっただろう。
なぜオーガたちが彼らがお客さんと呼ぶゴブリンとともにこのような急勾配の山道を登っているのかは今から30分ほど前のやりとりが発端となる。
「――兄貴。この先は厳しいですよ」
眼鏡を掛けた変わり者のオーガ――ベイゼンは、グルダスたちより先に道の偵察をしていたのだが、なにかまずいことが有ったようで戻ってきていた。
「ベイゼン?なにがあった」
「この前で瘴気の霧が出てますね。俺らでもやばいぐらい濃いやつです」
ベイゼンの目の良さは昔部隊にいた時からずば抜けており、よく偵察に出されていたので信憑性も高かった。そんな彼がそこまで言うということはよっぽどの濃度である。
「まずいなぁ……」
報告を受けたグルダスは頬をかきながら悩んでしまう。
「お客さん。この先、濃い瘴気の霧が出ているらしくて進めないんですわ」
とはいえ、まずは事情説明だろうと、グルダスは今回の客であるゴブリンの商人に話しかける。
「しょ、瘴気の霧でっか!?」
ガットリクスはその報告を聞いて動揺する。
魔物であるゴブリンやオーガにとって、瘴気など本来は恐れるものではないのだが、その濃さがあまりにも高い場合は別である。あまりにも濃い瘴気は精神を腐らせ狂わせるためである。
おそらく彼らが危険と思う濃さとなればオーガ達より貧弱であるゴブリンに取ってはひとたまりもない。
「おそらく、1日様子見れば晴れるとは思うんだがなぁ」
「1日でっか……」
グルダスの提案に思わず唸ってしまうガットリクス。
できれば1日でも早くこの山を抜けてしまいたいのがガットリクスとしての本音である。
この山を超えた先にある街【ベイレート】に用事があって急がないといけないのだ。しかも時間はさほどにない。
さて、ゴブリンというのは力もなく頭もそんなに良くないということでとにかく下級に見られやすい種族である。
だが、彼らには彼らの強さがある。それは根気や他の種族では想像もつかないような独自の発想である。
彼らも勉強をしっかりすれば、計算などは簡単に出来るレベルの頭はあるし、彼らの独自の変わった発想によって生まれた素材や食材なども少なくなかったりする。
ガットリクスという男も、最初から頭が良かったわけではなく、何度も失敗して苦労を味わった結果、なんとか商売人としてやっていける程度の知恵と、そしてそこから得た独自の感性という名の勘でうまくこの世界で生き抜いてきたである。
今彼が背負っている大事な荷物。
これを【ベイレート】で売れば間違いなく高値で売れる。
彼の勘がそう言っているし、それは実際に正しい見解である。
だが、事はそう単純ではない。
そう、実はすでに彼の荷物と同じ中身のものが運搬されているのだ。もしそれが先に【ベイレート】についてしまえば、彼の荷物の価値は無価値とまではいかないだろうが、値は大きく下がってしまう。
その荷物が彼がいた街である【リブリア】を出発したのが2日前のことである。
そして【リブリア】から【ベイレート】までの荷物が届くまで大体7日かかる。
つまり、ガットリクスが今回の商売に成功するためには、普通に運べば7日はかかるルートを5日以下に縮めろというのである。転移魔法などが使える魔法使いでもいれば話は別だろうが、無理難題もいいところである。
さて、この運搬ルートにおいて7日もかかる理由は、今ガットリクスが進んでいるこの魔の山のせいである。
この魔の山は今現在オーガ達によって荒されている危険エリアであり、それ以外の獣や魔物も多数存在する。
道を知っているものも山に住むその荒らしているオーガ達ぐらいのもので、つまりこの道は最初から考慮されずあってないようなものなのである。
そのためこの山を迂回して運ぶというのが常道の運搬ルートとなるわけだが、それでは山向の街【ベイレート】まで7日もかかってしまうというわけだ。
ガットリクスとしても最初は打つ手が無いと思って諦めていたのだが、そんなところで風のうわさを聞いたのである。
『魔の山のオーガ達にお金を払えば道案内と護衛をしてくれる』と。
山の入口で、幸運なことにもオーガ達に出くわしたガットリクスはこのうわさ話を信じて金貨3枚で彼らに道案内と護衛を頼んだわけである。
彼らは【リブリア】に着く前までに聞いていた恐ろしい噂とは異なり、横暴な態度すら見せずにその依頼を引き受けてくれた。
グルダス達――魔の山に住むオーガ達としてもこの前のダークエルフの戦士のシェルネアから借りた金がすでに底がついておりこの依頼が渡りに船だったのは言うまでもない。
「しゃあないでんなぁ……」
ガットリクスとしても命のほうが大事である。
それに1日であればまだ余裕があるレベルだ。さほど大きな問題にはならないと判断できた。
「すまねぇなぁ」
渋々とは言え承知してくれたガットリクスにグルダスは頭を下げる。
この世界の常識としてオーガがゴブリンに謝罪するなどなかなかに見られる光景ではない事をここで補足しておく。
「で、どうするんでっか?」
ガットリクスとしても、ここで1日待つというのはあまりにも退屈というものだ。
「兄貴。今日はあの日ですぜ」
「おお、そうだったな!」
突如何かを思い出し喜び合うオーガ達のその浮ついた話しについていけないガットリクスは理解できずに首を傾げる。
「お客さん。1日待たせちまうお詫びになるかと言われると微妙だが、うまい飯があるんだが食いに行かないか?」
と、グルダスの提案に乗って山の中を登り続けることになったところまでがここまでの経緯である。
ようやく急勾配だった山の中を抜けたところで、ガットリクスは降ろされる。
「お客さん。着きましたぜ!」
「よ……ようやくでっか」
抱えてもらっていたといえ、途中まで登っていたせいでガットリクスは汗だくだ。冷たい水が欲しくなってくる。
正直なところ、ガットリクスはそこまでうまい飯というものに期待はしていない。
あのまま待ち続けるというよりはマシだという判断であっただけである。
オーガ達の味覚など信じていないのだ。彼らは肉が食えればそれで良い訳で、それが生肉だろうがこげ肉だろうが気にしないというのがガットリクスの中でのオーガの味覚感覚である。
ついでに言えば、こんな魔の山の中でうまい飯などが食えるなどありえないというのも含まれている。
「……何でっか……ここ。」
ガットリクスが見た景色は思わず呆然としてしまうようなものであった。
掘っ立て小屋以下の廃墟と言っても過言ではないような建物が巨大な樹の根元にあるだけである。
「俺達が建てたのさ。なにせ建築なんてやったことねぇからなぁ」
ガハハと笑うグルダスと、苦笑してしまうガットリクス。
こんな建物を見に来るがために命をかけたのかと思うのと情けなくなる。とは言えオーガ達をあまり怒らせてはいけないので苦笑もすぐに止める。
彼らがその気になれば自分など一瞬で潰せるのだから。
「まぁ、外は情けねぇが。中は保証するぜ?」
といってオーガ達は中へ入っていく。
ガットリクスとしても、もう付いて行くしかなかった。
「……どうなってるんでっか……」
かろうじてだせたガットリクスの声がそれであった。
あのぼろぼろの小屋の中に入ったら真っ白な部屋についたのである。
いくつかのテーブルと椅子、それらには青と白のきれいな布がひかれており、更に小さい容器がいくつか置かれている。
それだけでも、普通の街の中の飲食店としては高級というレベルを入るだろう。
そんな店がなぜこんな山の中にあるのか。
「いらっしゃいませ!夢味亭へようこそ!」
「おう、今日も来たぜ!!早速だがハンバーグを頼む。ビーフシチューソースでだ」
「チーズをお願いするでやんす!」
「おろしそで」
店に入った時のベルの音に反応したのだろう、金髪の女性が奥から出てくる。そして手慣れた様子でオーガたちは注文していく。
「おーい、早く座りな。あとお前さんも『ハンバーグ』でいいか?」
呆気にとられるガットリクスに座るように勧めるグルダス。
「『ハンバーグ』ってなんでっか?」
聞きなれない単語の意味を質問しつつ席に座るガットリクス。
ガットリクスは店の中が気になって仕方ないようで座っても辺りをきょろきょろしていた。
「説明いたしますわ。『ハンバーグ』とは、肉を細かく刻んだ後に丸めて固めたものを焼いたものになります」
金髪の女性が丁寧に説明してくれる。
「――肉でっか」
ガットリクスとしても、わかってはいたとはいえ思っていた肉料理だったことに少しがっかりする。
何気に山の中を登ってきた関係でもたれるような濃い肉料理はさすがに堪えると思ったからである。
「――いらっしゃいませ。よろしければお客様のご要望に合わせて作らせていただきますが」
と言って出てきたのは黒髪の青年。
「ご要望に合わせてって……無理難題言われてもやるっていうんでっか?」
「もちろん出来る範囲ということになりますが、お客様のご要望に全力で答えるのが当店のスタイルです」
戸惑うことなく答える青年。
「ほな……」
少し悩んだガットリクスは自分が夢に思っている料理の名を告げる。
「魚料理を。それも海の魚を使った料理を頼んますわ」
「かしこまりました。」
青年は、この難問になんの問題もないかのように答えた。
「海の魚やで!?出せるんでっか!?」
「はい、大丈夫ですよ?」
ありえない……。この山の中で海の魚の料理を出すことなんて無理や。
だが、なんでこいつはこんなに堂々としてられるんや……。
ガットリクスはこの青年の考えが理解できない。いやこの店の事自体がもう意味がわからない。
「――わかったわ。楽しみにしとる」
もう出たとこ勝負である。どんなもん出してくるのか楽しみにしながら店の中を再び見まわるガットリクス。
そのついでに注いでもらった水を飲んだのだが、それがまるで清流から今汲んできたかのような澄んで冷たい水であったのは、ガットリクスにとって実に嬉しい話であった。
そんなこんなで待っていると、先ほどの人間の男性と女性が合計で4枚の皿を持って再び現れた。
「お待たせいたしました。『ハンバーグ』になります」
といって、青年がオーガの方に手慣れた様子で料理を置いていく。
金髪の女性がもう一枚の皿をガットリクスの前においてこういった。
「お待たせいたしましたー。『アジフライ』になります!」




