第五章・真実の心 (1-2)
鳥須 凜という名のこの青年は、トモエや愛稀の地元の国立大の博士課程に在籍する大学院生である。学内の院生支援プログラムを利用して、アメリカに留学しており、今は久々の帰郷であった。
シティホテルのバーラウンジの窓際の席に、ふたりは肩を並べて座っていた。けれど、恋人同士の幸せな時間を過ごしているのかといえばそうではなく、前のガラスに反射して映るふたりの顔は、どちらも深刻な面持ちだ。愛稀はうつむき加減で話をし、凜がテーブルに頬杖をつきながらふんふんと話を聞いている、という構図だ。
「……なるほどな」
ひととおり話を聞き終わった凜は納得したように云った。
「問題はふたつあるわけだ。ひとつは、手に余るくらいの強力な邪霊が出現したということ。もうひとつは、その邪霊がトモエと融合してしまえば、より手がつけられないほどの力を有してしまうということ」
「そう。その前に、何とかしてトモちゃんを助け出して、邪霊を倒してしまわないと」
凜は目の前のロックグラスに手を伸ばし、ウイスキーをひと口含んだ。シングルモルト特有のピート臭が薄く飲む直前にし、飲みこんだ直後には芳しい香りが鼻に広がる。
「タイムリミットは?」
「タイムリミット?」
「つまり、あの子が邪霊に取り込まれてしまうまでに、一体どのくらいの猶予があるのかということさ」
「さあ。そこまでは……」
愛稀は返答に窮した。あの出来事からすでに3日が経過している。あれ以来、トモエは邪霊とともにユメのセカイに戻ってしまい、現実世界には出てきていない。しかし、その状態がいつまで続くのか、彼女には分かりようもなかった。
「それは、あの子の心次第じゃないかな」
ふと声が聞こえた。声のした方を見て、愛稀は「わっ」と目を剥いた。相も変わらず、急にこの奇妙な姿を見せられると心臓に悪いと思う。テーブルの上には、“宇宙の意志の権化”がちょこんとたたずんでいた。
「何だ、コイツ?」
愛稀に対して、凜は平然とした様子である。
「“宇宙の意志の権化”さんだよ。さっきの話にも出てきた」
「ふぅん……?」
凜は臆する様子もためらう様子もなく、指で“宇宙の意志の権化”の頬に触れた。何ともいえない触感がした。現実のものに触れるような、そうでないような、不思議な感覚だ。
「あなた、怖いもの知らずですか。むしろこっちが驚きましたよ」
「常識では考えられないような現象を、数多く目の当たりにしてきたからね。その程度では驚かないさ」
「さすがですね、凜さん」
「なぜ僕の名を?」
「……そう云えば、私の名前も最初から知ってた」
凜に続いて愛稀も口を挟んだ。凜同様、愛稀も出逢った当初から“宇宙の意志の権化”に名前を云い当てられていた。不思議といえば不思議である。
「あなたたちのことは以前から知っていましたよ。遥か昔から、ね」
“宇宙の意志の権化”は得意げな口調で応えてみせる。
「……疑問は残るが、まぁその話はとりあえず置いておこう――。で、“あの子の心次第”ってのはどういうことだ?」
と、凜は話を戻した。
「邪霊に取り込まれてしまうかどうか、トモエの思いが鍵を握るってことです。邪霊とヒトとの融合を論ずる時は、3つの要素を考慮に入れる必要があります。遺伝情報、肉体、そして心・精神、この3つです。邪霊がヒトを取り込む際には、遺伝情報を書き換え、肉体から精神を解き放ち、心を邪霊の思いに染めてしまう。その過程が必要になるわけです。
遺伝情報については、邪霊とトモエはもともと同一の人間であるから、すでに一致している。けれど、肉体についてはあの子は少し特殊で、ユメのセカイ――ああ、あなたたちには“スピリチュアル・ワールド”と云った方が分かりやすいかな――においても肉体を有した状態で存在しているから、肉体から精神が解き放たれるまでには、ある程度の時間がかかるでしょう。とはいっても、1週間もかからないんじゃないかな。そうなれば、あとはトモエの心の強さがモノをいいます。あの子が意志をしっかり持ち、邪霊の誘惑と戦い続けることができるなら、より長い間猶予はあるでしょう。けれど、誘惑にすんなり負けてしまうなら、肉体が解放された時点であの子は邪霊と一体化してしまう」




