第一話
(ん……眩しいな)
窓から煌めく朝日が、目を射抜くように差し込んできた。
半分だけ目を開けると、窓から白く輝く光が横に、そして真上の天井に描かれている五紡星の魔方陣が視界に入ってくる。
(朝か……)
半分まで開けていた目を更に開いていく。
目を完全に開くと同時に天井の五紡星が輝きだし、その光が俺の大きく開いた漆黒の目に飛び込んでくる。
五紡星のエネルギーが目を通して身体中へと伝わると、体内に眠っていた魔力が活性化し始めてきた。
寝たまま暫く横になっていると、疲れきっていた身体に力が漲ってきた。
十分も経っただろうか、身体の隅々まで魔力が活動すると、俺はベッドから起きあがった。
長い黒い髪が寝汗をかいた身体に纏わりつく。
(ふぅ、長い髪ってどうしてこんなにうざいんだろ。短くしたいよな)
髪を短くするのは親から禁止されているからどうしようもないのだが。
シャワーでも浴びたい気分だが、お付の専任メイドが来るまでには暫く時間がかかるだろう。
(窓を開ければ少しは涼しくなるかな)
薄いベージュの寝巻き(これを脱げば下はパンツ一枚だけだ)の上に、これまた薄いジャケットのようなものを羽織ると、俺は窓の側へと歩いていった。
寝巻きのまま他人の目に晒すわけにはいかない。
上だけでも何か羽織れば、窓からなら全身は見えないはずだ。
(昔ならこんな事は全然気にしなかったのだけどな)
昔なら……。
そんな俺は元三十五歳のおっさんである。
酒の飲みすぎで肝臓を悪くして、それでも更に飲み続けていたある日、突然目の前が真っ暗になったのだ。
そして気がつくと当時三歳の、この少女となっていた。
転生という奴なのかは不明だ。何せ気がついたら三歳のガキだったからな。
もしかすると本来の少女の身体を乗っ取ってしまったのかも知れないし、転生して三歳になった途端、記憶が戻ったのかもしれない。
乗っ取っていた場合、可哀想とは思うもののどうしようもなかったが。
死んでしまったのは多少ショックはあったものの、結婚もしてなかったし両親も俺と同じく酒好きで早死にしていたし、一人弟は居たものの既に三十歳。
俺が死んでも問題はなかっただろう。
唯一心残りがあるとすれば、ボーナス全て突っ込んで買っておいたモンラッシェの超高級白ワインが飲めなかった事くらいだ。
いつか奇跡的に結婚出来た時に飲もうと封印してたのにな。ちくしょうめ。
いや、今の家柄なら大人になればモンラッシェクラスのワインなら飲み放題かも知れない。
なにせ今の俺は公爵家の次女なのだから。
窓を開けると眼下には広い庭が広がっていて、既に朝早くから起きていたメイドたちが一生懸命掃除をしていた。
左下には、父ちゃん(公爵のことだ)が大切にしている大きな庭園が見える。
それらをぼーっと眺めていると、俺の視線に気が付いた何人かのメイドがこちらを見て、一礼をしてきた。
それに小さく手を振ってあげると、メイドたちが嬉しそうにしているのが見えた。
「シャルニーア様、今日も可愛らしいお姿ですよね」
「本当に、まるで古の聖女様のよう」
「私たちのようなメイドにも、お気軽にお手を振っていただけるなんて光栄ですよね」
そんな声が俺の耳に届いてくる。
魔力を活性化させた俺の耳は、例えるならデビ○イヤー。
流石に一キロ離れた場所に落ちたピンの音は拾えないけど、それでもかなり高性能だ。
(それにしても)
と、自分の手を見る。
生前とは打って変わって小さい手だ。
こんな大きさじゃ、酒瓶の一本すら片手で持てないだろう。
最初は公爵家のご令嬢だから働かずに贅沢し放題、酒飲み放題だぜひゃっはー、と思っていたけどそれは甘かった。
朝から晩まで勉強と習い事づくし。
王家の歴史から貴族のお作法まで徹底的に詰め込まされた。
あんなに勉強したなんて、大学受験以来だったな。
幸いなぜか言葉はある程度理解できたから良かったものの、所詮は三歳児。
うまく話す事が出来ず、最初はとても苦労した。
そのまま暫く涼しい風に当たっていると、ドアのノックされる音が聞こえてきた。
「シャルニーア様、お目覚めでしょうか?」
この声はアイシャだ。俺の専属メイドで、且つ教育係も兼ねている。
アイシャ=レクトノリアは子爵家の長女であり、一年前に王立ファンドル魔術学園を若干十三歳で飛び級卒業した才女だ。
しかも三百年も続くファンドル魔術学園において、歴代三位という成績を打ち立てた大天才でもある。
当然卒業時の席次は主席である。
魔術学園を主席で卒業したものは、魔術騎士隊、或いは賢者シャローニクスの弟子、もしくは宮廷魔術士になるのが通例である。
彼女の才能を持ってすれば、魔術騎士隊であれば騎士隊長、シャローニクスの弟子になればこの大陸で三人目の賢者の称号を得、そして宮廷魔術士であれば筆頭になれるだろう、と言われていた。
しかし彼女はそれらを全て蹴って、なぜか公爵家のメイドになった変わり者だ。
確かにうちはファンドル王国の御三家と呼ばれる公爵家であり、四百年十五代続く王国で八人の国王を輩出した御三家筆頭の家柄だ。
メイドですら、貴族の関係者でなければなれない。
況や公爵家の次女である俺、シャルニーア=フォン=ファンドルの専属メイドであれば、まさにメイドの花形であろう。
しかし魔術騎士隊、賢者の弟子、宮廷魔術士と比べれば就職先のランクでは格段に落ちる。
どうしてそんな才媛がファンドル公爵家のメイドになったのか?
一年前うちのメイドになった時、世間では公爵家が将来国王(俺の兄が王位継承権第一位)を排出したときの后候補、公爵家の闇の部隊(実際はそんなもの無いが)に入った、シャルニーア様(俺の事だぜ?)の美貌に惑わされた、等などゴシップニュースとして流れたものである。
最後のは絶対違うだろ。
そうは思うものの、部屋に立てかけられている大きな姿見、それに映る自分の姿。
確かに十歳という幼い少女ではあるが、将来とてつもない美人になると予想される。
儚げな顔つき(面倒くさくてつまらない表情のつもり)。
透き通るような白い肌(滅多に外へ出してもらえないからな)。
整った小さな顔立ち(貴族ってイケメンや美人多いし、ましてや貴族の最頂点である公爵家の次女なら美人になるだろ?)。
大人しく誰にでも優しい(一応十歳のガキだし、大人には敬意を払わないとだめだろう)。
そしてトドメは大量の魔力保持者(転生のボーナスかね?)。
中身は元三十五歳のおっさんんだが外見と愛想だけは良いため、メイドたちの間では深窓のご令嬢、聖女などと囁かれている。
俺は何をやっているんだ、とたまに自己突っ込みしてしまうが、生前の暮らしとは雲泥の差であるため、この生活をなるべく続けるべく我慢して、愛想を振りまいている。
さて、俺は非常に魔力が多い。
掛かりつけの医者に、まさに神のような魔力量、と驚かれたものの、あまりに多すぎるためか自分で魔力を練る事が今のところできず、ああして天井に五芒星を描いて貰って対処している。
あー、もう面倒くせぇ。
魔力なんて生きていく上で必要な分だけあれば十分なのにな。
っとと、アイシャが部屋の外で待っているんだっけ。忘れてた。
「はい、アイシャ。少し前に起きました」
「失礼します」
俺がそう応えるとドアが開き、黒のメイド服に身を包んだ美少女が一礼をして部屋の中に入ってきた。
身長は高くも無く低くも無い、十四歳の少女としては平均的だ。
ただ残念ながら、身体の凹凸は少ない。
まあ俺から見れば十四歳なんぞ子供だし、興味は無いが。
……ほ、本当だからな?
ただしルックスは、結構可愛い。正直AKなんとかに居たとしても上位に入るレベルだろう。
普通の若い男なら彼女の笑顔一発で落ちると思う。
長い金色の髪をカチューシャでうまく纏めていて、手には魔術士の証である杖を携帯している。
メイドなら箒じゃね? とは思うものの、彼女の履歴からすれば杖がぴったりなのだろう。
そんな美少女の黄金色に光る目は不遜とも言えるほどに冷たく、まるで俺を実験動物のように見据えていた。
そうなのだ、彼女の本心はどす黒い。
それは俺だけが知っている事実である。
「シャルニーア様、今日も魔力が一段と素晴らしく練られておりますね。このアイシャ、感服いたしました」
天才アイシャ。
学園歴代三位の魔術士である少女。
この天井に描かれた魔方陣も彼女が書いたものだ。
他人の魔力を自動的に練るような魔方陣など、アイシャ以外では賢者シャローニクスしか到底描けないであろう。
そしてそんな彼女の唯一の欠点はその魔力の少なさ。
彼女は普通の人の半分しか魔力がないのだ。
人間には一定量の魔力があり、それは幼少の頃から普遍である。
どんなに訓練しようが魔力量は増えたり減ったりする事はない。
そして強大な魔術を行使するほど、必要な魔力量が増えていく。
魔力を練ることにより必要な魔力量を減らすことは出来るが、限度はある。
彼女は半分しかない魔力量というハンデを背負っているにも関わらず、歴代三位の魔術士となった。
もし彼女が普通の人並みに魔力を持っていれば、どれほどの魔術士となるだろう。
そして彼女が俺の専任メイドとなった理由は、まさにこれだ。
俺は魔力が多すぎてうまく練ることすらできない、例えるなら大排気量のスーパーカーに乗っている素人である。
彼女は少ない魔力を非常にうまく練って高度な魔術を行使する、例えるなら軽自動車に乗るF1ドライバーだ。
もし俺の魔力とアイシャの持つ魔術の技が合わされば、どれほどの魔術が使えるだろうか?
彼女は既に自分の魔術の限界を感じていて、それを俺に託してきているのだ。
彼女のもつ全ての技を俺に伝授するために、専属メイドになったのだ。
だからこそ、平気でこんな事を言ってきやがる。
「ではシャルニーア様、今日も深夜まで魔術を徹底的に完璧にお教えいたしましょう」
形上は恭しく言っているものの、その可愛い顔には薄ら笑みを浮かべている。
彼女がこんな顔をするのは俺の前だけだ。
今日も地獄が待っているのか……。
アイシャは猫を被るのがとてもうまい。
うちの父ちゃん(公爵だよ)もそれに騙され、すっかりアイシャに惚れ込んで、俺を徹底的に教育してくれと頼んでいるのだ。
そしてこの一年間、俺は天才アイシャに魔術を叩き込まれている生活が続いている。
その甲斐あってか、多少は魔術を使えるようになったけど。
「えっと、あの、その……できれば先にお風呂と朝ごはんにしたいなー、なんて思ったり」
照れた様に首を傾げ、更に手をもじもじとさせる。
殆どの人は俺のこの姿を見ればイチコロだ。
でもアイシャには全く効き目はない。
「五分でお済ませくださいませ」
「どんなカラスの行水だよ?! 五分じゃ朝飯も食えんわっ!」
「シャルニーア様、お言葉遣いが乱暴ですよ? 世間の人に知られたらどのような噂が流れることやら」
「アイシャだってそんな顔つきしてたら、世間の人が幻滅するぞ?!」
「私はシャルニーア様とは異なり、単なるメイドですから問題はありません。それに私はシャルニーア様のためを思って諫言をしております。公爵家次女としての立場をお考えくださいませ」
「あーいえばこーいう! アイシャって心が荒んでいるぞっ!!」
「ほらシャルニーア様、あと四分ですよ?」
「既にカウントスタートしているのかよっ! さくっと浴びてくらぁ!」
「お風呂場に朝食はご用意させて頂いておりますので」
「酒もついでに用意しろよ!」
「十歳のお子様にはまだお早いです」
「ちっ、アイシャ以外にはこんな事言えないけど、俺はとっくに成人してるよ? 酒飲ませろ!」
「私もシャルニーア様以外にはこんな事言えませんけど、不良娘はジュースで我慢しなさい」
これは十四歳の小娘に翻弄される元三十五歳のおっさんの物語である。