第五章・真実の心 (3-3)
うつら、うつら――、としていた身体を彼女は起こした。
いつの間にか眠っていたらしい。トモエは目を開き、あたりを見渡した。信じられない光景が広がっていた。凄惨な光景というわけではなく、彼女が暮らしてきた世界とは似ても似つかないくらい美しい光景が、眼前に広がっていたのである。
彼女の四方八方は、一面の花畑で満たされていた。どちらの方角を見回しても、果てがないと思えるくらい、色とりどりの花の群れがどこまでも、どこまでも広がっている。その真ん中に、ぽつんと木製のテーブルと椅子が置かれ、彼女はその椅子の上に座っていた。
「……ここは?」
呆気にとられながら、彼女は呟いた。すると、
――ここは、あなたの内面の世界――
と、どこからともなく声が聞こえた。
「誰?」
はっと見ると、トモエの向かいにひとりの少女が座っていた。穏やかな微笑みをたたえる彼女を見て、トモエは目を見開いた。
少女は自分自身と瓜二つであった。
「私はあなた、あなたは私――。私たちは同じ人間なのよ」
「…………」
トモエはしばらく状況の整理がつかず、呆然となった。しかしふいに、
(邪霊――)
という言葉が、頭を駆け巡った。
彼女は咄嗟に魔法少女の姿に変身し、腰元の剣を手に取った。
はずだった――。
彼女が手元に感じたのは、すかっ――と空しく逃げてゆく、空気の感触だった。
「!?」
腰元にあるはずの剣がない。それどころか、彼女は変身すら遂げていなかった。
「あなたはここでは魔力を使えない。だってここはあなたの心の内側だもの。外側に対してアプローチするための力、特に誰かを攻撃するための力を、自分の内面で使えるわけがないでしょう? 今はそれよりも、私はあなたとお話がしたいわ」
「邪霊なんかと話すことなんてない……!」
トモエは眼前の自分を睨みつけ、押し殺すような声を出した。目の前の彼女は困ったように苦笑いを浮かべた。
「たしかに、私は人々から“邪霊”と呼ばれる存在。けれど、“邪霊”というのは、誰かが勝手につけた分類名にすぎないの。実のところは、私はそれ以前に他ならぬあなた自身なのよ。そのことを忘れないで欲しいわ」
「…………」
「もっと云うなら、あなたが“魔法少女”と呼ばれているのだって、同じことなのよ。魔力を使い、私のような存在と戦う使命を背負わされた女の子を、世間ではそのように呼称しているだけ。人は名称や分類にこだわり、それによって自分を縛りつけてもいるわ。でも、大切なのは本当の自分が誰なのか、というところじゃない?」
「本当の自分が、誰なのか……?」
「もっと分かりやすい例えをしましょうか。そうね――、現実世界の平沢 星夜のような人を世間一般でどのように呼ぶか考えてみて」
「星夜のような人……」
トモエにはその問いに対する解がすぐに浮かんだ。しかし、口にするのははばかられた。世間的にはネガティブな風潮も残る言葉だからだ。
「平沢 星夜が置かれている状況をあなたは知っているはず。でも彼だって、ひとりの人間であることに疑いの余地はないでしょう。人間というのは、物事に対して名前をつけたり、関連性のあるものどうしをカテゴリーに分けたりすることが、とても好きな生き物なの。そうすることで、対象がどのような存在なのか分かって、安心できるのね。でも、どのようなカテゴリーに分類されたからといって、その人がその人であることに違いはないでしょう。魔法少女だろうが、そして邪霊だろうが、あなたはあなた、私は私」
そして、私はあなた、あなたは私――。
と云って、目の前の自分はまっすぐに自分を見据えながら、一点の曇りもない微笑みを見せてくる。
「余計なものに惑わされているから、本当のことを見失う。真実の心を偽って、誤魔化しながら生きてしまう。でも、シンプルに考えれば、本当の気持ちが見えてくるはずよ」
トモエは何も云い返せなかった。彼女の陰りのない笑顔を、今の自分ができる自信はなかった。それは、トモエ自身が自らを誤魔化し、本当の思いを見失っているからかもしれない、とも思えてきた。
目の前の自分は、その笑顔を崩すことなく、トモエに問うた。
「さあ、あなたは何を望むの?」




