知らない世界の話
ここだ、全力で蹴りだす、相手の反応よりも、もっと早く。その勢いを殺さぬよう、得物を振り抜く。ありとあらゆる切り伏せんとも言うべき鋭さを持ったその一撃が、目の前の人物を打ち据る、確かな感触を感じる。
終わり。そうか、これで。そう、崩れ落ちる相手を見て思う。夜の静かな空間に風が流れ、勝者であるメアリ・カルネジスの髪を揺らした。
彼女の師から言い渡された免許皆伝の試験。兄弟子との試合を制した今、紛れも無く彼女は一端の武芸者であると言っていい。されど、メアリの心持ちは暗い。
全てが終わり、残ったのはメアリのみだ。誰も居ない町の外れ、今から遥か昔に栄えた旧都の名残を見せるその場所の、年月に晒され色褪せた石造りの橋の上。先程の試合の場として用いられたその場所で、メアリは手摺から身を軽く乗り出し、片手に長剣を携え、橋の下を流れる川を見つめていた。
此処から飛び降りれば、開放されるだろうか。
ふとそんなことを思う。無論思うだけに過ぎない。自分が目を背けていたからこうなったのだ。寧ろ此処まで自由にしてくれただけ十分だろう。世間一般のことからすれば破格のことなのだ。
そう、無理に自分を納得させようとする。
「もしやと思って来て見れば、いや良かった。まだいらしたようだ」
ふと背後からそのような声がして、メアリは得物を手にして振り返った。
見ると、知らない男である。月が雲に隠れ、碌に顔も判別できないが、無論警戒に越したことは無い。一挙一動を見落とさぬよう、相手を睨む。
男の方も大層な胆力の持ち主のようで、そのようなメアリの眼光に怯えることは無かった。が、流石に誤解を解く必要性程度はあるように感じたらしい。
「ジェラルド・ディックと申すものです、偶然先程の打ち合いの観客だった詩人崩れですよ」
間髪入れず答える。
「その詩人崩れが何の様だ」
「いえ、大したことではありません、故郷の帰り道に出くわしたに過ぎません故」
滑らかで、透き通るよう。そして落ち着いた調子の声。詩人と名乗るあたりは嘘では無いらしい。などとメアリも思う。思ったところで、雲が晴れ、月明かりがゆっくりと辺りに満ちる。相手の顔が浮かび上がる。月明かりに照らされたそんな顔もまた、美丈夫という表現が適切であろう。
「ふん、このような夜更けを選んで行くとは、ご苦労なこと」
まあ、見た目の印象はともかくとして、怪しいものは怪しい、刺々しい対応を続ける。
ジェラルドの方はというと、仕方ないと言うかのように肩を竦めつつ、
「まあ、仕方ありませんか。私の方は少し話しでもと思っただけなのですがね。……此処から先は独り言ということで、一つ」
「いいのか、故郷への道のりは」
少しだけ、つっけんどんな態度を解く。演技かもしれんぞ、と心の中で諌める声が上がる。しかし、それを無視できる程度に、今の言葉には実感が篭っていた。どこか、身近にあるような感覚。
「何分連れもいない旅でしてね。聞き手のいない詩人ほど悲しいものは無いでしょう」
相手の言葉を聞いていると、次第にそのような感覚に飲まれて、ついついメアリは反応してしまう。
「詩人崩れでは無かったのか」
「最後の花、という奴ですよ、捨てきれない未練ととってもいいですが」
少々投げやりな言葉だった、なおも続ける。
「突然両親からの召集を受けましてね、今更家督を継ぐ気などさらさら無いというのに、長男というのはこれだからいけません」
メアリの方も、もう口を挟もうとはしない、言葉の端から感じられる彼の背景に、うっすらと自分を重ねつつ、ただ聞き続ける。
「政略結婚の話まで上がっているそうでしてね。家の中での話ならまだしも、他の家まで巻き込むとは……いえ、両親も私のことをよく分かっているようですね。こうすれば帰って来る、という線に乗せてくるのですから」
さて、とジェラルドは一呼吸置いた。
「独り言はこんなところです、お付き合いいただき、どうも」
そう、どこか寂しさのようなものを漂わせながら、結ぶ。
初対面の相手にそんなことまで話す、目の前の人物を見て、メアリもどこか気が変わってきた。どうせ自分に先など無いのだ、なら此処で言ってしまってもいいのではないか。
「独り言といったな、では私もそうだな、妙な事を口走るようだが、気にしないで頂きたい」
「ええ、勿論です」
「自分は所謂手に余すような存在だったそうでな。家には居場所が無かった。こんな棒振りなんぞしているのも、始まりはそんなところだ。稽古に打ち込んでいる間は色んな事を忘れていられたものだ」
少し前の自分では明かすなどと考えられない、そんな話。自分とは比べ物にならないような相手がいて、それは血筋から見ても、能力から見ても。自分の存在意義なんて無いようなもので、それどころか居るだけで母の名すら汚しているようで。
不思議と恥ずかしさなどは無い。あるのは諦観に似た、冷めた感情。
こんな扱いの果てにあるのが政治利用なんて、恨み言の一つ位言ったって、天罰は食らうまい。
それでもメアリは、その辺りまでは悟らせるつもりはこのときは無く、話を変えた。
「まあその実、道場でも私は疎まれていたようだがな。免許皆伝の儀はそれほど頻繁には行われない。先の無い自分が勝つべきでは無かったのだろうがな」
「先の無いですか……いえ、申し訳ありません、独り言でしたね」
「構わんさ、私も似たことをやったしな。お前に似ているが、私のほうも政略結婚という奴だ。早い話が厄介払いなのだろうな。買い手の付かなくなって、いよいよもって穀潰しになる前に売り払ってしまおうと言うことなのだろう」
私にどうにかすることは出来たのだろうか。出来たかも知れない。そうでは無いかも知れない。
あるいは、やらなかったのかもしれない。そんな発想も、奪われていただろうか?
「お互い、妙なものを抱えていますね。全く」
「その通りだな。いっそこの橋から飛び降りてしまおうか」
半分は冗談、半分は本気である。身一つで生きていけるとは思ってはいないのだが、開放されて野垂れ死ぬのと、このまま先行きが分からない生活を送るのと、どちらがいいのだろう。
「やめておいた方がいいですね。この先は滝です。……それとも、それすら無粋でしたか」
「いや、構わないさ。そのような度胸は持ち合わせていない。だが、お前の方はどうだかな」
「どういうことです」
「一人で逃げても構わんのではないか、ということだ」
面食らったような顔をしたのはその言葉を受けたジェラルドの方である。
「先程の話、聞いてましたか。自分一人ならまだしも、相手方の家に迷惑がかかるでしょうに」
「相手方も政略結婚なんだ。迷惑と言う話でもあるまい。私みたいな人間だったら大歓迎だが」
「親の面子丸潰しじゃあ無いですかね」
馬鹿馬鹿しいな、自分では何も出来やしないというのに、そう思う。
「まあ、それもそうか。お互い難儀だな」
表面上はそういうのだが、面子の一つぐらい潰してみたいものだ。
どれくらい話していたのだろう。運動後の休憩にしては、些か長い。
「なあ」
「なんでしょう」
最後に一つ、これを聞いたら、決心は鈍るだろうか。まあ、もうそれでもいいか、そんな曖昧なことを考える。
「外の世界は、お前にはどう写った。一生を投げ捨ててもいいと思えるほどのものか」
「いいんですか、話しても」
メアリは迷うことも無く肯定する、それは前向きな決断なのか、後ろ向きな決断なのか。彼女には判断が付かない。
「そうですね、ええ、そこには」
言葉を一旦止め、思い返すように、願うように、どこか寂しげに、ジェラルドは再び切り出した。
「全てがありました。喜劇も、悲劇も、幸福も、不幸も、安寧も、冒険もある。そこで暮らす人も、武勇を誇るものもいれば、変わらぬ日々を過ごすものもいる。各地で起きたことを物語として編んであちらこちらを回る私たちのようなものもいる。全ては移り変わって、何が起こるかわからない」
そう結ぶ、一拍置いて、ジェラルドは呟く。なんとなく、そちらを向いてはいけない気がして、メアリは顔を背ける。胸のあたりに何かがたまっていく、たまるばかりで、決して溢れ出す事は無い、そんな何かが。
「どうして戻って来なければならなかったんだかなあ」
最後の震えるような、消え入るような声が、薄い明かりの下に溶けていった。
メアリからすれば、それは一種の代弁で、そしてある一つの共感をもたらした。
二人はしばらく動かず、月は依然として空高くに輝いていた。
さっきは最後だと思ったけれど、撤回しよう。今度こそ、そう思い、メアリは口を開く。
何でも、形式上のものであるらしく、言われるがままに指定された場所に、メアリは向かう。
向かいながらも、つい昨日のことを思い返してしまう。心残りを増やしてしまったと取るべきか、
いいか、そうメアリは思考を止める。今度、こんなことがあった、なんて思えるものであることには相違ない。
ある程度歩くと、前方の道が坂に変わっていることに気付く。例の丘だろう、とメアリは当てをつける。
彼女の家の風習で、結婚相手とは儀式の前にこの丘で軽く話をする、なんて計らいがある。目的ははっきりとはしていない。特に文献にも残っていないのだ。
それにしても、自分は無感動な人間のように、家の人間には映っただろうか。一応一世一代の日のはずなのだが、と。そこまで下手に擬態していたつもりも無いが。
彼らが望むことなど、毛頭する気が無いのだから、まあ仕方が無い。
そこまで思い、再び足を動かそうとした時、後ろから声がかかった。
「ふむ、大層魅力的ですね、そちらも伝統、と言う奴でしょうか」
心臓が張り裂けそうになった。
聞き覚えのある声だ、間違っても聞き鳴らした声では無いが。驚きを辛うじて押さえ、振り返る。
その先に居た男は、再び口を開く。こいつはどのように思っているのだろう。メアリの頭にそんな考えがよぎる。
「最も、私は先日の軽装の方が好みですがね」
「奇遇だな、私も今のお前の仰々しい格好よりも昨日の旅人然とした格好に好感を覚える」
当然、メアリはよそよそしいしゃべり方も会得している。場に適していると思ったものを用いるだけで、この相手にはこんなぶっきらぼうな口調が適切と判断したらしい。
「へえ、そうですか。こりゃあ嬉しいことだ。ところで此処は薄暗い。場所を移しませんか」
「ふむ、いいな。では、提示していただこうか」
「それが提案者の務めですね、お任せください。では……先日の橋の上、など如何でしょうか?」
砕けた笑いが、その場に響き渡った。
「改めて聞くが、本当にいいのか?」
メアリがそっと聞きながら、木々を掻き分ける。
昨日の物寂しい橋の近くの林を分け入った先に、いくつかの荷物が置かれていた。
「もちろん、いや、今頃大混乱でしょうね、実家の方」
「全くだ。いや寧ろこれがきっかけで結びつきは強まるかも知れん」
「ふうむ、まあ、どうでもいいですが」
「違いないな、それにしても、あんな口約束が本当に通るとは」
思い返すは昨日の別れ際、告げた言葉、此処に今の自分の荷物を置いていこう。何時か取りに来れるときが来たら、再び。
このことを言ったときから、彼女の中では決心がついてしまった。そしてその点については、相手も同じだったようで。
「本当は相手の人間を全て知った上でこんなことやったんじゃああるまいな」
メアリの口からついそんな言葉が出る。ある意味では仕方が無い。
「そんなことはありませんよ、そもそも昨日はお互いに本名では無かったでしょうに」
「私はあながちそういうわけでは無いがな、母の旧姓を用いているに過ぎん」
メアリは実家の名を名乗りたくなかった。ジェラルドはさしづめ親に頼りたくなかった、といったところだろうかと推測する。事実本名の方は大分名の知れたもので、旅中に用いれば本来の目的は果たせない。だから恐らく今後もそうなるだろう。
「そうでしたか……まあ、何はともあれ、済んだことです。さて、では行きますか」
予想もせずに流れ込んできた自体、どう転ぶのだろう。そんな思っても仕方の無いことを浮かべ、歩き出す。
空の下、広がる世界は果てしなく、溢れ帰るような夕日に包まれていた。
難しいですね、この時代背景。どうも現代作品書いてるときの癖が抜けません。




