第二話
「ではシャルニーア様、本日は実施訓練と参りましょう」
とある晴れた日の朝、俺の専任メイドであるアイシャが突然こんな事を言い出した。
すでに俺は朝風呂に入りながら朝食を七分二十秒で全て済ませた後だ。
ちょっと息切れしてるが。
というか早食いしすぎて、少し気持ち悪い。
それにしても、突然実施訓練とは。
何を実施するのだろうか?
「実施訓練とは、何を行うのでしょうか?」
「この世には、様々な魔術が存在します。例えばこの部屋に描かれた魔方陣、これはほぼ永遠に継続される魔術ですし、私が持っているこの杖にも付与という、これもほぼ永遠に継続する魔術がかけられております」
これくらいの知識は既にアイシャが専属メイドとなった当日に、徹底的に覚えこまされた。
暗記するまで寝かせてくれないんだよな、こいつ。
さて、魔方陣や付与、すなわち永続魔術はこの王都のあちこちにかけられている。
重要な施設には、建物が壊れないための魔方陣。
高い建物にはエレベータのように室内が上下に移動する魔方陣。
また王国内に存在する町の拠点同士で繋がっている転移魔方陣。
一般の家にある電球も付与魔術で作られているし、台所のコンロも付与魔術だ。
しかし魔方陣や付与魔術の動力は魔力である。魔方陣や付与魔術を描いたところで、魔力が無ければ電気のないパソコンと同じ。
全く動くことはない。
ではどこからその魔力を補充しているのか?
まず、付与魔術は使用者の魔力である。
電球を照らすには使用者が一定量の魔力を注ぐことにより明るく光るし、コンロに魔力を注ぐと火が灯る。
寒い日や暑い日もエアコンのような機能を持つ付与魔術に魔力を注ぐことにより、快適な温度を保っている。
しかしエアコンの付与魔術を動かすには大量の魔力が必要となるから、普通の人では維持できないので、大量に魔力を持っている人が代わりに魔力を注ぐような仕事もある。
そして魔方陣はこの世界に遍く広がる大気の中に存在する魔力が源だ。
周囲の魔力を消費して自動的に動くのだ。
もちろん一点に数多くの魔方陣を集中して描くと、その辺りに漂っている魔力を使い切ってしまう。
こうなると、暫く魔方陣は使い物にならなくなる。
これを防ぐ為に、ある一定の範囲に置くことのできる魔方陣の数が国によって定められている。これを破ると重罪となる。
アイシャは自身の魔力量が少ないため、こういった魔方陣を用いて魔術を行使するのが得意なのだ。
ちなみに魔力は何もこの世界に漂っているものだけではない。
この世界と薄皮一枚で繋がっている精霊界や魔界といった異界にも魔力は存在するのだ。
そちら側の魔力を使うには空間を渡って魔力を引き出す必要があるため、非常に高度な魔方陣を描く必要がある。
このような魔方陣を描く事が出来るものは、そうは居ない。
この大陸では賢者の称号を持つ二人か、ここにいる腹黒メイドのアイシャくらいであろう。
「私に何か魔方陣を描け……と言う事でしょうか?」
「いえいえ、魔方陣は非常に繊細な技術が必要です。まだシャルニーア様にはお早いでしょう」
つまり、俺のような大雑把な奴には魔方陣なんて天地がひっくり返っても無理、と暗にこの腹黒メイドは言っているのだ。
朝から晩まで一年も付き合っていれば、これくらい読めてくる。
「……では何をすれば?」
「魔術騎士隊(攻撃魔術バカ)たちが使っている魔術です」
アイシャの言葉に頬が一瞬引きつる。
魔術騎士隊はその名の通り、攻撃魔術を主体とした国の騎士団である。
戦争時には騎士団の中核をなす部隊であり、平時は災害が起こった時の治安維持や復旧作業、そして時には魔獣や魔物の討伐も行う、まさにエリート(なんでも屋)部隊だ。
ただし本来は戦争のための騎士団であるからか、攻撃魔術しか使えないものが多いし、攻撃魔術が至高の魔術である、という考えを持つものも多い。
アイシャのようにオールラウンドな魔術士から見れば、攻撃魔術バカと呼ばれている。
そしてアイシャは、大雑把な攻撃魔術ならお前でも少しは使えるだろ? と言っているのだ。
確かにとにかく魔力を集めて魔術を行使すれば、少なくとも何かしら発動する事が多いのは事実だ。
「ではどこか広い場所に移動するのでしょうか?」
攻撃魔術は文字通り攻撃を主体とした魔術である。
こんな室内でそんな魔術を行使すれば、それこそ下手をすれば屋敷が崩壊する。
うちの庭なら広いけど、父ちゃん(公爵だよ)の大切にしている庭園を壊したりすればとんでもない事態になるだろう。
となると、どこか広い場所で行う必要がある。
王都内であれば、魔術騎士団が普段練習で使っている場所があるし、冒険者ギルドの本部地下室にも同じように練習部屋があると聞いている。
王都外に出れば攻撃魔術を行使するような場所ならたくさんあるが、そもそも俺は基本的に外出禁止なのだ。
王都の町に出ることすら滅多に許可されない。ましてや王都外なんてまず即却下されるだろう。
大貴族のご令嬢って面倒だよな。買い食いすらできやしねぇ。
しかしそんな懸念を一蹴するかのように、ニヤリと口元を歪ませるアイシャ。
「私が転移を描きますので、移動は一瞬です」
「ちょっ?! 勝手に転移魔方陣なんて描いていいのかよっ?!」
魔方陣の中で特に魔力消費の大きいものが、転移魔方陣である。
何せ人間という比較的大きな物質を、空間を渡らせて遥か遠くまで一瞬で移動させるのだ。大量の魔力が必要となる。
当然、転移魔方陣なんていう魔力消費の大きい魔方陣は国によって管理されている。
勝手に描くなんて事をやれば、即座に魔術騎士団によって捕縛されるだろう。
転移魔方陣を描けるような人間は王都広しといえども、ここに居るアイシャくらいだが。
しかしアイシャは俺の突っ込みを訂正するように、指を振った。
「言い方が悪かった様子ですね。私が描くのは転移付与魔術です」
「付与魔術……だと?」
魔方陣と付与魔術の差は前述にも述べたとおり、空間に漂っている魔力を使うか、使用者の魔力を使うかの差である。
そしてその性質上、付与魔術は大きな魔力を消費するようなものには向いていないのだ。
もちろん転移などという魔術を行使するには、途方もない大魔力を消費する。
普通は付与魔術で転移なんぞやろうものなら、そのような大魔力に耐えられず失敗するのが関の山だ。
いや単に失敗するだけではなく、転移なので下手をすればとんでもない場所に飛ばされたり、あるいは首だけ転移された、といった事もありうる。
しかしアイシャは天才だ。
歴代三位の魔術士だ。
彼女であれば、オリジナルの転移付与魔術を編み出す事もできるかもしれない。
「はい、昨晩頑張って作りました」
「ドヤ顔やめろ」
お前とはココの出来が違うんだよ、と言いたげに胸を逸らしてやがる。
しかし一晩でオリジナルの付与魔術、それも転移を作るとは。
もう俺のメイドやめて早く国に仕えればいいのに。
「ではシャルニーア様、これに魔力を通してください」
彼女はそう言って、付与魔術の描かれた一枚の板を渡してきた。
それを受け取るが、自分の格好がふと気になった。
「はい、魔力を通すくらいならいいのですが……。でもこの格好で外に?」
どこにいくのか知らないけど、今の俺の格好は俗に言うジャージ姿だ。
アイシャが特別に動きやすい服をと考えた結果の服装がこれだ。
魔術講義ではこの服装が基本となっている。
私的にも、ジャージに似ているので気に入っているのだが、公爵家次女としてこの格好で外を歩くには些かまずいのではないだろうか。
ちなみ日本と違い室内でも靴を履いたままなので、歩く分には問題はない。
「問題ありません。そのお姿でも可愛いですよ?」
「別に可愛いは必要ありませんが、問題が無ければ良いのです」
「あら、可愛いは重要な事ですよ? 何せ人はまず外側を見ますからね」
……さすが腹黒メイドだ。いう事が違う。
まあいい。とりあえずこいつに魔力を注ぐか。
アイシャから渡された付与魔術のかけられた一枚の板。
それに魔力を注ぎ込むと、徐々に板が光り出す。
おっと、これって結構消費魔力が大きいな。もうちょっと流量を大きくするか。
そして一分くらい時間をかけ、ようやく板が眩く点滅しはじめた。
ふむ、さすが転移魔術だ。思った以上に魔力を消費したな。
普通の人間が持つ魔力の三十倍くらいだな。
魔力をチャージした板を、アイシャへと返した。
「さすがシャルニーア様。三十人分の魔力を消費しても平然としておられるなんて、魔力量だけは天下一品ですね」
「褒めてるのか馬鹿にしてるのかどっちなんだよ!」
「もちろん褒めております。その魔力量こそがシャルニーア様の全てですからね」
魔力量しか自慢が無い、と言ってるようなものだ。
いつか泣かせてやる!
「ではご用意はいいでしょうか? 発動致しますよ」
「いつでも良いですよ」
「では……」
<彼方より此方、此方より彼方。空を渡る術を我等にもたらせ。我等を誘え>
アイシャは綺麗な白魚のような指先で、板をなぞりながら魔術詠唱を始める。
それと共に俺はアイシャの肩を掴んだ。
転移は術者に触れたもの全てを転移するのだ。
一瞬発動直前に手を離せば面白いだろうな、とは思ったものの、その後アイシャが戻ってきた時が地獄だからやめよう。
<転移!>
呪文が完成し、最後にアイシャの魔術が発動する。
板から溢れ出た光りが二人を包み込むと、視界が歪んでいく。
そういえばどこに行くのか聞いてなかったな。
そう思ったのもつかの間、次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは鬱蒼と茂った木々だった。
今の時間はまだ朝だ。朝日が大地を照らす時間である。
しかしここは太陽の光が木々に遮られ、辺り一面薄暗い。
そして周囲に不穏な空気が漂っている。
まるで野獣の巣に放り込まれたような感じだ。
「はい、つきました」
そんな空気とは裏腹に、いつものようにアイシャが不適な笑みを浮かべつつ佇んでいた。
「ここどこだよっ!!」
「ここは大陸の東の果てにある森です。通称戦乱の闇の森と呼ばれる場所のほぼ中央部ですね」
「戦乱の闇の森って……まさか」
戦乱の闇の森。
四百年前に大陸の覇権を争った戦争が勃発した。
当時大陸の三割を支配していたファンドル王国と、大陸最強と謳われていたエイブラ帝国である。
結果的にファンドル王国が戦争に勝ちこの大陸最大の国となった訳だが、最後の戦いでエイブラ帝国の帝都を攻めた。
その決戦の場がこの森である。
四百年前は栄えた都だったが、今では鬱蒼と茂った森へと変わっている。
これは何千、何万も死者を出した帝国の、そして当時最強の魔術士と言われた皇帝の恨みが都を森に変化させたのだ。
さて、ここは帝都だった場所で、戦争に負けた帝国の皇帝が死んだ場所である。
しかも森に変化させたほどの恨みを持ちながらである。
そして俺は公爵家の次女だ。公爵家は王家の一つである。
当然当時の王の血を俺は引いていることになる。
……つまり。
「ちょおっとぉぉぉぉぉぉ!?」
俺が叫ぶと同時に、周囲には何十体ものゴーストが出現した。
「さあシャルニーア様、頑張ってくださいませ。ここなら格好の攻撃魔術の練習場ですよ? なにせ敵には事欠かないほどうようよいますからね」
「うようよいすぎだよっ!!」
「ほらほら、早くしないと死んでしまいますよ? あなたの血を恨んだ亡霊に殺されたら、死後すら安らかに眠れませんよ」
「他人事のように言うなよ!」
「普段なら私も攻撃されるでしょうけど、今はシャルニーア様という宿敵の血の持ち主がおりますから、私はむしろ安全ですよ?」
俺は泣きながら攻撃魔術を乱舞した。
これは十四歳の小娘に翻弄される元三十五歳のおっさんの物語である。
(おぉ、我が積年の恨み、ここで果たして見せようぞ)
「あら、エイブラ皇帝のお出ましですよ? さあシャルニーア様、ファンドル王家に連なるものの責務として、当時倒しきれなかったあの亡霊を倒してしまいましょう」
「鬼かあんたはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」