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第十八話



「そういえば以前私の魔術をキャンセルしたことがありましたよね?」

「それがどうかしましたか?」


 とある曇りの昼間、俺はワイナースとワイン職人の人材募集で打ち合わせをしていた時、ふと唐突に思い出した事があり目の前の男に質問してみた。

 真祖吸血鬼ワイナース=アーマイン。

 二千年を生きる吸血鬼であり、そしてワイン造りが趣味で、数百年間も城の地下に引きこもってワイン造っていた変な奴だ。

 こいつの造るワインは極上、の一言であり、まさしく飛ぶように売れている。

 うちの財政は偏にこいつの造るワインの売り上げにかかっている、と言っても良いくらいだ。

 ただし、今は在庫を売っている状態である。

 ワインを造るにもこいつ一人だと、やはり生産能力には限界がある。

 このため、こいつの下に何人かつけてワイン造りを覚えさせ、より生産力を上げようとしているのだが、なかなか進まない。


 ちらっとワイナースの姿を見る。


 薄暗い室内でもこいつの赤い目は爛々と輝き、口元には二本の鈍く光る牙。

 整った顔立ちが逆に迫力を増している。

 うん、普通に怖い。

 何人かワイン職人希望の人材をこいつに紹介したのだが、半分は悲鳴をあげて逃げ、残りの半分は腰が抜けて立てなくなってしまった。

 そりゃこんな怖い奴と一緒に働くのは嫌だろうなぁ。

 シレイユとアイシャにも一度会わせた事がある。

 さすがに二人は逃げもせず普通に会話をしていたが、若干言葉が震えていたっけ。

 あの方と一人で会話する勇気はありません、とアイシャは後に語っていた。

 職人を募集する前に、こいつのイメージアップから始めないとだめかな。

 ちなみに職人たちに逃げられた日、どうせ吸血鬼なんて怖がられてナンボの存在ですよ、と部屋の隅でいじけてるワイナースの背中には哀愁が漂っていたな。


 それはさておき。


 こいつと初めて会った日、俺の自慢の魔術障壁が跡形も無く消された事があったのだ。

 何百というゴーストに突撃されても、アイシャやシレイユの魔術をまともに喰らってもびくともしなかった魔術障壁が、あっさりと一瞬で消されたのだ。

 一体どうやって消したのか前から疑問に思っていたけど、つい聞きそびれていたのだ。


「その技を教えていただきたいのですよ」


 言ってしまえばインクを使って紙に書くと言う行為。

 書く前にペンを握っている手を揺らしたり、あるいはインクを隠したりすることで書く行為の邪魔をすることは可能だ。

 また書いた後でも、紙ごと燃やしたりまるめて捨てたりするのも可能だ。

 しかし文字そのものを消しゴムなどで綺麗に消す事はできない。

 魔術も発動する前の状態であればジャミングさせて発動出来なくする事は可能だし、発動後でもそれ以上の力を持ってして壊すことは可能だ。

 しかし一度発動した魔術そのものを消し去る事は不可能である。

 でもこいつはそれをやってのけた、しかも一瞬で。

 もし俺がその技を使えるようになれば。


 ……アイシャに自慢できる!


 貴様の魔術など我が前では子供の児戯に過ぎぬわ。

 なんて上から目線で言ってみたい。

 我ながら小さい目標だと思うが、非常に重要な事である。ぜひともワイナースからこの技を伝授して使えるようになりたい。


「簡単な事ですよ。事象に干渉させて、無かったことにしただけです」

「事象に干渉?」

「簡単に言ってしまえば、魔術発動する直前に遡って発動させなくしている、と言う事です」


 な、なんだってー?!

 それって、過去・・に戻って魔術発動の邪魔をした、って事?


「つまり過去に戻った?」

「端的に言えばその通りです、シャルニーア嬢」

「……時空魔術」


 時間を跳躍する伝説の魔術だ。

 未来ならば、極端に言ってしまえばコールドスリープで百年寝てしまえば、寝ていた本人は百年後に跳躍した事になる。正確には跳躍ではないが。

 また光の速さで動けば特殊相対性理論により本人の時間はほぼ止まった状態になる。そのまま百年動いていれば、これも跳躍したと同等の意味になるだろう。

 だが過去に戻ることは?

 タイムパラドックスとか難しい話になるから俺の頭では考え付かないが、もしワイナースがこれを使えるのなら。


 もしかすると、死ぬ前に戻る事だって可能ではないか?


「時空魔術とは少々異なりますが原理は同じですな。私の場合は魔術発動という限定的な事象のみ特化しているという事ですな」


 魔術が発動した、という事象のみ過去に遡ってキャンセルかけた?

 難しい。


「よく分かりません」

「魔術とは世界と契約して改変するものです。ならばその契約内容・・・・はどこかに記録されているとお考えになればいかがでしょうか?」


 過去ログ漁って、俺が起こした魔術の内容を消したってこと?

 過去ログなんだから、それ消したって現在発動している魔術には影響無い気がするんだけど、違うのか?

 まあそれはもうどうでもいい。


「何となくわかりました。ならばもう一つ」

「何でしょうか?」



「過去の自分に戻ることは可能ですか?」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 壁に富士山の絵が描かれている風呂、湯気でそれが見え隠れしている。

 少しぬるめの湯に浸かって一時間、芯まで温まった身体が気持ち良い。

 やはり風呂は良いものだ。

 以前の自分ならシャワーで洗い流すだけだったが、この身体になってから浸かることの喜びを覚えた。

 この大陸は暖かい気候なんだけど、冷え性な身体なのか手足が冷えるんだよな。

 両手で顔にお湯をかける。

 ちゃぽん、と水の撥ねる音が風呂場に響くと同時に今日のワイナースの言葉も頭の中に響き渡った。


──極めれば可能かと。


 極めれば可能か。

 ワイナースが言うには、アカシックレコードと呼ばれるものを改変すれば可能になるらしい。

 アカシックレコードってあれだろ? 魂が記録されている膨大な量の本。

 人が生まれた時から死ぬときまで全て書かれている、想像上の産物。

 時空魔術とはそれを改変する魔術だそうだ。

 ワイナースの魔術限定でキャンセルさせる技も、アカシックレコードの魔術版というべきものを改変しているらしい。

 魔術という限定的な事象のため記録量もアカシックレコードに比べれば遥かに少なく、そして目の前で発動している魔術だからこそ検索もしやすいそうだ。


 しかしアカシックレコードは違う。膨大な量の中から個人を特定し、更にはそれを改変させるだけの技量が必要になる。

 ワイナースは遥か昔、アカシックレコードの中から自分の記録を探し出し書き加えたそうだ。

 死んでから真祖吸血鬼になった、と。

 書き加えた瞬間、アカシックレコードは矛盾を消すため、真祖吸血鬼になったワイナースの記録が勝手に追加されたそうだ。


 一番最後に追記させる、という単純な事ですらワイナースは成功したのが奇跡のようなものだったと言っていた。

 そしてもう一度やれと言われても不可能だろう、と。


 逆に言えば、アカシックレコードを自由に改変できるようになれば、それこそ新世界の神にだってなれるのだ!


 まあ無理だろうけど。

 ……そろそろ風呂出るか。

 湯船から出て柔らかいタオルに包まれながら濡れた身体を拭き、魔術で温風を手から出して髪を乾かす。

 髪の先端を目の前に持っていく。

 んー、長くなってきたしそろそろ髪切るか。あとでメイドたちに頼んでおこう。

 髪を乾かした後、パジャマに着替えて脱衣所を出る。


「シャルニーア様、今日はごゆっくりでしたね」


 部屋にはアイシャが待機していて、冷たい水を差し出してきた。


「うん、ちょっと考え事があって」

「お珍しい。考え事とは?」


 あれからワイナースに俺の前世の事を話し、その上で再び前世の世界に行くことができるか、と尋ねた。

 その答えは不可能。

 全く。昔に戻ることができれば、棚に仕舞ったままのワインを飲めたのになぁ。


「運命と言うものは色々とややこしいですね」

「そうですね」


 アカシックレコードはあくまでこの世界の記録であり、他世界の事柄については何も触れられていなかったそうだ。

 ではどうやって俺はこっちに来たのだろう。

 偶然か、はたまた神のような存在が戯れに俺を呼んだのか。


「運命に逆らって改変したいものです」


 別に昔の自分に戻りたいとは思わない。今の世界も何となくだけど好きだしな。

 だが、もしやり直せるなら女じゃなく男がいいよな。

 そうすりゃ、こんなひらひらの可愛いパジャマとか着なくて済むし。

 最近そういう自分が気にならなくなってきた、という事実も怖いけど。


「私も運命とやらに抗ってみたいものです」

「アイシャも?」

「ええ、私にも色々とあります。だからこそシャルニーア様には私の魔術、知識全てを託したいのですよ」

「そ、それは無理なんじゃないですか。私、賢くないですし」

「それでもです。さあ、そろそろ寝ないと明日のお仕事に響きますよ」


 そのままアイシャは俺の首根っこを捕まえて、ベッドに投げられた。

 何と言う怪力女だ、こいつ。魔術で強化しているんだろうけど。


「ちょっ!? 俺は荷物じゃねぇよ!!」

「シャルニーア様はやれば出来る子なのですから、もっと頑張ってくださいませ」

「これ以上やったら死ぬよ?」


 午前中は仕事、午後は街の中を視察したり裁判やったり、そして夕方から夜まで打ち合わせ、その合間にアイシャの魔術講習である。


「まだ限界は突破しておりません」

「限界突破したら死ぬってことじゃん!」

「その先に何か見えることがきっとありますよ」

「過労で倒れて三途の川が見えそうだよ」

「三途の川? そのような名前の川などありましたでしょうか?」

「何でもない。じゃあ寝るよ、おやすみアイシャ」

「はぁ……? ではおやすみなさいませ、シャルニーア様」


 アイシャはベッドに潜り込んだ俺に一礼をして、部屋の電気を消し外へと出て行った。

 その時、ぽつりと呟いた声が俺の耳に届く。


──私は長くありませんから。




 これは十七歳の小娘に翻弄される元三十五歳のおっさんの物語である。




「何この最終回目前のセリフは?」

「空耳ですよ」



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