第十一話
まだ夜も明けきらぬ暗闇が支配する時間、俺は屋敷とレストランを結ぶ渡り廊下を歩いていた。
レストランは屋敷の庭の一部にあるが、二階同士で繋がっているのだ。
なぜわざわざ渡り廊下などと結んでいるかといえば、貴族の屋敷なのに家に来客用の食堂が無いのはダメなんだそうだ。
廊下でつなげりゃ良いのか、って思ってしまうけどこれで問題ないんだって。
よく分からない世界だよな。
さてここは日本とは違う異世界。夜はものすごく真っ暗である。
正直今も目の前すら殆ど見えないほど暗い。
でも俺はどこにもぶつからずに、すたすたと歩いていたりする。
もちろんランプなんて持っていないし、赤外線スコープなんていう便利なものもない、ましてやファンタジーでお約束の暗視能力など普通の人間には備わっていない。
その理由だが、コウモリをご存知であろうか?
あいつは周りに超音波を出し、それが反射され返ってきた場所に何らかの障害物がある、と認識して空を飛んでいるのだ。
それを真似して、俺も回りに魔力を出しまくって認識をしていたりする。
魔術、というには少々原始的ではあるし、超音波とは違い音速並みに魔力を噴出している訳でもないので歩く速度は落ちるが、十分実用的に仕上がっている。
一度自慢げにアイシャへ見せびらかしたら、そこまで無駄に魔力を垂れ流しながら歩くなんて芸当、大陸広しと言えどもシャルニーア様以外には出来ないでしょう、と皮肉を言われたっけ。
その後、でもアイデアは良いですね、と言って翌日改良版を凹凸の少ない胸を逸らしながら自慢された。
わずか一晩でさっくり改良してくるとは、これだから天才って奴は、けっ。
ちなみに改良版は魔力ではなく、空間湾曲とか何とかいう奴で近くにある物質を判断しているらしい。
よく分からんがとにかく凄そうだった。
一応改良版の魔術も覚えたけど、意地になって未だにこれを使っているのは些細な抵抗だと思って貰っていい。
そうして歩いていくと、渡り廊下のレストラン側にたどり着いた。
もちろん渡り廊下とはいえ出入り口には扉があり、鍵がかかっている。
そうじゃないと、誰でも自由に入れるからな。
鍵といっても普通の鍵ではなく、魔力の指紋のようなものを認識して開くタイプの鍵だ。
現代版の網膜スキャンみたいなものだと思う。
扉の取っ手に登録している人の魔力を少し注げば、自動的に開くのだ。
俺は魔力を少しだけ注いで扉を開け、レストランの二階へと入っていった。
このレストランは一階が客席、二階が厨房になっている。
その厨房の奥、休憩室へと移動して扉を開けた。
案の定、布団が敷かれてそこに女の子が一人可愛い寝息を立てて寝ていた。
レイラ。
うちの料理長だ。
シレイユと同じ二十二歳であり、そして魔術学園を卒業したアイシャやシレイユと同級生である。
ただしかなり童顔であり、二十二歳にはとても見えない。
十七歳のアイシャと並んでも同じくらいに見える。
そして残念な事に凹凸もアイシャに似ている。
そんな彼女の側まで静かに近寄ると、頬を指先で軽く突いた。
何となく芸能人の寝起きを撮る番組を思い出すな、これ。
「ん……」
薄っすら目を開けたものの、そのまま再び眠りの世界へと落ちそうになるレイラ。
こいつは反応可愛いな。二十二歳とはとても思えない。
「レイラ、そろそろ起きないと朝食に間に合いませんよ」
「んー……あとごふん」
「いえいえ、そろそろ起きて頂かないと困ってしまいます」
「あぅ? あれ、しゃるにーあさま?」
「はい、シャルニーアですよ。おはようございます」
上半身だけ起き上がるレイラ。
徐々に視点が合って来て、次第に覚醒し始めてくるのが分かった。
「え? ええっ?! シャ、シャルニーア様! おはようございます!!」
「おはようございます。またここで寝ていましたね」
レイラの部屋はレストラン内ではなく、外にある使用人のアパートっぽい所にちゃんとあるのだ。
でもこいつは、深夜までずっとレシピを考えたり、新しい料理を作ってみたりと、かなりの努力家だ。
料理に対する愛情はたくさんあるのだが、そのためか風呂にもあまり入らず休憩室を寝室のように扱っている。
女子力が高いのか低いのか分からない奴ではある。
「あっ……。申し訳ありません!」
「責めている訳ではないですよ? でもこのような所で寝るのではなく、ちゃんと自室で寝てくださいね」
「はい! 分かりました!!」
返事は良いのだが、きっと今夜もここで寝るんだろうな。
「でも今日はどうなされましたか? もしかして限定販売の料理を作る為にお越しいただいたのでしょうか?」
俺はたまに作った料理をレストランで限定販売する事がある。
料理と言っても簡単なサンドイッチだが。
しかしながら、領主が作っているのが珍しいのか意外と売れ行きは良い。
特に村人リーダーAが、毎回買って行くらしい。
未だに名前すら知らないけど、あいつもそろそろいい年なんだし結婚すればいいのに。
「今日はレイラにお願いがありまして」
「シャルニーア様があたしに?」
「レイラはホワイトリカーというものを知っていますか?」
ホワイトリカーは焼酎の一種で、味が殆どしないアルコール度の高いものだ。
田舎のばーちゃんがよく作ってくれた梅酒の材料でもある。
そして俺が唯一覚えている酒の作り方でもある。
青梅と氷砂糖を瓶に入れてホワイトリカーを注いで封をして、涼しい場所に一年くらい放置するだけの簡単なお仕事なのだが。
「いいえ、何でしょうかそれは?」
「アルコールを何度も蒸留させて、度数を高くしたものです。味は殆どしないのですが、逆に言えば自分好みに染められるものですね」
「なるほど、新しいお酒をお考えですか」
目がきらきらと輝きだすレイラ。
こいつは、こと料理についてだけは非常に貪欲だ。
酒も料理の材料になるしな。
しかも俺が昔芋関係のレシピを教えたとき、ものすごく感動して俺の事を非常に尊敬するようになった。
それ以来、料理に関するレシピを教えるとき、目が尊敬を帯びたように俺を見るようになった。
教えたレシピなんて別に俺が作ったわけじゃないから、何となく後ろめたさがある。
そんな目で見ないでくれ。辛いよ。
「その通りです。そしておいしいお酒は、お料理の前に軽く少量を飲むことによって、より食欲が増大する効果があるのですよ」
「食前酒、というものですよね」
「そしてレイラには、このホワイトリカーを造ってほしいのです」
「あたしが、ですか?」
そして俺は魔術ポーチから蒸留させるための道具を取り出した。
これは昨日、トイレに行くと嘘をついて王都まで跳んで買ってきたものだ。
金は数年前に五本の酒を買ったときの釣りである、銀貨五十枚だ。
使う機会も無いまま手元に残ったままだったのだが、初めて役に立った。
「まずは安物のお酒をたくさん買ってきてください」
「安物でいいのですか? どうせなら高いほうがいいと思うのですが」
「どうせ蒸留させますので、どちらかといえば味の薄い安物のほうが良いのですよ。そして、買ってきたお酒をこの鍋の大きいほうへと注いで沸騰します」
「沸騰? お酒を沸騰させるのですか」
「はい、そうすると蒸気がこの管を通って小さいほうの鍋へと移動していきます。次第に小さいほうの鍋にも水っぽいものが溜まっていきますので、沸騰し切ったあと取り出して貯めて置いてください。これを三回くらい繰り返します」
「なるほど、こうやってどんどん純度の高いアルコールが出来ていくのですか。勉強になります!」
さすが魔術学園卒業生、理解が速い。
「ただし、出来上がったものは決して舐めたり飲んだりしてはいけませんよ? かなり度数の高いアルコールになっているはずですから」
「わかりました!」
「一週間後にまた伺いますので、それまでにお願いしますね」
「お任せくださいませ!」
「ではお願い致します」
そして俺は休憩室を出て、再び屋敷へと戻っていった。
これで作戦の第一段階は終了である。
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「おはようございます」
「あ、おはようございます、シャルニーア様! 今日はハルではないのですね」
屋敷を出て畑へと足を伸ばすと、農作業をしていた村人リーダーAを発見したので声をかけた。
次はこいつだ。
「はい、少々あなたに用事がありまして」
「俺に? シャルニーア様が?! な、何でも引き受けます!」
ものすごく興奮しているよ。
用事を頼むのに、何故そこまで喜ばれるのだろうか?
俺なら面倒くさい、って思うのにな。頼むほうとしては楽でいいのだけれど。
「実はですね、蔵を作っていただきたいのです」
「蔵……ですか?」
「はい、大きさは一メートルもあれば十分です。そして出来るだけ川に近い森の中が良いですね。中は風通しをよくして、暑い日でも内部は涼しく出来ていれば問題ありません」
「はい! それくらいならすぐ出来上がります!」
この蔵は酒を寝かせる場所に使うのだ。
川の近くであれば暑い日でも気温は下がるし、それに森の中ならば年中木陰になっているから、蔵自身に日の光は当たらないはずだ。
風通しも良くすれば湿度も上がりにくいだろう。
この世界、季節というものが殆どないのだ。年較差はせいぜい十五度無いくらいである。
体感的には一番寒い時期でも十五度以上あるし、一番暑い日でも三十度は無い。
南国にいる感じである。
「それともう一つ、果物類をいくばくか分けて頂きたいのです。数はそこまで必要ありませんが、その分種類を多く頂きたいですね」
「その程度ならばお安い御用です。すぐお届けいたしますよ」
「今すぐではなく、一週間後くらいでお願いしますね。宜しくお願いします」
村人リーダーAにお辞儀をしたあと、俺は屋敷へと戻っていった。
これで粗方用事は済んだ。
ホワイトリカー、果物類、そして寝かせる場所。
また酒造りには砂糖も必要だが、砂糖はこの大陸では珍しくない。サトウキビがかなり生えているのだ。
平均気温が高いからだろう。
逆に塩の方が採れにくい。
岩塩なんかはあまり無く、殆どが海水から塩を作っている。
幸い俺の領地は大陸の東の端にあり、ここから海まで徒歩二日程度の距離だ。
昔は何十人もの村人たちが手押し車を押しながら海まで行って、数日かけて塩を作って戻ってきていたらしい。
でも俺が来てからは転移で簡単に移動できるようになったため、大変重宝されている。
便利アイテム扱いだけど、まあそれで楽になるのならいいだろう。
屋敷に戻る頃には日も昇り、徐々に気温が上がってきた。
自分の今の服装は黒と白のゴシックワンピースっぽい格好である。
ハルで仕事をするようになってからは、ジャージ姿ではなくこの服装で仕事をしろ、とアイシャに言われたのだ。
ジャージに比べて下半身が涼しいのは良いのだが、たまにふと我に返って何でこんな女の子っぽいもの着ているんだろう、と人生について悩むことがあるが。
また、王都では基本的にジャージかドレスで、ドレスも足首まである長いスカートだったから気にしなかったが、この服は膝丈くらいしかないのだ。
慣れない頃つい足を広げて椅子に座ってしまい、アイシャにパンツ見えてる、とよく注意されたっけ。
あれは実に恥ずかしいものである。
今でも意識しないと、つい足を広げそうになるけどな。
そしてスカートには折り目がついていて、風が吹いても捲られにくいようになっているものの、完全ではない。
こっちも風の強い日に外で歩くときには気をつけないと、派手に捲られるのである。
一度ハルでアイシャに連れられて街の巡回をした時、捲れそうになったことがあった。
咄嗟にアイシャが押さえてくれたから良かったものの、もしあの時派手に捲れて住民の目に晒されていたら、今頃俺は心に大きなダメージを負ったまま「旅に出ます、探さないでください」と置き手紙を残してどこか遠くへ行っていたであろう。
そんな辛い思い出は消し去りたい。
そうさ、あと一週間で材料は揃うのだ。
美味い酒が飲めるのだ。
ポジティブシンキングで行こうではないか!
色々な果物と砂糖(果物は糖分が多いから少なめにな)をホワイトリカーに漬けて、半年から一年くらい蔵に入れておけば、きっと果実酒が出来るに違いない。
だが、それだけだとかなり待つ必要がある。
しかし果物を適当に潰して汁を出し、それをホワイトリカーと混ぜれば立派なカクテルっぽいものになるのだ。
この二段構え!
隙はない、完璧な作戦である。
そして最終的にはどの果物が一番合うか試飲して、おいしかったものを売りに出そう。
いや、最初はレストランで無料で配って反応を見てからでも遅くはない。
そんなことをニヤニヤと考えながら、屋敷の門を二つくぐり玄関を開けると、中にアイシャが仁王立ちで立ち構えていた。
やばい、背中から何かオーラが出ている。
「シャルニーア様、どちらへお出かけしておりましたか?」
口調だけはいつもと変わらないものの、底冷えするほどの威圧感を放っていた。
そ、そういえば今何時だ?
「ちょ、ちょっとそこまで用事がありまして……」
「もう七時でございますよ?」
あ、あれ? 俺がレイラのところに向かったのは四時半だぜ?
もう二時間半も経っていたのか。
普段は六時に起きて七時にハルへ行くのだ。
やべー、時間かけすぎた!
「今からすぐハルへ行きましょう。シレイユさんがお待ちしておりますよ」
「せ、せめて朝風呂に……」
「シャルニーア様の今のお仕事はハルの経営でございます。何か実施させたいのであれば、私かシレイユさんを通してからにしてください。それに、何もシャルニーア様自身が動かなくても相手を執務室へ呼べば済むではありませんか」
「で、でも相手に頼みごとをするのに、向こうから出向かせるなんて事してはダメって、ばっちゃが言ってた!」
「誰ですか、ばっちゃって。とにかくさっさとハルに行きますよ。詳細は向こうで聞きますから、勝手に動かないように。お立場をお考えください」
「……はい」
こうして俺は一部始終をシレイユとアイシャに説明させられた。
これは十七歳の小娘に翻弄される元三十五歳のおっさんの物語である。
「お酒に果実ジュースを混ぜる事は、よくありますね」
「なん……だと?」
「お洒落っぽいし、アルコールに弱い奴も薄まるから飲める様になるしな」
「ですから先にご相談頂ければ良かったのですよ」
「せ、せっかく考えたアイデアだったのに……旅に出てもいいですか?」
「ダメです。さ、お仕事しますよ、シャルニーア様」
教訓。市場のリサーチは事前にやろう。




