ーあと書き
ーあと書き
ここまで読んで下さった方にまず感謝の意を表します。
さて。この物語には当然モデルが存在します。前書きでも触れたように、現実のモデルと似ないように意図して描きました。女装者達の様子も現実を描写しないようにしています。現実の女装者達はお互いに本名も住所も勤めている会社も明かす事はありません。それぞれに10人いれば10種類の考え方と捉え方で女装を考えており、まず結束する事はありません。現実の女装の世界に愛が飛び込んだとしても、なすすべもなく終わる確率の方が高いように思います。取材の過程で、どうも自分の手に負えるものではないと悟りました。実に幅広く底は計り知れない世界です。とても言葉で括る力が今の作者には無い事を思い知らされました。そこで、この世界の一番表層の部分を舞台装置として使わせていただきました。この部分は犯罪や社会のルールに反する人はいません。また、同性愛者も聞いた限りでは居ませんでした。
この部分から下の層に落ちてゆく人はすぐに落ちてゆくので、この部分に留まる事はないようです。しかしながら、この一番表層の人達も一般には犯罪者や同性愛者と区別はされていません。社会では嵐の中に晒されています。そうした嵐の無風地帯と言う意味を込めて、台風の目タイフーンアイと言う名前を使いました。このタイフーンアイは大阪梅田の堂島の中に作者が捏造した店である。新御堂筋線の向こうにツタヤや揚子江ラーメン、ジャンボカラオケは取材時2006年の時点で実在します。しかし揚子江ラーメンを曲がりジャンボカラオケに至る間に路地はありません。ちょうど中間あたりに設定したので、現実に我々がタイフーンアイに近づけるのは、そこまでが限界です。
この物語の主題は、さよならを言うでした。愛にさよならを言わせないために、ありったけの障害物を設定しました。ギャグにならない程度にですが。
我々は、自分の都合の悪い事に対して見て見ぬ振りをしてしまう。現実を認めず、それが時間の経過と共に、自分自身に指を突きつけられ苦しむ。愛のように、史也の最期の姿まで現実を直視できる自分でありたいと作者は願う。読者もそう願って欲しいと思う。交通事故をもう一つの舞台装置に使わせていただきました。恋人を亡くされた3人の女性を基に愛の心情を描かせていただきました。誰かがどうにかできる問題でも時間が特効薬でもないようです。自身が顔をあげて、まず明日を見る勇気を振り絞るしかないようです。もし自分だったら、それだけはしたくないと思うでしょう。だからこそ、愛を描きました。また自分は関係ないと言う方もおられると思います。しかし女装と交通事故は私達のすぐ隣りに存在する、難しく微妙な問題です。ある日突然関係してしまう事が有り得ます。
愛の判断があなたの参考になれば幸いです。
2007年8月15日
武上 渓
取材時に撮影してもらった写真